まさか。「人類未知の予想」を発したのは、弱冠29歳の天才、フアン・マルダセナ。話を交わした日本人物理学者が語る、「驚愕の原理」が記された論文。その中身
物理学者たちが長年追い求め、そしていまだに未達成である「四つの力の統一」を説明できる可能性をもった、物理学の最新理論「ホログラフィー原理」。それは「重力が司っているこの世界は、じつは重力とは関係ない力とその力を受けて運動している物質からなるホログラムの像のようなものである」というもの。
量子力学よりもさらに不思議でつかみどころのない最新理論を、人気の物理学者である橋本幸士教授がわかりやすく解説した『ホログラフィー原理とはなにか』(講談社・ブルーバックス)が刊行されました。
この記事シリーズでは、本書の解説から、とくに興味深いトピックを厳選して、ご紹介していきます。
今回は、これまでの本シリーズにも度々登場したフアン・マルダセナが示した「ホログラフィー原理」。この原理についての研究を一気に加速させた、彼の論理を詳しく見ていきます。
*本記事は、『ホログラフィー原理とはなにか 宇宙と素粒子を統一する最新理論』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
*好評の「ホログラフィー原理」記事一覧はこちら
マルダセナが考える、基礎物理学、4つの重要課題
物理学者フアン・マルダセナ(1968〜)はアルゼンチン出身の研究者で、2026年3月現在、アメリカ、プリンストン高等研究所に在籍しています。
「超共形場理論のラージN極限と超重力理論(The Large N Limit of Superconformal field theories and supergravity)」と題されたホログラフィー原理の論文は、マルダセナが29歳のときに執筆した論文であり、若い才能がその分野を大きく変えうるということを示した象徴ともいえます。

フアン・マルダセナ photo by gettyimages
筆者の『ホログラフィー原理』で詳しく述べましたが、重力の謎を解き明かすためには、重力と量子力学をまとめ上げなくてはなりません。量子力学とは、ミクロの世界の物理学であり、素粒子物理学の土台となっている理論です。そして重力と量子力学を融合する理論が、超ひも理論です。
ホログラフィー原理の研究の舞台は超ひも理論であり、マルダセナの論文の内容も超ひも理論についての国際会議で発表されました。世界中の超ひも理論の研究者が集まる国際会議「Strings」は毎年開催されていますが、現在この会議での話題のうち、およそ半数はホログラフィー原理に関するものです。
ホログラフィー原理は、重力に関する基礎物理学の中で最も大きな研究対象として、現在活発に研究が行われているのです。
国際会議 Strings 2018では、(超)ひも理論の50周年記念のセッションがありました。超ひも理論の土台となった、ひも理論が生み出されたとされる、ガブリエレ・ベネツィアーノ(1942〜)による論文の発表から50年目に当たるためです。その記念セッションにはマルダセナも登壇し、これからの超ひも理論についての講演を行いました。彼は、残された課題について次のように述べています。
「最も興味深い疑問は次のものではないだろうか。初期特異点、時間の始まり、そして時間の創発。これらは互いに関係した問題である」。
これらは、重力や量子力学にまつわる基礎物理学の課題として、最も重要なものであるとマルダセナは考えているようです。
物理法則が成り立たない? 宇宙の始まりの「初期特異点」
マルダセナの論文では、ホログラフィー原理が実際に成り立っている具体例(私たちの宇宙とは異なる仮想的なシステム*)が示されました。
*ここでいう「仮想的なシステム」とは、我々の宇宙や素粒子の世界に似たシステムで、数学的な取り扱いをしやすい仮想的なもののことです。我々の宇宙とは異なる物理法則に支配された“仮想的な宇宙といってもよいでしょう。
読者のみなさんの中には、科学者が発表した本物の論文をご覧になったことがない方も多いのではないでしょうか。科学論文の冒頭には、著者名とタイトルに加えて「概要(アブストラクト)」が書かれています。以下では、マルダセナの論文の概要を読み解いていきます。概要も、もちろん専門用語で書かれているので難しいのですが、あまり気にしないでください。
概要の主要な部分は二つに分かれています(図「マルダセナの論文の概要」)。

マルダセナの論文の概要 本文では、濃い文字の部分を主に解説している。arXiv:hep-th/9711200v3 22 Jan 1998 より引用
前半部分を日本語に翻訳すると、次のようになります。
《様々な次元の共形場理論のラージN極限が、反ド・ジッター時空や球、その他の多様体の積で作られる時空上の超重力を記述するセクターをそのヒルベルト空間に含むことを我々は示す》
この文章の専門用語を読み飛ばし、重要な部分を抜き出して易しく書き直すと、次のようになります。
《ある素粒子の理論が重力を含むことを我々は示す》
ここでいう「素粒子の理論」とは、ミクロの世界を扱う量子力学の親玉のことで、一つの粒子だけではなく、一度に多数の粒子を取り扱える理論の総称のことです。ここでは簡単に「ミクロの世界の現象を取り扱える理論」と考えてください。
次に、概要の後半部分を日本語に訳してみます。
《3+1次元時空の超対称ヤンーミルズ理論のトホーフト極限が、共形固定点においてIIB型超ひも理論を含むことを示す》
こちらも専門用語を抜き取って分かりやすくすると、次のようになります。
《3次元空間の素粒子の理論が、超ひも理論を含むことを示す》
ここでのポイントは「3次元空間」という言葉です。「3」というのは、空間が縦・ 横・高さの三つの次元をもつことを表しています。元の文章に「3+1」とあるのは、空 間の3次元に時間の1次元を加えて、全体で時空が3+1次元になっている、という意味 です。時空とは、時間と空間が一体となったものを指す言葉です。
一方で、ここで想定している超ひも理論は、4次元空間*における理論です。つまり空間の次元が、元の素粒子の理論より一つ多いことになります。
まとめると、マルダセナは、「低い空間次元の理論が、なぜか高い空間次元の理論と同等になる」と主張しているのです。
*より正確にいうと、ここで想定している超ひも理論は「9+1」次元時空についての理論です。つまり空間の次元が九つあります。ただし、このうち5次元は小さく丸まっており(コンパクト化されており)、巨視的な空間は4次元になっています。
ホログラフィー原理の主張
マルダセナ論文の概要の前半と後半をまとめると、次のようになります。
- 重力の存在しないミクロのシステムが、重力を生み出す。
- 空間が創発する。
この二点がホログラフィー原理の主な主張です。重力がはじめから存在していないミクロのシステムを考えたとき、そこから重力現象が生まれます。ただし、その重力現象が現れる舞台は、元々考えられていたミクロのシステムとは別のシステムで、ミクロのシステムの空間の次元よりも高い次元の空間での現象である、ということになります。
ホログラムは、2次元の面に光を当てると3次元の像が現れますが、それとよく似ています。マルダセナ論文の概要に出てくるホログラフィー原理とは、元々考えられていた世界よりも空間次元が高い世界で重力現象が創発する、ということを意味しているのです。
未だに数学的に証明されていない予想…でも、証拠は出そろっている
なお、「原理」とは英語で「プリンシプル(principle)」です。通常、原理とは、何かから導かれる結果ではなく、人間が最初に仮定するものを指します。物理学では、「作用原理」などのように、説明なくそれに従うべき考え方を通常、「原理」と呼びます。
一方で、ホログラフィー原理はそのような意味での原理ではありません。ホログラフィー原理は、むしろ「機構」や「機能」、「現象」と似た意味だといえます。
マルダセナは、ある“特殊なシステムを例として取り上げ、そのシステムではホログラフィー原理が成立する、とその論文で予想し、その証拠を挙げました。マルダセナが考えた“特殊なシステムとは、人為的に考えられた、この宇宙には存在していない仮想的な世界だといえます。重力が存在していない仮想的な世界を考え、そこから重力的な現象が創発する。そのような数理モデルを構築したのです。

重力が存在していない仮想的な世界を考え、そこから重力的な現象が創発する数理モデルを構築した photo by iStock
ホログラフィー原理が成立するこのような具体例をそれまで人類は知りませんでした。この論文が発表されてから四半世紀以上が経ちますが、マルダセナの予想は未だに数学的に証明されていません。
しかし、この予想は疑いなく正しいであろうと現在では考えられています。なぜなら、様々な証拠が出そろっているからです。証明とはどのようなことを指すのか、そしてホログラフィー原理の具体例とは何なのか。これらについては、『ホログラフィー原理とはなにか』にまとめましたので、じっくりと見ていただければと思います。
マルダセナの予想はいずれ数学的に証明されるでしょう。