長嶋一茂が生放送で語った父との葛藤 「野球の星に帰りました」はさんまとの会話から

長嶋茂雄さんの自宅を出るソフトバンクの王貞治球団会長(中央)と一茂さん(左)、三奈さん(右)=東京都大田区

タレントの長嶋一茂(59)が6日、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」に生出演し、3日に肺炎のため89歳で亡くなった父で巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんについて語った。番組では、一茂が訃報当日に発表したコメント「長嶋茂雄は野球の星に帰りました」の背景や、父との思い出、野球人生での葛藤を明かし、視聴者に深い感動を与えた。

「ネガティブ大嫌い」父の最期を笑顔で見送った理由

司会の羽鳥慎一アナウンサー(54)は、訃報が流れた3日の放送を振り返り、「スタジオで長嶋監督の楽しいエピソードの話になった。一茂さんが話した最後の病室の雰囲気も、そのタイミングでそんな雰囲気になれるのが長嶋さんの人柄を表している」と語った。

一茂はこれに対し、「父はネガティブな言葉や行動が大嫌いな人。常にポジティブ。24時間100%ポジティブで人生を駆け抜けてきた」と父の性格を強調。「最後の病室でも、看護師さんは泣いていたけど、われわれ家族はしんみりすることはなかった。天国に行っても影響を与え続ける方だと思います」と、家族が笑顔で父を見送ったことを明かした。

特に印象的だったのは、一茂がコメントで使った「長嶋茂雄は野球の星に帰りました」という表現の由来だ。

一茂は、「さんまさんとお笑いの星の話をしたことがあって。『さんまさんはお笑いの星から来た人だけど、長嶋茂雄は野球の星から来ましたよね』って。昔、さんまさんとそんな話をしたときのイメージで、野球の星があるなら父はそこから来た人だと思っていた。だからこのフレーズを使った」と、明石家さんま(69)との会話から着想を得たと告白。父を「野球の星」と称したこの言葉は、茂雄さんの輝かしい野球人生と人柄を象徴するものとして、視聴者に強い印象を残した。

明石家さんま

「父の存在は偉大すぎて」野球人生で感じた葛藤

一茂は自身の野球人生についても振り返った。羽鳥アナが「子供の頃とプロになってからの野球への思いの変化」を尋ねると、「小学校では友達が始めたから野球を始めた。中学ではやらなかったけど、高校、大学、プロと進むうちに、面白くて始めた野球が真剣なものに変わった。父の存在は偉大すぎて、近くにいるのに野球をするたびに離れていく感覚だった」と語った。さらに、「周りの人から『君のお父さんは』と声をかけられるのが普通だった。若い頃はそれに複雑な思いもあったが、野球をやったからこそ父の偉大さがわかった」と、父の影響力を認めた。

番組コメンテーターの玉川徹氏は、「長嶋茂雄という昭和のスーパースターを父に持つことは、うれしい反面、つらい部分もあったのでは」と質問。一茂は、「辛さは皆に平等に来る。父が偉大すぎたのは確かだが、監督と選手、父と息子の関係は普通の親子と変わらない」と答えた。また、野球を選んだ理由について、「無理やりじゃなく、野球が面白くて楽しいから。父と少しでも野球の話をするのが楽しかった」と、純粋な野球への愛を語った。

1973年10月22日、長男、一茂カメラマン(手前)に笑顔を向ける長嶋茂雄さん

一茂は、約30年前、父が巨人監督時代に自身が引退を宣告されたエピソードにも触れ、「父に引退を言わせてしまったのは悔いが残る。父を胴上げする輪に入りたかったが、プロの世界は厳しくてそれは叶わなかった」と後悔を吐露。それでも、「男に生まれて野球ができて感謝しかない」と父への敬意を述べた。

羽鳥アナが「いろんな意味でのキャッチボールだったのかも」と言うと、一茂は「会話にはいろんな方法がある。父との野球を通じた会話は特別だった」と振り返り、父との絆を強調した。番組を通じて、一茂の「野球の星」や「さんま」とのエピソードは、茂雄さんの明るく前向きな人柄と、父子で築いた特別な絆を浮き彫りにし、視聴者に深い感動を与えた。

密葬では喪主の三奈さんと協調的に対応 過去にはきょうだいの確執報道も

長嶋さんの密葬では、次女の三奈さんが喪主を務め、長男の一茂がともに弔問客を出迎えた。遺体搬送時、両者は報道陣に頭を下げ、ソフトバンク球団会長の王貞治氏(85)の弔問では一緒に見送る姿もみられた。

過去には、きょうだいの確執が報じられたが、密葬では協調的に対応し、遺族としての役割を果たした。今後のお別れの会も予定されている。