名門中学合格→不登校に…山田ルイ53世が引きこもりを経て国立大学に合格するまで

「ルネッサーンス」のかけ声とシルクハット、ワイングラス片手の漫才姿でおなじみの、笑いコンビ「髭男爵」山田ルイ53世さん。自身は地元の名門中学に見事合格するも不登校となり、6年の引きこもりを経て大検を受け、その後愛媛大学に入学した。先日放送の「ミヤネ屋」で大学に入学するも途中から行かなくなり、「ずっと除籍と思っていたが、何かのロケのついでに調べたら中退だった」と話した山田さんの言葉も話題となった。

その半生を聞くインタビュー前編では、中学受験に複雑な思いも抱いているであろう山田さんが「こどもの中学受験」にどのように向き合ったかを聞いた。お嬢さんは見事に第一志望の都立中高一貫校に合格している。「勉強しろ」という姿勢からは距離を置いていたという山田さん。後編ではご自身の話をお伝えする。

山田ルイ53世 1975年、兵庫県生まれ。地元の名門・六甲学院中学校に進学するも、不登校から引きこもりに。大検合格を経て、愛媛大学に入学したが、中退し上京、芸人の道へ。1999年にひぐち君とお笑いコンビ・髭男爵を結成。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」は「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。主な著書に『ヒキコモリ漂流記 完全版』『一発屋芸人の不本意な日常』『パパが貴族 僕とモーちゃんのヒミツの日々』など。

六甲学院入学まで

山田さんは、小学6年生の時、思い立って中学受験に挑戦し、地元の名門校である六甲学院中学に入学した。2起床してから約2時間かけて通い、スポーツも勉強も優等生だった。だが、夏休みを経て不登校になり、せっかく入った学校をやめ約6年、引きこもった。

「兵庫県の田舎の住宅地で普通に近所の小学校に通っていた。親とか大人に褒められようっていう薄いモチベーションで中学受験を決意し、家の近所の塾通いをスタート。時間もなかったから、無茶な勉強の仕方をした。小6の夏あたりからは、腎臓を痛めて健康診断に引っ掛かり、寝不足で若白髪がドッと増えた。4年生ぐらいからレギュラーで試合に出ていたサッカー部も辞めてしまいました」

六甲学院に合格して学校に行ったら、お父さんやお母さんが医師や弁護士という同級生が少なくなかった。

「お弁当の時間とか、うちは別に裕福ではなかったんで、焼きそばがボンと入っている。美味しいし個人的には嬉しかったんですけど、隣を見たらお弁当のおかずにサイコロステーキが鎮座していたり。ステーキなんか、うちの晩飯でも出てきたことない。格差、というと大袈裟ですが、そういうものを感じる瞬間もありました。

でも一方で勉強とか部活を頑張っていたので、成績など、常に上位にいる優等生でもあり、それが支えでしたね」

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六甲学院に入ったときの山田さん 写真提供/山田ルイ53世

不登校のきっかけ

せっかく入った名門校に行けなくなるきっかけが、登校中のアクシデントだった。

「とある事件が起きまして……登校途中の坂道のちょうど真ん中で粗相をしてしまったんです。グラウンドでワーッと汚れたズボンや下着、自分の体を綺麗にして教室に辿り着いた。

誰もいなかったのでセーフと胸を撫で下ろし校内着に着替え、洗った制服を椅子の下の収納スペースに放り込んだんです。ホッとしたのも束の間、暫くすると夏の暑い時期で乾いてきて『ヤツ』が蘇った。においがたちのぼり、みんなにばれたと思って恥ずかしくなり、気づいたら早退してました」

ところが、大人になって、当時の同級生とお酒を飲む機会があったが、実は、誰も粗相に気づいていなかったという。

「勝手に自分でハードルを上げていたというか、優等生で、部活でもレギュラーの俺がそんなことになったのを知られたくない。プライドが邪魔して、ピエロになれなかった。 

まあ、それはきっかけに過ぎなかったわけですが、学校に行けなくなりました。やっぱり無理していた。通学時間がかかる、学年で上位を取ろうと思ったら、真面目に勉強せなあかん。進学校なんで、課題とかめちゃくちゃ多くて、疲れ果てたところにそういう事件があったんです」

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現在の山田ルイ53世さん

引きこもりは6年間

休み始めたときは、「やっと休める」みたいな気持ちも実はあった。 そういうしんどさを知っているから、娘が遠い学校を受けるのはどうかと思ったのだ。

せっかく入った名門校、優秀な生徒がたくさんいる中で、山田さんは無理をしてしまった。行けなくなって不登校、引きこもりの期間は20歳前まで6年も続いた。

「学校は1年半くらいで辞めてしまった。事件があってから何回か保健室登校した記憶がかすかにあります。すぐ夏休みに入って、引きこもったという感覚はないんです。親に対しては、いつも通りの優秀な孝行息子。学校の夏休みの宿題とか、毎日やっていますよっていう、いつも通りの感じでふるまっていた。小学生のときは宿題なんて、夏休みに入って1週間から10日でサッサと終わらせるタイプでしたが、その夏休みは一切手をつけなかった。

明日から学校やっていう日の朝、僕は2段ベッドの下で寝ていたんですけど、布団から出られなくなって。優秀な山田くんが、宿題やっていないで学校行くとか無理でした。

僕の部屋に親父が上がってきて、最初は優しく言っていたんですが、親父はベッドの上段に手をかけて体を振り、僕の脇にドロップキックをした。親父の人生でも最初で最後のドロップキックだったでしょうね(笑)。その後暫く、親とは、毎日のように小競り合いをしてました。主に、親父とですね。おふくろは、背中越しにちょっと小言をいうぐらい」

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当時は対処法が今のようになかった。すぐにどこそこへ不登校の相談という体勢も見当たらず、フリースクールなんてものもあまり耳にしなかった。

「籍は置いていたんです。親は、しばらくすると見守るモードに入った。不登校って1日休めば休んだ分、そのハードルが上がっていくというか、行きづらくなっていく。高校に上がるというタイミングで学校を辞めることになりました」

折れたシャーペンの芯を見つけるまで動けない

自宅では、勉強にも集中できず、辛い日々だった。

「俺なんか優秀やからちょっと本気出して頑張ればすぐ追いつけるんや、みたいな前向きな気持ちもときには沸き起こって、机に向かうんですけど、本棚の本がずれてるとか棚のノートの角が90度でピタッと合っていないとかが気になり、目覚まし時計やトロフィーを磨かないと気が済まない。

毎日大掃除して、勉強が始まってもシャーペンの芯がポキッと折れて絨毯に紛れ込んだら、それを見つけ出すまで身動きが取れない。スマホやパソコンも当時はないので、壁に向かって座禅でひたすら空想するみたいな毎日です。 筋トレしてみたり、神経症の類いか、ルーティンと呼んでいた行動が30個ぐらいあって。

2階の窓を薄くあけて、小学生のときにもらった天体望遠鏡で、家の前を通り過ぎる人たちを、『小学校のときに一緒やったあいつや』とか『よう日焼けしてるな』とか眺めていた」

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メンタルの部分を、のちに精神科の医師に聞いたら、強迫神経症だったのではと言われた。

もっとカジュアルに病院やカウンセリングを利用すればよかったと思うんですけど。ご近所さんに噂が広まったりすると、なかなか難しい環境で、親も耐えていたんでしょうね」

ところが、20歳になる前に、ニュースで成人式の様子を観て、一気に目が覚めた。

「焦りですよね。同年代の子たちが成人して社会に出ていく。ちょっと頑張れば、すぐ追いつけるわって、たかをくくっていたんですけど、社会に出たら、もう射程圏外。完璧主義で、次に進まれへんみたいな考えが常にあった。でもそんなことを言っていたら、この状態から脱することができないと」

とりあえず1ミリでもいいから前に進もうと、今日は部屋から玄関まで行ってみる。玄関まで行ったら、靴につま先だけ入れてみる。次は玄関を歩き回ってみる。地道な積み重ねで、とりあえず物理的に引きこもりから脱出する作業をした。

1年で大検で高卒認定、大学受験へ

スマホもパソコンもなかった。たった1人で、引きこもりから脱しようと戦った。山田さんは、大検(大学入学資格検定。2005年度からは高等学校卒業程度認定試験)を取るため、独学した。初めは絶望的だった。科目数が多く、それも1度に取らないと時間的猶予がなかった。

「普通は何年かかけるのを、一気に取ったんです。 会場に行って教室に入ったら、年齢も様々で、怖そうな人ばっかりで。ずっと田舎の小学校で育って、六甲に行って以降は引きこもっていた。ほんまに失礼な話なんですけど、自分もここまで落ちたな、みたいな気持ちになりました」

山田さんは、1回の挑戦で大検を取ってセンター試験(2021年度から大学入学共通テスト)を受けるところまで突き進んだ。

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「当時、親から家を出ろというプレッシャーが高まって、働かざる者食うべからずみたいなことになって。うちはそんなに金持ちじゃないんで、私学も無理。国立1校しか受けていないです。

なるべく人前に出ないで大学に入れる方法を探って、センター試験の点だけで入れる大学を選び、愛媛大学に引っかかった。入学式は行かなかった。当時もまだ、中1のときの三者面談で言われた、『山田くんはこのまま行けば東大に受かります』っていう担任の先生の言葉が残っていたんです。一番最初の履修登録に、引っ越しも合わせました」

愛媛大学でお笑いに出会う

引きこもり明けで合格した愛媛大学で、転機が訪れた。お笑いに出会ったのだ。

「最初の履修の登録で、凡ミスを連発して、4年で卒業できへんってなったんです。登録が足りなかった。誰も僕を知っている人がいない新天地やから、外出はできるけど、学業にも身が入らなかった。 ゼミに入ったものの、ほとんど出席していない。バイトばっかりして、後は家でゴロゴロしていました」

そんなときに、プールの監視員のバイト先で、大学の先輩と知り合った。「お笑いをやりたい」「近くの大学の学園祭に出られるから、漫才をやろう」と誘われた。

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「素人ですけど、ネタを僕が書くことになって。お客さんに受けて、調子に乗って2人でテンションが上がった。芸人になるかもって思ったら、ちょっと視界が開けた感じがしたんです。

ますます大学に行かなくなり、フェリーに乗って大阪の2丁目劇場に行き、ショーに2回ぐらい出たんです。 その後、相方がイベントで頭が真っ白になってネタが飛んで、『やっぱり就職するわ』って言われて、解散しちゃった。

僕みたいなグダグダのむちゃくちゃな人生を送ってきた人間と違って、先輩は真面目にコツコツやってきた人だから、芸人なんてよく分からない道は選べないだろうと納得しました」

失踪同然に東京の養成所へ

その後、山田さんは、愛媛のバイト先や大学の友達、先生、家族にも黙って上京する。

「東京に行って、よしもとの養成所・NSCの試験を受けて。合格がわかったら、そこから何にも言わんと、ある日全部引き払って上京しました。  

愛媛大を僕は除籍だと思っていたんですけど、のちに仕事で愛媛大に行って問い合わせたら、中退になっていました。僕が失踪してから何年間か籍はあったみたい。親父が、戻ってくるかもしれへんから言うて、授業料を払って、休学で何年間か維持していてくれた」

引きこもりから脱して入った愛媛大。そこから姿を消してまで、入ったよしもとの養成所でも、挫折を味わったという。

「僕は東京のNSCの3期生、AMEMIYAやトータルテンボスの代で。自分みたいな、いいかげんな人生を送って、行き場を失ったやつが失踪同然で集まっているとこやと思っていた。なのに、NSCのクラスのドアを開けたら、みんな目をキラキラ、 もしくはギラギラさせているんです。高校の同級生で組んできましたとか、既にコンビやネタが仕上がっていたりとか、ダウンタウンになるぞ!とか」

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居場所がなくなって、仕方なく出てきた人はいない。 結局、NSCも、1年も行かずに辞めた。お金が足りなくなったのもある。

「当時は、赤坂見附に吉本の東京本社があって、その地下に稽古場があった。僕が電話だけで決めた部屋が池袋方面で、風呂なしトイレ共同。 そこから赤坂見附まで通うと、電車賃もかかるし、後半は歩いて通ったんですね。めちゃくちゃ遠いし、しんどくなって」

「ルネッサーンス」髭男爵への道

「髭男爵」は、ひぐちさんといちいさんが関西学院大学在学中に結成したコント集団が母体だ。

「僕はNSC時代に、ツッコミがうまいっていう評判があったらしくて。 元々彼らはトリオで、ツッコミ役が就職するから辞める、ツッコミ役が必要だと言って、僕の部屋を訪ねてきました。トリオを組んだけど、ライブのオーディションとか、全部落ちました。いちいがすぐやめて、よく知らないひぐちくんと残されました」

「貴族と執事」という設定になってからは、山田さんがワイングラスを掲げながら「ルネッサ~ンス」とコールし、ツッコむ。2006年のM-1グランプリで準決勝に進出、敗者復活戦でウケ、話題となった。『爆笑レッドカーペット』の出演をきっかけに2007年、ブレイク。山田さんの半生を振り返ると、引きこもりから脱して大学に受かったのは、成功体験だと思う。

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「ルネッサーンス」でブレイク!

「大学というより、中学受験です。一発屋って言われているけど、六甲学院中学に短期間で受かった成功体験が一回目で、ルネッサーンスが二回目の一発屋。

中学受験の勉強自体は、娘を見ていても、自分の経験上もハードだと思います。その分、他の習い事ややりたいことをやれないこともある。

でも結果が出て合格したときの、あの高揚感は、得がたいものではある。それで天狗になったりしなければね。 六甲に受かったことも、その後、自分を支える一部分ではある。僕みたいないいかげんな人生を過ごしてる人やと、自分史の年表に書くこともそんなにないんです」

一番絶望を感じていたのが、NSCを辞めて、自分が思い描いていた人生でなくなったときだという。その感覚は、「ルネッサーンス」でブレイクするまで、ずっと続いた。

「高校に行っていない、大学も途中で辞めている、履歴書は真っ白で、到底就職なんかできへん。芸人辞めたら死ぬぐらいしかないなとほんまに思っていたから。でも何とか生き延びた。

中学受験は、自分を支える成功体験であったとともに、自分はできるはずという、こじれたエリート意識を持ち続ける枷にもなっていた気がします」

「いい学校」とは

名門中学に入ったけれど不登校に。引きこもりから抜け出して、合格した愛媛大でお笑いに出会う。こうして山田さんの波瀾万丈なライフヒストリーを聞くと、中学と大学で、転機があったと感じる。  

ままならない期間もあったけれど、ブレイクした「ルネッサーンス」は老若男女に知られている。テレビのコメンテーターとして活躍し、著書も多い。結婚して、父親でもある。自虐トークの多い山田さんだが、「仕事や家族に恵まれて、素晴らしいじゃないですか」と投げかけると、「そうですかね」と優しい表情になった。

いい中学やいい大学は、いい環境やいい人間関係につながり、その先の人生を支えるものになるかもしれない。だが、必要以上に厳しい塾通いを強いられたり、中高とずっと勉強を頑張らないとならなかったり、それが教育虐待だとされ、子どもの心身が壊れることもある。

山田さんが娘さんを見て感じた、「行きたい学校に行ってほしいけど、やりたいことを我慢して無理しているのではないか」という心配、親のジレンマに共感した。

学校を選ぶ際は適性や通学の負担を考慮することが大事で、時には思い切った進路変更も必要なのではないか、と考えさせられた。下のお子さんの教育や、地方移住の夢など、気になることはあるそうだが、ずっとシルクハットをかぶって「ルネッサーンス」と言い続け、周りを明るくしてほしい。