「ロッキング・オン」渋谷陽一さん逝く 大物ミュージシャンら8人追悼文を全文公開

佐野元春

音楽雑誌「ロッキング・オン」を創刊し、大型ロックフェス「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」をプロデューサーとして初めて開催した音楽評論家、渋谷陽一さんが14日に死去した。74歳だった。

「Alexandros」の川上洋平

一昨年11月に脳出血のため入院し、リハビリに取り組んでいたが、誤嚥性肺炎を併発するなどして、亡くなったという。

渋谷さんが会長を務めるロッキング・オン・グループが22日に死去を発表すると、影響を受けたミュージシャンからSNSでの追悼が続々と寄せられている。

「恩人」と称えるBOWWOW山本恭司、初期からの支援に感謝

ロックバンド、BOWWOWのリーダーでギタリストの山本恭司(69)は自身のX(旧ツイッター)で、こう綴った。

渋谷陽一さん、BOWWOWにとっての恩人の一人でした。1976年に彼の担するNHK『ヤングジョッキ一』で洋楽に混ぜて唯一の邦楽『Heart’s on Fire』をかけてくれた上に、その翌週は番組の全部の時間を使ってスタジオライブをやらせてくれました。

伊藤銀次

まだデビュー直前のBOWWOW(平均年齢19歳)にとってはそれが大きな追い風となり、直後の日本青年館のデビューコンサートも満杯、その後OAとして回ったエアロスミスやKISSのライブでも、洋楽ロックのファンの方たちからも温かく迎えてもらえました。

1st、2ndのライナーノーツも書いて下さり、彼抜きではこんなに充実したデビューは迎えられなかったと思っています。

※写真は出会った頃の1976年当時のもの。

渋谷さん、あらためてありがとうございました。安らかにお眠りください。

シンガー・ソングライターの佐野元春(69)は、自身のフェイスブックに追悼文を寄せた。

佐野元春「彼がいたから、僕は自分の声を信じることができました」

渋谷陽一さんが旅立たれたという知らせを受け、深い悲しみに包まれています。

僕がまだキャリアの初期にいた頃から、渋谷さんは一貫して僕の音楽に耳を傾け、言葉を尽くして紹介してくれました。時に鋭く、時に優しく、音楽そのものと誠実に向き合うその姿勢に励まされました。

彼は、日本のロックやポップカルチャーにおいて、ただの“評論家”にとどまらない存在でした。新しい音を恐れず、若い才能を見つけ、支え、育てる。僕を含め、多くのアーティストが渋谷さんの言葉に背中を押されてきました。

議論したこともありました。でも、いつもそこには「音楽が好きだ」という純粋な想いがありました。音楽への情熱と、聴き手への誠実さ。その姿は、今も僕の心に焼きついています。

渋谷陽一氏。彼がいたから、僕は自分の声を信じることができました。あなたが信じてくれた音楽の力を、これからも僕は信じ続けます。ありがとう。

心よりご冥福をお祈りいたします。

佐野元春

写真は2022年幕張メッセCDJ会場で

ロックバンド[Alexandros]のボーカリスト兼ギタリスト、川上洋平(43)は自身のXに追悼文を投稿した。

川上洋平「この人は本当に音楽が好きで仕方ないんだな」

この場をお借りして、渋谷陽一さんのご逝去に心より哀悼の意を表します。

雑誌を通してはもちろん、フェスなどの場面でも大変お世話になりました。

一読者として、そして音楽を愛する者として、深く感謝しています。

個人的な思い出としては、まだ注目される前のインディー洋楽アーティストのライブに足を運ぶと、必ずと言っていいほど渋谷さんの姿がありました。

そのたびに、「この人は本当に音楽が好きで仕方ないんだな」と感じたのを覚えています。

あまりにもいろいろなライブでご一緒したため、いつしか「お、やっぱいたか」と渋谷さんから言われるようになったときは、心の底から嬉しかったです。

恵比寿ガーデンホールで、隣り合わせで観たArlo Parksのライブも、今では懐かしい思い出です。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

川上洋平

音楽シーン全体に広がる追悼の輪、編集仲間も深い喪失感

さらに、Xではミュージシャンの追悼コメントが続いている。

シンガー・ソングライターの伊藤銀次(69)は、「渋谷陽一さんがお亡くなりになりました。伊藤銀次も大変お世話になりました。日本の音楽界に大きな功績を残されました。ご冥福をお祈りいたします。安らかにお眠りください」と故人を偲んだ。

ミュージシャンのサンプラザ中野くん(64)は、渋谷陽一様 大変お世話になりました 貴方の応援により爆風スランプは日本の音楽界に追い風を受けて漕ぎ出せました そして今も走り続けられています 天国で清志郎さんと楽しんでください♪またお会いしましょう R.I.P.」と追悼。

シンガー・ソングライターのダイアモンド✡ユカイ(63)は、「頑固一徹燻銀の音楽評論家。ロックのエンタメにいつも一石を投じる革新派。お世話になりました。ご冥福をお祈り致します」と別れの言葉を寄せている。

編集仲間からも別れを惜しむポストが寄せられている。

「ロッキング・オン」で2年間編集を務めた後に、フリーランスを経て作家となった小田島久恵氏は、「渋谷陽一さん、悩んだり疲れたりしている姿を一度も見たことがない。出勤一日目、薄手のポロシャツとショートパンツを着ていたら『もっとまともな服を着てきなさい」と叱られた。毒舌でいつも笑顔で大声で怒っていた。退社後も仕事をいただき東京で生きていくことが出来ました。ありがとうございました」と感謝を述べた。

そして、「ロッキング・オン」創刊メンバーで、「イコール」編集長の編集者、橘川幸夫氏(75)は、万感の思いを込め、次のように連続ポストをした。

創刊メンバー橘川氏「渋谷陽一がいない時代って、いったい何なんだろう」

「もしかしたら、10年くらい前から、渋谷陽一の体の奥底では、何か病の種が芽を潜めていたのかもしれない。あの同窓会を始めた頃、どこか少しずつ柔らかくなっていた彼に、今思えば何かを感じていた気もする。何も言えなかったのが悔しい。」

「渋谷陽一の死の知らせを受けて、悲しいとか寂しいとかいうより、もっと大きなものがごっそりと抜け落ちたような感覚だ。あいつがこの世界にいないということが、どうにも信じられない。ただただ、時代にぽっかりと穴があいたような欠落感だけが残った。」

「今、泣きながらこれを書いている。たぶんこれからも、私はずっと泣いていると思う。渋谷陽一がいない時代って、いったい何なんだろう。一緒に走っていた同伴者が突然消えたみたいだ。」