中川安奈が語る、NHKアナウンサーになった理由 「自分の意見をしっかりと口にするCNNのキャスターに憧れました」

今年3月末に9年間勤めたNHKを退社し、フリーアナウンサーとなった中川安奈さん。幼少期と思春期に海外で過ごした彼女が考える自身の“強み”とは? 大学時代に学んだことや、NHKのアナウンサーを目指した経緯などをお聞きしました。※前編元NHK・中川安奈アナが語るプエルトリコでの10代「12歳でダンスパーティー、イグアナに遭遇…動じない心が育まれました」>から続く
■「日本に染まりたくない」複雑な気持ちがあった
――フィンランド及びプエルトリコで計8年を過ごした後、日本の中学に編入されました。どのような中学生でしたか?
プエルトリコでは、妹と私以外は日本人の子どもがいない環境で育ちました。だからこそ、帰国してからは「日本ならアットホームな気持ちになれるかもしれない」と期待する気持ちもありました。
でも、実際に日本で暮らし始めると「日本に染まりたくない」という気持ちも芽生えてきて……。複雑な気持ちが入り混じり、難しい時期を過ごしていたな、といま振り返っても思います。帰国して一年ほどは、妹とはあえて英語で会話をしていたので、側から見ればあまり感じは良くなかったと思います(笑)。
「プエルトリコで育った」という事実をアピールしたいのか、隠したいのか、自分でもよくわからず、様々な思いが交錯していました。いまはどんな自分も「私の個性だ」と認められるようになりましたが、そのころは当時日本で流行っていた“モテ女子”の雰囲気を目指そうとするなど、余計なことばかり考えていたと思います。日本の中高一貫校に編入するも、新しい環境を求め高校受験をすることにしました。

――高校受験では、どんなことを大切にされましたか。
私はがむしゃらに勉強し、他人と競争して、という日本の受験システムが合わないと感じていたので、大学まで進める高校を目指すことに決めました。お尻に火がついた最後の3カ月は本気で勉強をしたと言えますが、それまでは長時間机に向かうことに価値を見いだせず、塾でも落ち着きのない生徒だったと思います。最終的に帰国生入試として、早稲田実業学校高等部と慶應義塾湘南藤沢高等部を受験し、幸いどちらも合格することができました。

■憧れたのはCNNの女性キャスター
――最終的に、慶應義塾大学湘南藤沢高等部に進学されました。決め手は?
プエルトリコでは、毎日半袖と半ズボンで過ごしていたこともあり、私には日本の制服に対する強い憧れがあって。漫画で目にするような、可愛い制服をミニスカートのようにして着たいという漠然とした思いがありました。合格してからは母に付き添ってもらい、それぞれの学校の校門の前に立ち、在校生の制服の着こなしや雰囲気を実際に見に行ったことも。結果的に、生徒たちの自由な出で立ちに惹かれ慶應義塾湘南藤沢に進むことにしました。自宅から片道2時間近くかかりましたが、3年間、頑張って通いました。

――大学は、法学部政治学科へ進まれました。
私は、CNNの女性キャスターが自身の意見をしっかりと口にする姿を見てアナウンサーに憧れを抱くようになっていました。そこで、ジャーナリズムをしっかりと学ぶことのできる法学部政治学科に進むことを決めました。プエルトリコ時代にCNNで見たキャスターたちの“自ら強いメッセージを発する姿勢”に感銘を受けたのですが、日本のテレビで目にするアナウンサーたちは少し雰囲気が異なっていて。
在籍していた学部にも、本気でアナウンサーを目指す友人はたくさんいましたが、どちらかというとタレントやアイドルに近いアナウンサーに惹かれている人が多い印象でした。それはそれで素敵だな、と思いながらも、私が目指すところは少し違うな、という思いもありました。

■大事にしていたのは「直接現場に行く」
――自身が進みたい道に近づけるよう、意識して行っていたことはありますか。
一般的には“堅い”と思われていることにも興味を持ち、挑戦すると決めたのは私にとって大きな変化だったと思います。まずは私自身がもっと勉強しなければ、と思い、大学2年生の時にスタンフォード大学に短期留学しました。
卒論はグループと個人で、二つ書きました。一つは「原発報道の論調について」。もう一つは、「ヘイトスピーチについて」。どちらも各新聞がどのように報じているかを中心とした、メディア比較を行いました。記者かアナウンサーか迷いながらも、勉強を重ねていくなかで自然とNHKを目指すようになっていました。

――そのころの自分を振り返り、「頑張ったな」といまも覚えていることはありますか。
「直接現場に行く」ということをとにかく大事にしていたと思います。ジャーナリスト志望の友人たちと東日本大震災によって被害を受けた地域に行ったときは、様々なことを肌で感じました。就職活動においても、できる限り多くのOB・OGのもとを訪れることを大切にしました。自ら足を運び、自分の目で見て話を聞くことの大切さを身を持って知ったのも、このころだったと思います。
■フリー転身は、楽しみのほうが大きかった
――いま、改めて考えるご自身の“強み”とは?
これまでのアナウンサー生活で大切にしてきたのは、「人と会話をする時の空気感」です。うまく出来ているかはわかりませんが、仕事でもプライベートでも、「一緒にいる人を明るくハッピーな気持ちにするにはどうすればいいか」ということは常に考えてきたつもりです。
これは長い海外生活の中で、知らない人と「はじめまして」の環境に身を置くことが多かったことが影響しているかもしれません。既に関係性が出来上がっているグループに、初対面の人が入ってくると、最初はどうしても探り合いをするような空気がありますよね。私は幼いころからそれがとても苦手で(苦笑)。どちらかというと、「探り合いをするような空気を積極的に壊していきたい」という気持ちがありました。
アナウンサーとして仕事をするうえでも、「この方だったら、こういう話し方がいいかな」「どんなふうに質問したら楽しく話してくれるかな」といったことは常に頭の中でぐるぐる考えながら実践してきたつもりです。どんなお仕事でも、そうした気遣いをさりげなくできる人間でありたいと思いますし、これからも大切にしていきたい、と思っている部分でもあります。
――フリーになるうえで、不安や恐怖心はなかったですか。
それがまったくなくて。むしろ、新しい世界に飛び込む楽しみのほうが大きかったです。両親や友人たちからは、「とりあえずNHKに残って考えてみたら」と言われましたが、そうした声を聞けば聞くほど、「いや、いま動いてみよう」という気持ちになっている自分がいました。
フリーになって半年。いまは、これまであまり公に口にすることがなかった自分のプライベートな一面をさらけ出してみることに、楽しく臨んでいる時期ですが、今後はコメンテーターの仕事に挑戦するなど、ジャーナリスティックな部分も磨いていけたらと思っています。そのうえで、これまでの海外経験を活かしながら、誰かの笑顔を生む仕事をしていけたらいいな、と考えています。

(構成/古谷ゆう子)
○中川安奈(なかがわ・あんな)/1993年生まれ、東京都出身。3歳から4年間、フィンランドで過ごし、一度日本に帰国した後、10歳から4年間をプエルトリコで過ごす。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、その後アナウンサーとしてNHK入局。2025年3月にNHKを退社し、フリーアナウンサーに転身。現在はバラエティ番組を中心に活躍。