ロックバンドKISSの創設メンバー、エース・フレーリーが死去
伝説のギタリストが死去

米国を代表するハードロックバンド、「KISS」の創設メンバーでリードギタリストを務めたエース・フレーリーが10月16日、74歳で死去した。
1973年にKISSを結成

エース・フレーリーは1951年に米ニューヨークで生まれ、高校時代にバンド活動を開始した。そして、1973年にポール・スタンレーやジーン・シモンズ、ピーター・クリスらとともにロックバンドを結成し「KISS」と名付けた。
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1974年に『キッス・ファースト 地獄からの使者 』をリリース

1974年、KISSはデビューアルバム『キッス・ファースト 地獄からの使者 』を発表した。批評家からの反応はいまひとつだったものの、白塗りのフェイスペイントや派手な衣装、独自の世界観に基づいたライブパフォーマンス、そして高い音楽性により、多くの人びとを熱狂の渦に巻き込んだ。
独学でギターをマスターする

フレーリーは2009年に行われたインタビューで、ギターを習ったことはなく楽譜も読めなかったことを認めた。だが、稀にみる才能と音楽的センス、そしてアッという適菜ライブパフォーマンスにより、世界で最も影響力のあるギタリストの一人となった。
リードギタリストとサブボーカルを務める

KISSでは初代リードギタリストとしてデビューアルバムを含む9枚のアルバム制作に参加し、情熱的な演奏を披露したほかいくつかの楽曲ではボーカルも担当するなど幅広い活躍を見せた。
1982年にKISSを脱退

しかし、薬物依存に陥ったフレーリーはバンドの活動に影を落とすようになっていった。さらに、音楽的方向性にも違いが生じたことから1982年にKISSを脱退。2年後に「フレーリーズ・コメット」を結成して2枚のアルバムをリリースしたものの、新バンドでは大きな商業的成功を得ることはできなかった。
1996年にオリジナルメンバーが集結

フレーリーズ・コメット解散後はソロ活動を行っていたフレーリーだが、時の流れとともにKISSメンバーとの溝も埋まり、公演にゲスト参加するほどになっていった。そして1996年、KISSはオリジナルメンバーによる再結成を宣言して人々を驚かせ、世界ツアーで大きな成功を収めた。オリジナルメンバーの活動は2002年まで続いたが、この年にジーン・シモンズとの関係が悪化したためフレーリーは2度目の脱退を決めた。
ギターからもうもうと煙を出す演出

フレーリーが愛用していたギターはギブソンのレスポールだ。愛器には独創的なカスタマイズを行い、ソロ演奏中にギターからもうもうと煙を出したり火花を散らせたことで知られる。こうした演出はファンを熱狂させたほか、次世代のギタリストにはかり知れない影響をもたらした。
今年9月に脳出血を起こしていた

70代に入ってからも音楽活動を続けていたが、今年9月にレコーディングスタジオで転倒し、頭を強打してしまった。すぐに病院に搬送されたものの、脳出血と診断されて数週間にわたり生命維持装置を装着されていたという。
年内のコンサートはキャンセルに

フレーリーが脳出血と診断されたことを受けて、カリフォルニアで近日中に予定されていたコンサートはもちろん、年内の残りのツアーについてもキャンセルが発表された。フレーリーは入院先で治療を受けていたものの、その甲斐なく10月16日に帰らぬ人となった。
家族に見守られて逝去

フレーリーを見送った妻ジャネット・トレロトラは、次のような声明を発表した:「悲しみに打ちひしがれ、胸が張り裂ける思いです。残されたわずかな時間を通じて彼に愛情や思いやり、温かな言葉や思い、そして祈りを捧げられたことは、不幸中の幸いでした」
「壮大な瞬間」

長年にわたりフレーリーと特別な絆で結ばれていた妻ジャネットは、ロック史に名を残したギタリスト、フレーリーの死を「壮大な瞬間」と表現した。
妻ジャネット・トレロトラ

ジャネット・トレロトラはイタリア系米国人の女優で、二人はKISSが人気絶頂期にあった1976年に結婚した。のちに破局したものの、フレーリーが籍を入れたのは生涯を通じてこのときだけだった。
一人娘モニーク

1980年、二人の間に娘モニクが誕生した。父と娘は仲が良いことで知られ、近年は二人並んだ画像や動画をSNSに投稿していた。2023年には、おそろいで「ACE」というタトゥーを入れた写真を公開している。
画像:acefrehleyofficial / Instagram
ジャネット・トレロトラとの別れ

ジャネットとフレーリーはかなり以前に破局を明らかにしているが、原因のひとつに世界的ロックスターとしてのライフスタイルがあったことはいうまでもない。フレーリーは自書『No Regrets(後悔はしない)』で、破局についてこう語っている:「二人は人生をやりなおす必要を感じており、そのために法的別居の可能性も検討しました。しかし、ジャネットは自分の道を進むことを決め、じっさい地元に住むほかの男性と交際をしていたのです」
マスコミに注目されていたプライベート

ただし、二人が離婚手続きをとったかどうかは定かではなく、情報サイト「ハリウッド・ライフ」は正式な離婚届は提出されていないとしている。一方、フレーリーは多くの女性と浮名を流し、2024年にはそれまで6年近く交際していた女性ララ・コーヴと破局したことが伝えられた。その私生活や女性関係はつねにマスコミの注目を集めていたのだ。
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後悔はない

数多くの忠実なファンそして家族を後に残し、74歳で死去したフレーリーだが、人生に悔いはなかったようだ。データベースサイト「IMDB」に対し、「さまざまな過ちがあったが、それを乗り越えたからこそ今がある。だから、なにひとつ後悔していない」と語っている。長年にわたり活躍を続けたロックスターの冥福を祈ろう。