太田光代 「夫・太田光とは何度も離婚を考えたけど、期待するのをやめてけんかもなくなった。でもやっぱり2人で旅行したい」
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【書影】『社長問題! 私のお笑い繁盛記』(著:太田光代/文藝春秋)
妻であり社長であり
太田とは夫婦というだけではなく、社長と所属タレントという関係です。お付き合い中に私の家に彼が住んでいたころや結婚した当初は楽しかったですね。でも、会社を始めて関係が変わりました。太田の夫としての魅力ですか?あんまりないんですよね。(笑)
<光代さんは東京都出身。太田プロダクションに所属し、モデルやタレントとして活躍していた時に、太田光さんと交際。1990年7月に爆笑問題の事務所独立騒動が起こり、その秋に光さんと結婚。1993年、独立騒動で仕事がなくなった爆笑問題のため、光代さんが芸能事務所「タイタン」を立ち上げた>
妻ではなく、初めて「社長」として太田に接したのは、独立後初となる爆笑問題の単独ライブを企画した時です。グダグダ言い訳をしてやりたがらない2人を一喝しました。
太田と私はタレント同士だったら、とっても仲が良かったと思います。でも社長とタレントですし、仕事先の人に信用してもらわなきゃいけない。タレントは知らなくていいことの方が多いんです。夫である太田に全部伝えるというのはよくない。そういう意味では、太田が疑心暗鬼になったこともあるでしょうけれど、それは仕事を円滑に進めるためだから、別に間違っていたとは思いません。
ただ、社長になった後でも、たまにですが「妻として」という思いはどうしても出てくる。寂しいんでしょうね。社長業は孤独なので。社員にも言えず、自分でなんとかしなきゃいけないことも多いけれど夫にも話せない。そういうときに、内容は言えないけれど違った形で太田に甘えようとしても、甘えさせてくれないんです。太田は甘えてはきますけど自分が甘えているとも多分思ってない。葛藤だらけでした。けんかも多かったですね。
離婚しなかった理由は?
度々離婚しようと思っても結婚生活を続けてきたのは、仕事が継続しているから。いつも先の仕事を考えてしまうんです。 何回か「ここは別れても大丈夫かな?」と思うタイミングで、タイタン所属で顧問弁護士の橋下徹さんに相談しましたがうまくいかなかった。

『社長問題! 私のお笑い繁盛記』(著:太田光代/文藝春秋)
20年くらい前、橋下さんから「本当に離婚したい場合は何も悟られずに、いつものように太田さんを送り出して荷物だけまとめて出てきてください」と言われたので、その通りにしました。「けんかして出てくると絶対にお互いにいき違いが出てくる。いつものように出てきてくれたら後は私たちがやります。それがいちばん円満です」という話でした。向こうに書いてもらうだけの状態の離婚届を持って家を出た後、私の仕事場で橋下さんが数時間、話を聞いてくれて。
そこで橋下さんが「一回、太田さんと会って話したほうがいいですよ」「光さんは何時に終わるんですか」と言い出した辺りから怪しくなってきて。橋下さんが「僕が呼びますから。一緒に食事でもしましょうか?」と。それでお寿司屋さんへ。3人で話しているとき、私が太田について少し過剰に文句を言ったんでしょうね。橋下さんから「僕の妻がそんなことを言ったらちょっと許さないですよ」と言われてしまって、私、泣きました。
その場に至っても、太田は何もわかっていない。だって、けんかもせずに私は普通に家を出てきたわけですから。「なんで急に離婚の話をしているんだろう」と思っている。「橋下さんにも私のことを分かってもらえてない」と思うと「なんだ、これは」と悲しくなりました。私、めったに泣かないのに。でも、橋下さん、「この時は感動の涙かと思った」と今も冗談で言っています。私は本気でしたけど。
その日はもう「仕方ない」とあきらめました。その後も橋下さんに何回か相談しています。さすがに橋下さんも「次相談されたら離婚させた方がいいだろう」と思っているような気もします。
不妊治療終結の報告で光さんが…
<2000年代に入るとタイタンでは橋下徹さんと、当時芸人だった長井秀和さんもブレイク。会社が好調なその裏で、30代後半になった光代さんは不妊治療に取り組んでいた>
結婚して数年たつと、帰省のたびに義父から子どものことを言われるようになりました。不妊治療もうまくいかず、事務所も第二期の幕あけともいえる時期だったので、このタイミングで「不妊治療をやめます」と太田の実家に2人で行って報告することにしたんです。太田はもともと「別に子どもがいなくたっていい」という感じでしたから「まあ連れて行っても何も言わないだろう」と思っていました。
太田の精子の量が同年代より少ないという精液検査の結果と、「お互いの年齢を考慮すると妊娠は難しい」という医師の見解を書いてもらった書類を持って説明したんです。義父に「うちの光に限ってそんなことはない」と言われたのですが、意外なことに太田が言い返してくれて。義父側につかれたら、「もう多分この人とは無理」となっていた。この時言い返してくれなかったら、離婚していましたね。

タイタンの太田光代社長
今まで何度も離婚しようと思ってきましたが、そのいくつかは太田がちゃんとケアしてくれればよかった話です。まず、太田は約束を破る。旅行の約束をしていても行かないと言い出す。「じゃあいい。私1人で行ってくる」と家を出ようとするとついてくる。
それなら最初から来ればいいでしょう。太田は運転免許を持っていないから、私が車を運転する。途中で雪が降ってきて、「なんで私が運転しているんだろう」と思う横で太田はガンガン寝ていますからね。「今度こそ離婚だな。離婚確実だな」と決意するんですが、到着した先で偶然氷の結晶がキラキラ輝いていた。スターダストに遭遇したんです。太田を起こして「ほら、見て。きれいじゃない」と言って見せる私も私。めったに見られない綺麗なものだから、そこにいたのが夫じゃなくても私は起こして見せてあげたと思います。でも、太田はそういうことがない。私の気持ちが太田より勝るんですよ。
私は必ず出張に行くとお土産を買うけれど、太田は買ってきません。最近になって、太田が何かしら買ってくるようになりましたが、マネージャーも同じものを買っていますから、見かねたマネージャーが買わせているだけでしょうね。(笑)
期待しなくなって
「別居したらどうか」と言われますが、私は離婚するなら、はっきり別れたいタイプ。別居する意味はないし、籍だけ抜いて一緒に住むことも考えられない。私は1人で生きていけますもん。太田は難しいかもしれませんが、もし離婚したら太田に協力しますよ。お手伝いさんを探すなり、住む場所を探すなり。事務所がタレントさんの住む場所を探す場合もありますから。
私には、離婚したら住むことができるマンションがあるんです。20年くらい前に購入した仕事用の部屋です。購入当時から離婚のことはもちろん頭にありました。寝室には天蓋付きのベッドを素敵にしつらえてあって、十分暮らせる状況です。そもそも仕事場ですから。
とはいえ、最近はだいぶ太田とのけんかも減りました。というか、しなくなりました。私の「甘えたい」という気持ちも減ってきて、ここ数年で太田に期待をするのはやめました。変に期待しても自分がイライラするだけ。たまたまうちに太田光さんという人がいて、一緒に住んでいるルームメイトみたいな感じで受け止めています。

タイタンの太田光代社長
その太田光さんはうちの会社と契約しているタレントで、お笑いを届けたり、本を書いたりする仕事をたまたましている(笑)。私自身も、たまたま芸能プロダクションの社長をやっている人だと考えるようになりました。
でも、夫婦の関係が落ち着いたという感覚ではないし、できるだけ気を抜かないようにしています。私の人生は「今が一番いいな」と思った途端に何か起きるので。
社長じゃなくなっても
タイタンを創業して30年以上が経ちました。いつまでも決定権を持っていちゃいけないと思っています。今、61歳ですが衰えは感じていて。70歳ぐらいまではなんとかなると思いますけど、そこから考えるのでは遅いですから。
社長を辞めても太田との関係は、昔のようなタレント同士という感じにはならないでしょうね。私は何か違うことを始めたいし、太田はもうずっと芸人なんじゃないですか。私は変化していくけれど、太田はあんまり変化を好まない。だから、関係がどうなっていくのかはちょっとわからない。
大人向けの劇場も作りたいし、まだまだやりたいことがあるんです。ここ10年ほどですが、たまに女友達と旅行するようになりました。仕事では日本全国、海外も行きますが、仕事じゃなくて遊びに行きたい。旅行もできれば太田と行きたいんですけどね。私が誘うと「行こう」とは言いますけど結局行かないんですよ。反省している感じが全然ない。いつも離婚話を聞いてもポカンとしています。

タイタンの太田光代社長
今思うと、40歳は若かった。40歳のときからあっという間の20年でした。次の20年後は80歳。自分のやりたいことを大事にしていかないと「自分の人生は一体何だったんだろう」となってしまう。後悔するのは本当に嫌なので、これからは自分のやりたいことに向き合っていきたいですね。