新田恵利さんが母と愛犬を亡くして至った境地 「遺される側の心の整理のためにも介護させてほしい」

この9月に愛犬を亡くしたというタレントの新田恵利さん。家族の一員とも呼べる存在を亡くすことは喪失感がある。数年前には母も、介護の末に看取った。そのほかにも、数々の苦難を乗り越えてきたという新田さんに、これまでの話、これからの話を聞いた。
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――愛犬を亡くされたそうですね。
この9月に我が子のようにかわいがってきた愛犬、杏(あんず)が亡くなりました。
食事をとろうと、私のほうに向かって歩いている途中でバタンと倒れてしまったのです。急いで夫と心臓マッサージをしましたが、そのまま彼女は逝ってしまいました。あまりにも突然のことで、自分で自分がおかしくなってしまうんじゃないかと思うほど不安定な時期がありました。夫はそんな私を支えるのに必死で、悲しむこともできなかったと思います。2カ月がたちようやく今、日常が戻ってきた感じです。
ただこう話している今も、とてもつらいです。杏に会えないこと、杏がこの世界にもういないことが。
15歳の高齢犬でした。亡くなる半年ぐらい前から私もリビングで一緒に寝るようになり、夜中に薬を飲ませたり背中をさすったりしていましたが、お空に行くのはまだまだ先だと思っていました。歩けたし、食事もちゃんととれていましたから。前日の夜もいつも通りごはんは完食。亡くなった日の朝も、さぁごはんを食べようと歩いている途中でした。
通常は、高齢になると徐々にごはんが食べられなくなり、お水も飲めなくなり、衰弱して痩せていきます。それは、犬も人間も同じで、ゆっくりと「死」に向かっていきます。それなのに杏の死は突然で、本当につらかったです。
――数年前に、お母さんの介護も経て看取られました。
人が死に向かっていくプロセスを私は母の介護で深く感じました。母が亡くなったのは4年前。2021年3月でした。享年92。

私は6年半、母を自宅で介護して、最期も家で看取りました。腰椎の圧迫骨折を機に入院。その後、認知症状が出て、「え? どうしちゃったの?」と母の様子の変化に驚きながらも、同じ屋根の下に暮らす母を、夫と兄と3人で協力して介護態勢をつくり、最後は静かに逝こうとする母のために、お手製のエンディングドレスを作りました。きっとあの時間は母との別れを受け入れるための時間。ドレスは旅立ちにどうにか間に合って、母はそれを着て棺に納まりました。
何でも話す親友のような存在だった母がこの世界からいなくなった年は、母の好きだったものが出てくる「初めての季節」を体験することになり、つらかった。この和菓子好きだったな、食べさせてあげたかったな、とか。それが一周すると、だんだん心が落ち着いてきました。私は介護を悔いなくやりつくしたという気持ちがあったので、それほど引きずらなかったと思います。
介護って、遺される側の心の整理のためにあるのだと思っています。それは犬も同じです。杏を突然失って、今思います。どうして介護をさせてくれなかったの?と。 私は父を17歳で亡くしています。おニャン子クラブのメンバーとしてデビューした年でした。今でも覚えています。その日は終業式で、私は少し早く学校から家に帰ったのですが、そのとき父は家にいて元気でした。そのまま仕事に行き、戻ってきたときには父が亡くなっていました。病気による突然死でした。救急車の中で息絶えたと聞きました。私はそれ以降、兄と一緒に母を支えてきました。
――芸能界に入ってからのこれまでは、大変なことも多かったのでしょうか。
私はおニャン子クラブの会員番号4番で、芸能の世界に入りました。意図せずというか、自分の中では学校の課外活動の延長のような感じでした。メンバーの子たちとも、学校の友達みたいな感覚。「話が合わない」子もいれば、挨拶程度はする子がいたり、すごく仲が良い子もいたり。いろんな距離感の友人がいて当然ですよね。おニャン子時代はおなかがすいていても仕事の都合でごはんが食べられなかったり、眠たくても眠れなかったり、食事と睡眠の不規則が私はつらかったです。当時は「なんで夕飯の時間なのにごはんも食べさせてもらえないんだろう」って思っていましたから(笑)。

私が57年生きてきて、もっともつらかった時期はと聞かれたら、間違いなく「25歳からの4年間」と答えます。22歳でおニャン子クラブの活動をやめて、物書きの仕事を始めました。小説を書いたり作詞をしたりしました。群ようこさんに憧れていました。とはいえ、モノを書くにも人生の引き出しが圧倒的に少ない。もっといろいろと体験しないと、深みのある原稿は書けないのかなと感じて、もう一度芸能の世界に戻りました。それが25歳のときです。
ただ私はもともと華やかな場所が苦手。旅番組を中心にひっそりと活動しましたが、この頃は本当にきつかった。自分が何をやりたいのか、女優業なのか?自分自身がわからず、もがいていました。当時は心に決めた相手がいるわけでもなく、孤独でした。何をやっても「元おニャン子」がついてきます。私の人生、これからどうなるんだろう。あの頃は、部屋で一人、飲めもしないお酒を泣きながら飲んでました。そんな悲惨な中でも唯一わかったのは、人間どん底まで落ちると必ず浮上するということです。
28歳で彼と出会い、結婚して私の人生は明るく楽しいものになりました。夫とは趣味も夢も目的も一緒。最高のパートナーです。
――そのパートナーも数年前に病気になりました。
夫が数年前に悪性リンパ腫(現在は寛解)になったときは、もちろんショックでしたが、不思議と「主人はだいじょうぶ」という確信が心のどこかにあり、さほど悲観していませんでした。そんなふうに捉えられるのはきっと、いつも前向きだった母譲り。
大好きだった母も、杏もいなくなってしまったけれど、私にはいつも「だいじょうぶ?」「どうしてる?」と気にかけてくれる人がたくさんいます。これが私にとって「やさしさ」につながっていると思います。
これからも前を向いて明るく生きていきます!
新田恵利(にった・えり)/1968年生まれ、埼玉県出身。タレント、エッセイスト。85年に「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)に出演し、おニャン子クラブ会員番号4番として人気を博す。86年「冬のオペラグラス」でソロデビュー。97年に結婚、2000年から湘南で、夫・実母・愛犬と暮らす生活を始める。14年に実母の介護が始まり、21年3月に6年半にわたる介護を経て、実母を看取る。在宅介護体験を綴った『悔いなし介護』(主婦の友社)を出版。23年4月から淑徳大学総合福祉学部社会福祉学科の客員教授。現在は夫と愛犬(蘭丸)と暮らしている。
(AERA編集部・大崎百紀)
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