ネーミングと並行してデザイン…スーツを着た人間が怪獣王を演じることになった理由と、名前がゴジラに決まった現場秘話

新作の公開が11月に予定されている「ゴジラ」。怪獣の王が初めて登場した70年前、昭和の只中にいったい何が起こったのか。1954年に「戦争のメタファー」として登場したゴジラは、すぐれた映像技術と結びついて、70年以上にわたって圧倒的存在感を示し続けてきた。いまや世界を席捲する怪獣の王となったゴジラ。その誕生のヒストリーを紐解いてみた。──『「ゴジラ」東宝特撮・SF映画史』(講談社)より一部抜粋・編集して紹介。

ネーミングと並行してデザイン…スーツを着た人間が「怪獣王を演じることになった理由と名前が「ゴジラ」に決まった「現場秘話」

「G作品」の台本が完成。怪獣は、大ダコか恐竜か。

第五福竜丸や第十三光栄丸などの被曝事件を起こしたビキニ環礁の水爆実験をこの企画に結びつけたのは、田中である。東宝の企画会議は田中の案を映像化不可能と判断したが、森は強く推した。その結果、田中の企画はジャイアントの意をもった『G作品』という仮題で進行されることが決定する。東宝文芸部の松下 忠とともに田中が怪奇幻想的な作品で知られる作家の香山 滋を訪ねたのは、5月12日のことである。田中のアイデアを物語として構成する原作を依頼したのだ。香山の原作はリテイクを経て27日にシナリオのかたちで完成、それを基に急いで『G作品 検討用台本』が印刷された。田中はその直前の5月23日または24日、台本が初稿の段階で円谷に会って作品への参画を依頼する。それを快諾した円谷はその場で怪獣の形態に大ダコを提案したらしいが、田中は恐竜が時節に合うと主張、最終的に怪獣は恐竜タイプということで折り合いがついている。

▲完成した「G作品」台本

Godzilla TM & TOHO CO.,LTD.

『G作品』の監督は特技担当の円谷と同じタイミングで本多猪四郎に決まり、脚本は東京発声映画製作所の監督から東宝の監督となり脚本家に転身した、顔なじみの村田武雄に発注されることになる。本多と村田の人選の理由は、どちらも円谷と組んだ経験があったからで、今回の作品は特撮との連携がキモであるという認識が全社的に周知されていたことがうかがえる。本多と村田は『検討用台本』を土台にして脚本作業に入り、やがて『G作品 準備稿』が完成する。それをもって特殊美術を担当する渡辺 明を軸にしたチームが全228シーン、306カットに及ぶ絵コンテを起こし、それをピクトリアルスケッチとして場面構成などが検討され、怪獣が白熱光を吐く、背びれが光るなどのアイデアも盛り込まれていく。

その名は「ゴジラ」。デザインも詰められていくが……

『海底二万哩から来た大怪獣』では長いため、しっくりとくる怪獣名はさまざまに検討されたようだ。クジラ×ゴリラから発想した説や東宝演劇部の社員(網倉志朗)のあだ名がグジラだったという話もあって真実は藪の中なのだが、難産の末に名前が「ゴジラ」となったのは6月のことで、そのゴジラのデザインはその月の末に決定している。デザインは、渡辺 明が「LIFE」誌の恐竜図録などを参考にラインを設定、渡辺と彫刻家の利光貞三が共同で粘土原型を作りながら細部を詰めていく方法がとられている。

▲ゴジラ1号スーツ

Godzilla TM & TOHO CO.,LTD.

円谷はゴジラを表現するにあたり、『キング・コング』と同様のストップモーション撮影を考えていた。ゴジラの精巧なフィギュアを1秒につき24コマ撮影し、ミニチュアワークやスクリーンプロセス、合成などを使い分けて場面を構成していく手法である。しかしこの方法は、とにかく時間がかかる。そこで、次善の策としてスーツを作製して、人間が怪獣を演じることになった。そのスーツの製作を担当したのは利光貞三で、八木勘寿と八木康栄、そして開米栄三、鈴木儀雄たちが試行錯誤を重ねてスーツを作り上げていく。粘土状の生ゴムと綿を組み合わせたゴジラのスーツは製作途中で2体製作されることになり、8月初めに完成した100㎏を超える1号スーツは、ほとんど動くことができなかったという。軽量化を意識した改良版の2号スーツの完成は8月半ばとなり、1号スーツは腹部で分割され、上半身、下半身がそれぞれ寄りの撮影に使われることになる。

岩畠寿明(いわはた・としあき)

エープロダクション所属。1984年より講談社テレビマガジンにて、特撮ヒーローや怪獣映画ほかの記事を担当し、特撮関連のMOOKや児童向けの絵本などを構成・編集。近年は、特撮映画やヒーロードラマのシリーズMOOKも多い。