演歌歌手・市川由紀乃「更年期かと思ったら〈卵巣がん〉だった。9ヵ月の闘病を経て復帰。若くして逝った兄の手紙を今も支えに」

5月13日に新曲『ちりぬるを』を発売した演歌歌手の市川由紀乃さん。2024年夏にステージ1の卵巣がん治療のため活動を休止し、25年2月に復帰してから2枚目のシングルとなります。市川さんにがんの闘病や家族の支え、新曲に込めた思いを聞きました。(取材・文:婦人公論.jp編集部)

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【写真】こんなにボロボロになるまで…亡き兄・浩司さんからの手紙

由紀さおりさんに背中を押されて…

2023年の夏ごろから、生理不順や腰痛などの不調が少しずつ増えていました。ただ、40代半ばを過ぎていたので「更年期かな」と自分の中で言い聞かせていたんです。

そんな時に、由紀さおりさんとご一緒する機会があって。症状をお話したら「絶対検査に行って。何もなければそれで安心できるし、何かあった場合はすぐ処置をしないといけないから」と強く勧めていただいたんです。24年5月のことでした。

もともと私は病院があまり好きではなくて、特に婦人科は少し行きづらいと思っていました。でも由紀さんは「この先生に連絡して」と連絡先まで渡してくださって、収録の合間にも「連絡した?」と確認してくださるほどで。

そこまで気にかけてくださることがありがたくて、「これはもう行かないと失礼だな」と思い、すぐに予約しました。今振り返ると、あの時病院に行っていなければ、卵巣がんはもっと進行していたはず……。由紀さんには本当に感謝しています。

「まずは治療だけを考えてください」

由紀さんの紹介で5月末に婦人科を受診し、血液検査やMRIを受けました。MRIの検査結果は1週間ほどでわかると聞いていましたが、わずか数日で医師から「卵巣腫瘍の疑いがあるので病院に来てほしい」と連絡があったんです。

検査結果を聞く当日、稽古場から病院へ向かいました。松平健さんの芸能生活50周年記念の舞台を1ヵ月後に控えていて、大阪、東京、名古屋、福岡と回る長期公演の予定だったんです。だから翌日も当然稽古に行くつもりでしたが、先生から「明日から仕事は止めてください」と言われて。

本番直前のタイミングで、自分が降板することになれば、どれだけ周囲に迷惑をかけてしまうか……。隣で医師の話を聞いていた母も「この舞台だけは立たせてください」と先生にお願いしました。

でも先生ははっきり、「もし卵巣が肥大して破裂したらどうするんですか。まず治療することを考えてください」と。その言葉を聞いて、何も言えなくなりました。

 

手術室に流れた曲は…

<卵巣腫瘍の状態を確認するため、開腹手術をして腫瘍を摘出。手術中の病理検査の結果、卵巣、子宮、骨盤のリンパ節と腹膜の一部を切除した>

手術は午前中から夕方まで6時間に及ぶ大がかりなものでした。手術室では緊張を和らげるために好きな曲を流してくれると聞いていたので、「仮面ライダー555」の主題歌を選びました。アップテンポな曲で、自分はこれから戦いに挑むんだ、という気持ちでした。

でも脊髄麻酔が背中から体に入っていく時はあまりに痛くて、ありったけの声で「痛い!」と叫んでいました。痛みに耐えているうちにワンコーラスが終わり、次のコーラスが始まるころには、意識が少しずつ遠のいていって……。

次に目を覚ました時には、遠くから母親の声が聞こえてきたんです。自分では覚えていないのですが、私は「もう手術しない?」と母に聞いたみたいで。それぐらいつらかったんだと思います。

でも本当にきつかったのは、手術の後でした。目が覚めてからは、体が燃えているように熱く、手術をした腹部が痛くてじっとしていられない。痛み止めの注射と点滴を交互に打ってもらっても、なかなか楽にはならなかったんです。夜になっても眠れず、ナースコールを押すたびに「今何時ですか」と尋ねて、「まだ深夜1時です」と言われた時には、「朝まであと何時間あるんだろう……」と気が遠くなりました。

由紀さおりさんに背中を押されて…, 「まずは治療だけを考えてください」, 手術室に流れた曲は…, 抗がん剤治療が始まり…,  支えになった母の存在,  亡き兄がくれた手紙,  元気になった歌声を聞いて

入院中の市川さん

抗がん剤治療が始まり…

手術後10日間入院し、退院後は再発防止のための抗がん剤治療が始まりました。抗がん剤を投与した後、最初の1週間は味覚障害が出て、口の中がお醤油のような味になるんです。何を食べてもしょっぱく感じるので、ヨーグルトやおかゆを中心に食べていました。

ただ幸い、吐き気止めのお薬の効果もあって吐き気に悩まされることはなく、今はいいお薬ができているんだと実感しました。

2クール目からは髪が抜け始めました。最初はブラシを通すと抜けた毛が少しつく程度だったのが、3クール目にはとかすたびにどんどん抜けていって。ちょっとずつ髪が薄くなっていく時が一番つらかったですね。だから途中からは思い切って髪を短く切って、最終的には「もう全部なくなったほうが楽だな」と思うようになりました。

手術を終えて、復帰に向けてまた頑張らなくちゃ!と思っていましたが、手術した腹部は力が入らず、思うように声も出せない。抗がん剤の影響で手足や顔のむくみもひどくて「もう人前に出るのは無理かもしれない」とあきらめかけたこともありました。

今でもお腹には違和感があって、長いステージの後などに着物を脱ぐと、気づいたらお腹をさすっていることも多いんです。1年前に比べれば痛みは和らいでいますが、この痛みがなくなった時に、ようやくがんとの闘いが終わるのかなと思っています。

由紀さおりさんに背中を押されて…, 「まずは治療だけを考えてください」, 手術室に流れた曲は…, 抗がん剤治療が始まり…,  支えになった母の存在,  亡き兄がくれた手紙,  元気になった歌声を聞いて

抗がん剤による脱毛のため、ウィッグをつける市川さん

 支えになった母の存在

闘病中支えになったのは、母の存在でした。母はとにかく明るくて、こっちは声を出すだけでお腹が痛いのに、平気で笑わせてくるんです。「やめて、本当に痛いから」と言いながらも、そのやりとりにどれだけ救われたかわかりません。

母は「いろんな痛みを知ることで、もっと人に優しくなれるし、歌や言葉で何かを伝えるときにこの経験がプラスになる」と言い続けてくれていました。

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母・栄子さん(左)と市川さん

私の兄が18年前に39歳で亡くなっていたこともあり、もし私が先にいなくなって母を残すことになったら、どれだけ親不孝だろうと考えていました。

7歳上の兄は先天性脳性麻痺の影響で、知的障害がありました。でも私の学校行事やカラオケ大会など、どこに行くにもいつも母と兄と3人で行動していたので、家族3人の絆はとても強かったですね。

兄は私のことを誰よりも応援してくれていましたが、デビューから9年後の2002年、私は「燃え尽き症候群」になり、歌手活動を休止してしまったんです。

4年半ほどアルバイト生活を送っていましたが、兄はなぜ私が歌わなくなったのか理解できず、暴れることもありました。兄は私がテレビやラジオに出るたび、養護学校の先生や友達に「妹が出るので見てください」なんて電話してくれていたんですよね。それができなくなったことで、感情のコントロールが難しくなって。だからもう一度兄の笑顔を見たいと思ったことが復帰のきっかけでした。でもそれから数年で兄は他界してしまって……。

亡くなったのは突然だったので、母のショックも大きくて。初めて泣き崩れる母の姿を見ました。その後もしばらくは、母は兄のお骨を抱いて過ごすような日々が続いて。当時はお金もなくて、お墓も買えなかったんです。明るくて友人も多い母でしたが、その頃は外出もせず、口数も減っていました。

それからは兄のお墓を買ってあげることを目標に、必死で働きました。1年半後、少しずつ貯めたお金で兄のお墓を建て、納骨してからは、母も少しずつ気持ちが変わっていったようで、徐々に元の明るさを取り戻していきました。

 亡き兄がくれた手紙

私は今でも、兄が生前書いてくれた手紙を肌身離さず持ち歩いています。以前は仕事でステージに立つときはお守りを胸元に忍ばせていたのですが、厚みが気になっていました。そんなことを母に話したら、母が「じゃあ兄に書かせる」と言ってくれて。

母が「お守りにするから、妹に何か書いて」と兄に伝えたら、「いっぱい声が出ますように」「笑顔も忘れないでね」と書いてくれたんです。それ以来、私がテレビ番組に出たり、コンサートに出たりするたびに、兄は私に手紙を書くことを楽しみにしてくれるようになりました。兄は学習能力は小学生程度でしたが、頑張って漢字も書いてくれて、日付と自分の名前を添えて、まるで表彰状のように渡してくれていたんです。

もうボロボロになっていますが、折りたたんで着物の胸元に入れ、本番前には必ず手を当てます。

 元気になった歌声を聞いて

<復帰後1作目となった前作『朧』(おぼろ)は第67回日本レコード大賞編曲賞など数々の賞を受賞。その制作チームである作詩・松井五郎、作曲・幸耕平、編曲・佐藤和豊が再び結集し、新曲『ちりぬるを』が完成した>

復帰後2作目となる『ちりぬるを』は、叶わぬ恋と知りながらも、一度きりの恋にすべてを捧げる女性を描いたドラマティックな作品です。

最近は歌謡曲に近い楽曲が多かったのですが、復帰後に「また演歌を聴きたい」という声を多くいただき、改めて演歌と向き合おうと生まれた一曲です。いろんな経験をした今の自分だからこそ、素直に表現できるこの歌と巡り合えました。前作よりもさらに元気になった歌声を聞いていただけるとうれしいです。

由紀さおりさんに背中を押されて…, 「まずは治療だけを考えてください」, 手術室に流れた曲は…, 抗がん剤治療が始まり…,  支えになった母の存在,  亡き兄がくれた手紙,  元気になった歌声を聞いて

新曲『ちりぬるを』のジャケット写真