大森元貴が超ロングインタビューで『#真相をお話しします』を語り尽くす!"鈴木”のキャラ解釈、ネットリテラシーへの持論、「天国」制作秘話まで

現在、2025年上半期実写邦画No.1ヒットを爆進中の『#真相をお話しします』(公開中)。日常生活に潜む歪みを扱った、容赦ない“どんでん返しの5連撃“が話題になった結城真一郎の同名原作小説を、リスペクトをこめて大胆にアレンジした意欲作だ。Mrs. GREEN APPLEの大森元貴とtimeleszの菊池風磨のW主演という話題性に気を取られるが、いざ作品を鑑賞してみると【ネタバレ禁止!】というポップなパッケージこそが、本作の一つのトリックであることがわかってくる。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

邦画実写週末観客動員ランキング3週連続No.1を記録している『#真相をお話しします』(公開中)

映画初出演&初主演にして、まさに稀代のトリックスターと呼ぶにふさわしい大森に、公開中だからこそ可能なネタバレすれすれのインタビューを敢行。国民的人気バンド=通称ミセスのフロントマンとして、彼らの全楽曲の作詞/作曲/編曲、 さらに作品のアートワークおよびミュージックビデオのアイデアまで、楽曲に関するすべての要素を担当する大森の口から語られる刺激的な“真相“とは?

※本記事は、ネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)を含みます。未見の方はご注意ください。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」

ミセスやtimeleszのファンのみならず、映画ファンをも巻き込んでの記録的なヒット。単なるファンムービーに終わらなかった本作の、公開後の反響の凄まじさを聞くと「素直にうれしいなと思います」とニッコリ。「友達が普通に『映画観たよ』と連絡をくれたり、自分の親も観に行ってくれたり。エンドロールが終わる最後の瞬間まで、ほとんどの人が席を立たなかったとも聞いて、お芝居と主題歌の両方にかかわらせていただいた自分としてはすごくうれしいですね」。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

独占インタビューで語ってくれた大森元貴。7000字超えの大ボリュームでお届け

主演俳優の一人として、人生初の映画のプロモーション活動にも挑戦。「音楽活動の宣伝活動とはセオリーがまったく違うので、刺激的だったしおもしろい経験でした。でも、限られた時間の中で映画の宣伝をする大変さも感じました。この映画ってなかなか一言では言い表せない内容じゃないですか。“スリリングでミステリーで、でも泣けるし考えさせられます”って、どんな映画かわからない。その自覚を持ちながら宣伝活動をするのは、なかなか難しかったです」。

その難しさの最大の要因は、大森が演じた鈴木の正体を決して明かせないことだろう。鈴木について語ることそのものがネタバレになってしまうため、 宣伝期間は「鈴木=謎の男」で押し通すしかなかったのだ。

「確かに役柄について話せなかったことは、自分のなかで課題の一つでした。あとはこの映画の(表面的な)ポップさ、間口の広さをうまく利用しないと、映画の本質にたどり着くことができないとも思ったので、そのポップさをフル活用できたらいいなと。鈴木のことで話せることが少ないなか、 世間的には“いま話題の2人がW主演!”という目で見られるのが、最初に目指すべきところでした。ティーン世代にこの映画を深く届けるためには、僕らのキャスティングや雰囲気は、この映画の非常に大きなトリックになったなと思う。【#真相の部屋】(本作の宣伝を目的に立ち上げられた東宝映画初のYouTubeチャンネル)も、バカバカしければバカバカしいほどいいよねという気持ちで取り組み始めたんです。

僕らもわかって始めているので、それがだんだん一本の線になっていくのは見ていて爽快でしたね。この映画って、一歩間違えれば“説教映画”になってしまうので、うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います。それを僕と風磨くんが理解したうえで宣伝活動ができたのは、すごく大きかったと思います。ヒロシ(【#真相の部屋】のMCを務めた東宝宣伝部の名物担当者)の緩さもトリック…だったかはわかりませんが(笑)、僕自身YouTubeチャンネルに出ることもあまりなかったし、ナチュラルにしゃべっている姿を見せる機会も少なかったので、すべてトリックの一つになったと思います。SNSが軸になっている映画なので、皆さんを巻き込むべきだし、観終わったあとも日常と地続きになっているというのは、この映画の大切なフックですよね」。

もちろん観客はティーンばかりではない。いまやSNSを一切やっていない人を探すほうが困難な時代に、あの衝撃的とも言えるラストシーンについては様々な意見、感想がSNS上でも飛び交っている。それは大森の目にも当然入っていた。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

”謎の男”として存在していた鈴木が、クライマックスで観客に突きつけるものとは?

「バラバラな意見が出ているのがおもしろかったですね。“観なきゃよかった”みたいなマイナスな感想はあまりなかったんですが、“これは映画としてありなのか?”みたいな感想はあって。それに関しては僕も思っています。無理矢理、胸倉をつかまれるような終わり方だから、どういう風に評価されるんだろう?と公開前は正直不安ではありました。でも、“なんで映画を観にきただけなのに、こんなに怒られないといけないの?こわっ!”って拒否反応を起こされる方もいるかもしれませんが、それよりもどかしいのは、本当に届けたい人に届かないということ。そういう人って当事者意識がまったくないから。この映画を見てSNSとの向き合い方について考えてみようと思ってくれる方って、非常にピュアだと思うんです。この映画ってエンタメなようでエンタメじゃないようで、エンタメじゃなくて、やっぱりエンタメ!みたいな。それがずーっと続く映画なんですよ。茶番のようで現実で、現実のようで茶番でもある。そのバランスが大切なんです 」。

それを最も切実に感じるのは、劇中の伝説的動画チャンネル“ふるはうす☆デイズ”だろう。ある島で暮らす幼い4人の子どもたちの日常が、実の親たちによって隠し撮りされ、金のために世界に晒され続けたのだ。これこそ「茶番であってほしい」と願わずにはいられないが、現実世界でも絶対にない話とは言い切れない怖さが残る。映画では原作やコミカライズ作品とは違い、あえて彼らの親の“その後”は描かれていないが、大森は「それにも意味があると思う」と語る。

「僕も最終的には“親が悪いだろ!”とは思いますし、親について憤りを感じたり突っ込んだりしている観客はある意味とても正常だと思う。映画で描かれていないところは、自由に汲み取ってもらえればいいのかなとも思います。ただ、この映画のコンセプトとしては、“誰もが被害者であり加害者”だということ。誰しもが罪を抱えて、許しを乞うように生きているんだけど、その姿は非常に情けなくもあり愛おしくもあるということだと思います」。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

映画のコンセプトをかみ砕き、語るなかで大森の人生観も見えてくる

「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」

避けて通れないのがネットリテラシーの問題。匿名性の暴力は、現在進行形でいまこの瞬間も誰かを傷つけている。最近だとミセスのなりすましの出現に対し、大森自らがはっきりと苦言を呈したことも記憶に新しい。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

ネットリテラシー、引いては”リテラシー”について持論を語る

「なりすましに関しては、なにが楽しいのか全然わかりません。僕は世代的にデジタルネイティブですけど、例えば子どものころに友達と喧嘩をしたとか、思い出すとちょっとチクリとする、恥ずかしい経験って誰でもあるじゃないですか。それをいま、皆がネットでやっているというか。その“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています。匿名性の暴力や誹謗中傷に関しても、僕個人の話でいうとたまったもんじゃないです。顔も出さず、なんの責任も負わない人に、なんで好き勝手言われないといけないんだ?と。でも、その時点でフラットな関係性ではないので、僕にはあまり響かないし、意味を持たないですね」。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

生配信チャンネル「#真相をお話しします」のチャンネル管理人は視聴者を煽り、投げ銭を促す

ネットリテラシーについては、「個人的には少し変な言葉だなと思っていて」とも。「まさに“ふるはうす☆デイズ”の親たちがそうですが、ネットリテラシーを問うている作品でもある。“これはやってもいいけど、これはやったら終わりだよね”という、人としての最低限のリテラシー(知識、能力を活用する力)だから、そこに“ネット”がついたからってリテラシーが急に変わるわけじゃないじゃないですか?ネットリテラシーって本来人としてのリテラシーのはずで変な言葉だなあって思っています。正しい道徳心とは…なんてことを言っていると、やっぱり“説教映画”になっちゃいますね。でも本気で怒ってくれる人たちが減っているのは、リテラシー衰退の一因なのかなと。“正しく怒る”って非常に愛情が必要なことなので、僕はこの映画のことを宣伝期間中ずっと“抱きしめてくれるような映画”だという言い方をしていました。それはいまでも正しい気がしています」。

「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」

これから映画を観ようと思っている人もまだまだいるはずなので、鈴木の詳細はあえて避ける。だが鈴木という男を、どうしようもなく損ない、歪めてしまったある出来事に関して少しだけ語ってもらった。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

警備室で知り合った桐山に、時折心を許した表情も見せる鈴木。公開まで”謎の男”として詳細は伏せられたままだった

「いろいろな要因はあるとは思いますけど、鈴木があそこまでこじれてしまった理由は、正しい愛情と正しい説明を受けてこなかったからなんじゃないかな。それに自身の身体の不調がトリガーになり、悪い意味でいろんなことがピタッとはまってしまったと僕は解釈しています。なにか一つでも歯車が違うところに噛み合っていたら…。“バタフライエフェクト”じゃないけど、全然違ったものになったんだろうなと思う。それこそ、風磨くん演じる桐山に、もう少し早いタイミングで出会っていたらどうだったんだろう?とかね。風磨くんも言っていたんですが、桐山って鈴木に完璧に心を許しているじゃないですか。それは鈴木もわかっていて、絶対にうれしいはずなんです。だから最後の最後で、鈴木からしたら最悪な形で心がぶれてしまった。“あれ?なんで俺こんなことしてるんだっけ?”と」。

鈴木とはまったく異なるタイプの桐山が、SNSを肯定しているキャラクターであるということも、本作の複雑でおもしろい点だ。「そうなんです!それはこの作品の映画チームが強くこだわったところでもあって。SNS=悪だと言い切るのはあまりにも乱暴だと僕自身も思っているし、実際にSNSで救われた命もありますよね。SNSが持つ数字の強さ、拡散力は現実にあるものだからこそ、その使い方は正しくありたいというのはこの映画の大事なところだと思います。そしてそこを桐山が担っているのが最高だなと思う」。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

菊池演じる桐山は、生配信チャンネルの投げ銭で金儲けをしようと、人生も懸ける

一方でネットが簡単に人の心を壊してしまうケースも。使い方によっては諸刃の剣となり得るのが、SNSなのだ。「僕らのファンでも、SNSの使い方がよくわからないまま使っているような、キッズと言われる本当に若い世代もたくさんいます。でもその子たちが悪いとはまったく思わなくて、それこそ“リテラシー”を教えるツールや人が必要だなと。匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところですね。先ほども言った誹謗中傷の話で言うと、無自覚で人を傷つけてしまうのが一番の悪だとも感じています。同時に2025年現在、ミセスとして活動している自分はSNSの力を非常に借りています。だからこの映画もSNSは怖いよねっていう単純な話ではなく、結局人って怖いよねっていうことなんですよね。ネット=人であることを忘れないほうがいいと思う」。

「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」

「なんか難しい話になってます?やばい?」と笑顔も見せながら、終始真摯に言葉を継いでくれた大森。「僕にもし子どもがいたら、この映画、観せますよ。“ちょっとびっくりするシーンもあるけど、正しい時期がきたら子どもに観せたい”というような感想をつぶやいている方もいて、その時、この映画は教材になり得るんだなと思ったし、僕と同じ感覚で楽しんでくれたんだなと思いました。逆に、“自分も当事者になった気がする!”みたいに言っている観客の一体何人が、半年後この映画のことを覚えてくれているかな?とも思っていて。でもそこがおもしろいところ!人ってそんな大層なものじゃないんですよ。だからこそ、僕は『天国』が書けたんです」。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

【写真を見る】『#真相をお話しします』の”舞台裏”をテーマに大森元貴を撮りおろし!ヘアメイクも協力してのショット

ここで、先日TVの音楽番組でも披露された、本作の主題歌「天国」の話題に。全身を震わせ絞り出すように歌う彼の姿は、劇中の鈴木と限りなくダブって見え、胸が苦しくなった方も多いだろう。この主題歌と共に流れるエンドロールの”2つの光”の映像を制作したCGディレクターの福地亮介は、「天国」というタイトルを知らずにデモ音源を聞きながら作業を進めるなか、「天国みたいなイメージの曲だな」と感じていたというミラクルも!

「それってすごい話ですよね!めちゃくちゃうれしかったです。映画で流れるのはムービーバージョンで、少し短くなっているんですけど、ラストの終わり方には自分のなかで確かなイメージがありました。実際映像を観てみたら、つかず離れずの2つの光が最後はプツンとこと切れるような美しい映像で。“ああ、音楽の可視化をしてもらったな”と思いました。映画は総合芸術ですが、音楽ってライブ以外は目で見て楽しむことがなかなか難しいじゃないですか。あの映像は必要最低限の情報でありながら、とてもエンドロール然としていたし、主題歌は主題歌でちゃんと立たせてもらった状態でしっかり作品につなぎとめてくれていた。それぞれの『#真相をお話しします』の、もっと先を垣間見られたような気がして僕も感動しました」。

現在公開されている「天国」のMVも最後は咲き誇る花を踏み潰し、唐突に終わりを告げる。

「決して“天国に行けたね”という話ではないんです。人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる。それを繰り返す生き物だということを描きたかったのかな。豊島(圭介)監督と鈴木のことを話すうえで度々出てきた“狂った凪”という両極のワードも、楽曲作りの大きな拠り所になりました」。

「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

本作の出演以降も、NHK連続テレビ小説「あんぱん」の出演が控えるなど、俳優業も広がりを見せつつある大森。当初は『#真相をお話しします』の出演に躊躇したというエピソードは、いろいろな場所で本人も語っている通りだが、いま現在この選択をどのように感じているのだろうか。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

Mrs. GREEN APPLEの大森元貴とtimeleszの菊池風磨のW主演は発表時から大いに話題を呼んだ

「スクリーンデビューがこの映画チームで本当によかったです。お芝居の仕事をするというのは、自分としては恥をかきにいくつもりの挑戦でした。環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる。それを心の底から言えた現場だったので、感謝しかありません。当時もやりたくなくて迷ったわけではなく、いろんなことを鑑みてやるべきか否かと悩んだんです。豊島監督が僕のことを“プロデューサー・プレイヤー”と表現してくれたそうですが、僕は普段ミセスの楽曲だけでなく、メンバーの髪型、髪色から衣装まですべて決めているんですよ。だからそんな自分が俳優部として一つのピースになれるのかが、最初は不安だった。でもそれもこのチームとは映画『青夏 きみに恋した30日』、『ラーゲリより愛を込めて』でお仕事をした流れがあったからこそ。もし初めてのチームだったら?無理無理!絶対無理です。僕、内弁慶ですから!」 

ちなみに俳優業を経験したことについては、「自分を俳優とも思っていない…という言い方は失礼になるかもしれないけど、とにかくまだまだ俳優業に関してはわからないことばかりです。ただやるからには一生懸命やらせてもらいます」。

「うまく緩和と緊張感のバランスを取るということは、キャスティングの時点から既に始まっていたんだなと思います」, 「“恥のかき方”が大衆化されていることに、すごく違和感を覚えています」, 「匿名性を盾に、年齢や経験値をすべて一本化しようとするのは不可能なので、そこはSNSの進化に限界を感じるところ」, 「人って目の前のものに目が眩むと、足元の大事なものに目がいかなくなる」, 「環境が変わったり背負うものが多くなったりすればするほど、なにかの“初心者”として『教えてください!』とは言えなくなる」

「このチームには本当に甘えさせてもらった」と繰り返す大森元貴

長時間にわたったインタビューの最後まで、「このチームは僕の変なところまでよくわかってくれているから、本当に甘えさせてもらいました」と繰り返していた大森。「甘えさせてもらいつつ、自分なりに頑張ったら、めちゃくちゃたくさんの映画館で公開されてる!という感覚なんです。今後も俳優業をやっていくか云々に関しては、答えは考えさせてください(笑)」。

それでも多くの人が思うであろう「俳優=大森元貴をもっと見てみたい」という期待と願望を伝えると、「やば!頑張ります」と笑顔で深々と頭を下げてくれた。淀みなく繰り出されるクレバーなワードの中にこもった、先を見据えた静かな熱。すでに多くの若者を熱狂させているミセスのフロントマン、大森元貴。その快進撃は、一体どこまで進むのだろうか。

取材・文/遠藤 薫