戦後80年「あほか。そんな予行演習して欲しくないわ。」日本全土に投下された「模擬原爆・パンプキン」体験者が語る恐怖【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】

太平洋戦争末期、アメリカは日本各地を標的に、「パンプキン」と呼ばれる爆弾を使って原爆投下の訓練を進めていました。大阪市に住む爆撃の体験者が語ったのは、爆弾の恐怖と、戦争がもたらすむごさでした。広島テレビの濱野純一朗記者が取材しました。

原子爆弾の模擬原爆「パンプキン」とは…

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原爆資料館の一角に、ある爆弾が紹介されています。それは、原子爆弾の模擬爆弾です。太平洋戦争末期、アメリカは日本各地を訓練場として、原爆に似せた形の爆弾を投下していました。

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■広島テレビ 濱野純一朗記者

「模擬原爆っていう言葉は、今まで聞かれたことってありますか?」

■埼玉県からの観光客は…

「知らなかったです。原爆は、広島と長崎っていうイメージしか私たちにはないし、関東に住んでいると、日頃疎いですけど。もしかしたら、自分たちもっていうことはあったんだなっていうのは、今日、今わかりました。」

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滋賀県大津市の歴史博物館に、模擬原爆の実物大の模型があります。長さ3.3メートル、重さ4.5トン。カボチャのような見た目から、アメリカは「パンプキン」と名付けました。

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大きさや形は長崎に投下された「ファットマン」とうり二つです。中には、核物質の代わりに爆薬が詰められていました。

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アメリカ国内で行われた、爆弾投下の訓練の様子です。ずんぐりとした形の爆弾は、空気抵抗を受けやすく、落下する軌道が不安定だと危惧されていました。この訓練でも、目標を外しています。パンプキンは、こうした懸念を払拭し、原爆投下を成功に導くための訓練用爆弾でした。

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また、落下特性を学ぶこと以外に、原爆投下候補地までの地理を習熟するという意味合いもあったと言います。広島型原爆の形は、パンプキンとは異なりますが、地理を学ぶという点で、広島への原爆投下にも、訓練が大きく影響を及ぼしていました。

想像を絶するむごい時代「何してくれるんや…」

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1945年7月26日、パンプキンは大阪市東住吉区の住宅地を襲いました。龍野繁子さん(100)は当時、中学校の教員でした。生徒たちを連れて勤労動員に出ていた時、その数百メートル先に、爆弾が落ちました。大人1人が抱えきれないほどの巨大な岩が、建物まで飛んできたと言います。投下当時は、生徒たちと建物内にいましたが、生徒や龍野さんにケガはありませんでした。

■龍野繁子さん

「爆風が、周りの家の窓ガラスをみな割りましたね。」

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485棟の建物が被害を受け、7人が死亡、73人がけがをしました。亡くなった7人の中には、龍野さんの知り合いがいました。

■龍野繁子さん

「としちゃんって言うのはね、姉の女学校時分の親友で。その日の朝、ちょうど姉が体調壊してて(薬を届けてくれた)。ここで「さよなら」って別れて帰って。家でその爆弾に吹き飛ばされて、どこへ行ったか姿も分からない。」

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爆弾が落ちたのは、としちゃんがいた自宅の真横でした。遺体は10メートルほど離れた場所で見つかりました。

■龍野繁子さん

「あほか、何してくれるんやって。出ますよね、そんな言葉が。なにもそんな予行演習してほしくないわ。思うじゃないですか。だけど、アメリカさんにしたら、そんなことお構いなしですよね。」

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爆撃が訓練だったと知るのは、戦後しばらく経ってからでした。

■龍野繁子さん

「想像できる?道歩いていたら、脚が1本出てきた、手が1本出てきたとか。そんなむごい時代なのよ。」

日本全土でパンプキンの訓練…そして…

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核爆発を伴わないとはいえ、パンプキンには、強い破壊力がありました。標的は、日本全土に及びました。

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7月20日から1か月ほどの間に49発を投下します。その多くが、原爆投下の可能性がある都市の近くでした。およそ400人の命が失われ、1200人余りがけがをしました。

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アメリカが訓練を重ね、迎えた8月6日。爆撃機Bー29・エノラゲイが、基地を飛び立ちます。そして、午前8時15分、原爆は広島に投下されました。1発の原子爆弾は14万人の命を奪いました。

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3日後の8月9日。長崎に落とされたファットマンによって、7万4千人が亡くなりました。

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終戦時、使われずに残されたパンプキン66発は、海中に投棄されました。アメリカ陸軍の幹部だったジョージ・マーシャル氏は、さらなる原爆計画があったことを後に明かしています。

■アメリカ陸軍参謀総長(大戦時) ジョージ・マーシャル氏

「(長崎への投下以降)我々は、さらに9発の原子爆弾を準備していた。日本本土南端への上陸作戦には、ほぼ間に合うはずだった。原爆を1発か2発爆発させ、それから上陸しようと考えていたからだ。」

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日本の降伏によって、終わりを迎えた原爆計画。訓練場とされたその先には、人々の営みがありました。忘れてはならない記憶です。

【テレビ派 2025年5月20日放送】

取材した広島テレビ報道部・濱野純一朗記者

広島では原爆に関する話に触れる機会が多い中、パンプキン爆弾については、私自身今回の取材まで知りませんでした。取材を進める中、入念に準備を進めていたアメリカの恐ろしさを感じたとともに、一度開戦してしまうと、今の日常では考えられないような状況に陥ってしまうのだと改めて実感しました。その中で、大阪市の龍野さんの体験は、後世に受け継いでいくべきお話でした。直前まで会話をしていた人が亡くなるという怒り。戦争がもたらすむごさへの絶望。ひとつひとつの言葉に重みがありました。中でも、「想像できる?」との投げかけの後に、「きっとできないと思う。でも想像できない世代は幸せなのよ」とおっしゃった言葉が、とても印象的でした。戦争を体験していない世代が幸せであり続けるため、想像力を少しでも大きなものにする努力が必要ではないかと感じます。