アナウンサーと介護を両立、町亞聖さんの「後悔」

アナウンサーと介護の両立, 父親から「ありがとう」の意味, 体の震えが止まらないほどの後悔, 悲しいときは素直に泣けるように, 町さんが今、後悔していること

元気だった頃の町さんの両親。仲睦まじい2人だったが……(写真:町さん提供)

仕事をしながら、家族の介護をする「ビジネスケアラー(*)(ワーキングケアラーとも呼ばれる)」が増えている。経済産業省の試算によると、2020年時点で262万人、2030年には318万人に達する見込みだ。

【写真で見る】ビジネスケアラーだったアナウンサー町亞聖さんとその家族(町さんの近影も)

アナウンサーと介護の両立

フリーアナウンサーの町亞聖さん(53歳)は高校・大学時代、病気の後遺症のため車いすで生活する母親を介護しながら一家のために家事を行い、弟妹の母親代わりを務めた。いわゆる、ヤングケアラーだった。大学を卒業してテレビ局のアナウンサーになってからも、父母ががんで亡くなるまでの間、仕事と介護・家事を続けた。

親の介護は、誰もが直面する可能性がある。仕事との両立はどうしたらいいのか。どう向き合えばいいのか、ビジネスケアラーとしての経験や感じたことを語ってもらった。

前編:親の介護・家事を背負った18歳、町亞聖さんの決意

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ビジネスケアラーの最大の課題は、仕事と介護、家事が時間的に両立できなくなり、離職せざるを得なくなることだ。離職すれば収入が途絶えるうえ、いつまで続くかわからない。介護のため「再就職が難しい」という現状もある。

町さんの場合、そこに“一家を支える大黒柱としての役割”も加わった。

町さんは就職2年目、24歳のときに35年ローンでマンションを買った。実家はあまり裕福でなく、3DKに5人暮らし。父親は母親の介護ベッドの下、町さんと妹は同じ部屋で、弟は4畳半で寝起きしていた。

父親から「ありがとう」の意味

「日本テレビに就職が決まると、父から『ありがとう!』って言われたんです。そのときは意味がわからず、謎の言葉だなと思っていましたが、のちに父から『お姉ちゃん、家が欲しいんだよね』って言われ、そういうことだったのかと腑に落ちました」

車いす生活の母親は、家にいることが多い。もっと日が差し込んで外が見えるマンションで暮らせたらいいのにと、町さんも思っていた。24歳という若さで家族のために家を買うという選択肢は想定外だったが、結局、購入を決めた。

「マンションの購入契約を交わすときは、これで59歳までは会社を辞められないと震える手で印をつきました」

新居に移っても、ビジネスケアラーとしての生活は続いた。

幸い、テレビ局には当時からフレックス制度が導入されていた。町さんは平日の夜11時からのスポーツ番組を担当していたため、午前中にスーパーで買い物をし、夕食の作り置きをしてから、出社することができた。

大学を卒業後は、住宅関係の仕事に就いた妹とスケジュールを調整しながら介護や家事をこなした。妹は仕事と介護を両立させるために、勤め先の会社に事情を伝えたうえで「転勤はしたくない」と要望を出していたという。

アナウンサーと介護の両立, 父親から「ありがとう」の意味, 体の震えが止まらないほどの後悔, 悲しいときは素直に泣けるように, 町さんが今、後悔していること

母親と町さん(写真:町さん提供)

病気の後遺症で片麻痺がある母親にも、食後の洗い物や洗濯機のボタンを押したり、乾いた洗濯物を畳んだりと、片手で時間がかかってもできる家事をやってもらった。「できないことではなく、できることを」を心がけた。

部屋の隅に置いた掃除機を使って、掃除をすることなど、当たり前の暮らしを取り戻していくことが、母親のリハビリテーションになっていた。

「母も妹も、できることを率先してやってくれました。そのときに感じたのは言葉の大切さ。人の手を借りるとき、つい『すみません』と言ってしまいがちですが、感謝を示す『ありがとう』のほうがいい。うちでも、できるだけそう言うようにしていました」

体の震えが止まらないほどの後悔

町さんのケアラー生活が始まって8年目、さらなる試練に襲われた。母親に末期の子宮頸がんが見つかったからだ。ある日の夕食時にトイレに行こうと立ち上った母親の下半身に異常を感じ、確認すると尋常ではない出血をしていて、そのまま病院へ。

診察を受けたところ病状は深刻で、「なんでこんなになるまで放っておいたの」と町さんは医師から言われてしまった。

実は、母親は3年前の子宮頸がん検診で、要観察と医師から言われていた。今でこそ子宮頸がんは、検査で前がん病変(がんに進行する前の変化)が見つかったら、治療で切除することができる。だが、当時はそうしたことや、原因となるウイルス(HPV)に関する情報がほとんど出ていなかった。

「車いすの母をがん検診に連れていくのは、私の役目です。『大変なことをしてしまった』と底なし沼に突き落とされたような感覚で、体の震えが止まらないほど後悔しました」と町さんは振り返る。

母親には病状を伝えなかったが、きょうだいには話した。妹は激しく動揺し泣きじゃくったが、消防士から救急隊員になった弟は「命は長さでなく、深さだから」と声をかけてくれたという。

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妹の成人式で撮った家族写真(写真:町さん提供)

告げられた余命は半年。母親の病気がわかってからも生活は変えず、母親と週1回は近所のスーパーに行き、月に1回は遠出した。町さんは「母親が生きている間は泣かない」と心に決め、いつも笑顔で過ごしていた。

ところが、酒に酔った父親の一言でそんな配慮は無駄になってしまう。

「なんで、お前らはいつもヘラヘラ笑ってるんだ。母さん、もうすぐ死んじゃうんだぞ!」

その場が凍り付いた。

「そのときは、『母さんは何も知らないのに』と目をむくほど驚いたし、『父さんの大バカ野郎!」と憤りも感じました。母が心配で振り向いたところ、『困った人ね』といわんばかりの穏やかな表情をしていたんです」

このときの父母の対照的な姿は、とても印象的だったという。

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インタビューに答える町さん(写真:今井康一撮影)

悲しいときは素直に泣けるように

後日、町さんは「家族が頑張れば頑張るほど、母親は泣くに泣けなかったかもしれない」と思うようになった。歌人で細胞生物学者の永田和宏さんから、こんな経験談を聞いたからだ。

永田さんは、妻が乳がんになったとき、妻の前では平静さを装い、普段通りの暮らしをしようと心がけた。一方、妻は乳がんの悲しみを分かち合えず、平然と暮らす夫の姿に「置いてけぼり」のような寂しさを感じた。ところが、妻の乳がんが再発したとき、永田さんには最初の告知より衝撃が大きく、狼狽して妻の前で泣いてしまった。すると、妻は夫が自分のことのように嘆き悲しんでいるのを見て、むしろうれしかったという。

――そんな内容だった。

「この話を聞いたとき、父母の姿を思い出したんです。母のことで慟哭する父を見て、母も永田さんの妻と同じ気持ちだったんじゃないかと。私は笑顔でいようとして強がっていたけれど、悲しいときやつらいときは、素直に泣いてもよかったんじゃないかと思えるようになったんです」

命に限りがあるとわかったとき、家族はどう対応すればいいか。その答えに正解はない。だが、それでも「自分がどう思っているか、その気持ちは本人に伝えたほうがいい」と、町さんは周囲に勧めるようになった。

母が末期がんと診断された時期、父親にも胃がんが見つかった。さらに、母を自宅で看取った5年後、今度はアルコール依存とビタミンの欠乏により脳が委縮する病気(ウェルニッケ・コルサコフ症候群)と診断された。

父親はそれまで以上に酒の量が増え、それが自らの命を縮めることになった。仕事が終わると酒をあおり、弱音を吐いた。感情にまかせて町さんに物を投げ付けることもあった。

それについて、町さんはこう考えている。

「もちろん、男性にもいろんな人がいるので一概には言えませんが……。父を見ていると、妻の病気や介護で追い詰められて、うつ状態になってしまう男性は多いんじゃないかと思うんです。私と妹がいつも悩みを分かち合っていたように、男性も何でも話せる人や居場所などのつながりを持っておくことは重要だと思います」

町さんが今、後悔していること

母親を看取った町さんが後悔しているのは、「アルバムを見ながら、一緒に思い出を振り返ればよかった」ということだ。

「先に逝く母も、二度と行けないことはわかっていたはず。ともに過ごした楽しかった時間を母と分かち合うことは、家族だからこそできることだったからです」と町さんは言う。

町さんの15年間にわたるケアラー経験は、休むことの許されない多忙な日々の連続だった。

一方で、アナウンサーとしての視野が広がり、想像力と共感力を養い、言葉に深みを蓄える時期でもあった。特に、医療や介護、障害福祉に関するテーマでは、自分の言葉で意見や社会への提案を語っている。

アナウンサーになるための就職活動中、町さんは「障害があっても、普通の暮らしができることを伝えたい」「障害があっても、当たり前の暮らしができる社会にしたい」と面接で訴えた。その原点は30年以上経ったいまでも、心の中に強く持ち続けているという。

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これからもヤングケアラー、ビジネスケアラーの経験を語っていく(写真:今井康一撮影)

*「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」(経済産業省、2024年)