日本各地が原爆投下の“訓練場”に…模擬原爆「パンプキン」の被害 その埋もれた歴史を追う #戦争の記憶
広島・長崎に原爆が投下されてから、今年で80年。あの悲劇の前後、アメリカ軍は「模擬原爆」・通称「パンプキン」と呼ばれる原爆投下訓練用の爆弾を日本各地に投下し、多くの命が犠牲となりました。日本各地が原爆投下の“訓練場”となっていた実態、その埋もれた歴史を追いました。
(「サタデーLIVE ニュース ジグザグ」取材)
■なぜアメリカは「模擬原爆」を作ったのか?

大阪市内で行われた追悼式(2025年7月26日) ©ytv
7月26日は忘れられない日です。山本悦子さん(87)は、80年前のこの日、大阪市内である爆弾の被害に遭いました。

山本悦子さん(87) ©ytv
山本悦子さん(87)
「私が体験したのは小学校2年生の時でした」
それは、空襲警報が鳴り、避難する途中のことでした。
山本悦子さん(87)
「この辺は防空壕がなかったから、路地に逃げ込んだ。ドーンという音と、いっぱい埃や瓦のかけら、そういうものがバラバラと落ちてきた記憶はある」

提供:ピースおおさか ©ytv
山本さんを襲った爆弾は「模擬原爆」。カボチャのような形から、アメリカ軍は「パンプキン」と名付けていました。その形は長崎に落とされた原爆「ファットマン」によく似ていますが、中身は核物質ではなく、大量の爆薬。広島・長崎の原爆投下に向けた訓練のために製造されていたのです。
山本悦子さん(87)
「自分が経験していた空襲は夜2時とか夜3時くらいが多く、(「模擬原爆」の時は)昼間だったので、『あれ?』という感じはあった」

提供:ピースおおさか ©ytv
山本さんを襲った「パンプキン」の被害を描いた絵は、爆風の激しさを物語っています。さらに煙が立ち上り、別の絵では地面に大きな穴が空いています。大阪市に落とされた「パンプキン」によって、7人が死亡、73人がケガをしました。

資料映像:アメリカ軍の原爆投下訓練(取材協力:工藤洋三/出典:ロスアラモス国立研究所) ©ytv
なぜアメリカは「パンプキン」を作ったのでしょうか?ずんぐりとした形の原子爆弾は、落下の軌道の不安定さが懸念されていたため、訓練が必要でした。

米軍が日本各地に投下した「パンプキン」 ©ytv
アメリカ軍は、終戦の年の7月20日から8月14日まで、18都府県に49発の「パンプキン」を投下し、約400人が犠牲になりました。日本各地が“訓練場”になっていたのです。

大津市歴史博物館 ©ytv
うち1発が投下された滋賀県大津市の歴史博物館には、実物大の模型があります。

大津市を襲った「パンプキン」投下直後の写真(取材協力:工藤洋三/出典:米空軍歴史資料室) ©ytv
広島に原爆が投下される約2週間前。大津市の上空から撮影した写真には、煙が上っている様子が確認できます。そこには今も同じ工場があります。
東レ 滋賀事業場・清水雄二事業場長
「ちょうどベンチのあたりが爆弾が落下した中心だと理解しています。当時の寮のようなものが何棟か建っていたが、2棟、3棟が跡形もなく破壊された記録があります」
この会社には、当時の被害を警察や軍に報告した資料が残っています。

投下直後に記載されたとみられる軍や警察への報告書 ©ytv
東レ 滋賀事業場・清水雄二事業場長
「(死者が)6人が8人に書き直されているなど、報告の混乱みたいなものがあります。元々は繊維工場でしたが、当時は海軍から、軍事関係の兵器を生産することを指示されていたので、この場所が狙われた一つの要因だったのかもしれないと思っています」
この爆撃で、16人が亡くなりました。
■「模擬原爆」存在は“偶然”によって発見された

春日井の戦争を記録する会・金子力代表 ©ytv
「パンプキン(模擬原爆)」の存在は、長く歴史の中に埋もれていましたが、1991年、ある市民の気づきによって、知られることになります。「春日井の戦争を記録する会」の代表を務める金子さんは、「パンプキン」の存在を突き止めた1人で、その発見は「偶然だった」といいます。

慰霊碑(赤枠内に8月14日の犠牲者が記されている) ©ytv
春日井の戦争を記録する会・金子力代表
「ここは大きな軍需兵器を作る工場があったんです。慰霊碑の側面に8月14日の犠牲者の名前が出ていますが、翌日の正午がもう戦争が終わるというタイミングで空襲というのは一体何だったんだろうかと」
「終戦の日」直前の空襲―。疑問に思った金子さんはアメリカ軍などの資料を調べていきました。その結果、原爆を投下する特別部隊の活動日程などが記載された出撃表と地図を見つけました。

アメリカ軍資料の中にあった地図 ©ytv
そこには爆弾が落とされた地名が書かれていました。「広島」と「長崎」の文字は、二重の枠で囲われています。

©ytv
春日井の戦争を記録する会・金子力代表
「春日井市の鳥居松とか、ほかの都市は一重の枠。本物の(広島・長崎)2回の攻撃の前後に『パンプキン』を投下していたことが証明された最初の資料です」
しかし、各地に投下された「パンプキン」は、未だに詳細な着弾地点が分かっていないものもあります。
■“埋もれた歴史”の全容解明を…「誰かが光を当てないと」

神戸大学大学院・西岡孔貴さん(27) ©ytv
神戸大学大学院の西岡孔貴さんは、「パンプキン」の被害の全容解明に力を注いでいます。
神戸大学大学院・西岡孔貴さん(27)
「日本全国に49発投下された『パンプキン(模擬原爆)』の中で、着弾地点が分かっていないのは3発だけです」
兵庫県・徳島県・福島県の3発は着弾地点の記録がなく、西岡さんは、兵庫県神戸市の1発を研究しています。原爆に紐づく被害は、広島・長崎だけではないことを知ったからです。

現地調査で発見した金属片 ©ytv
現地調査も行っています。戦後の航空写真などをヒントに神戸市内の山を調べたところ、複数の金属片を発見しました。しかし、成分分析の結果は通常の爆弾。着弾地点の特定は容易ではありません。

あらゆる資料に目を通す ©ytv
少しでも手がかりを見つけようと、文献・新聞、あらゆる資料に目を通します。空襲の証言や記事の中に、パンプキンの情報が埋もれていないかー。爆撃機の動きなどの情報を地道に拾っていきます。その積み重ねが着弾地点の特定につながると西岡さんは考えています。
神戸大学大学院・西岡孔貴さん(27)
「誰かがその歴史に光を当てないと、どんどん忘れ去られてしまう。『パンプキン』が広島・長崎の原爆投下につながり、それが今の国際社会でも生き続ける核兵器という問題につながっている」

山本悦子さん(87) ©ytv
「パンプキン」の被害について私たちに話してくれた山本悦子さんの言葉には、怒りがにじんでいました。
山本悦子さん(87)
「実験みたいなものが、自分の住んでいる近くで落とされたことが本当に腹立たしい」
広島・長崎以外にも、訓練のために命が奪われたという事実。原爆被害のもう一つの側面を再び歴史に埋もれさせてはなりません。
※読売テレビ「サタデーLIVE ニュース ジグザグ」
(2025年8月9日放送分を一部加筆・編集)