「世界に誇れる日本」があらゆる場所で消えている

「良い社会のために」を忘れ、社会の基盤が壊されていく, 「バブルは悪である」と断定する理由とは?, 「いちばん大事なもの」を簡単に現金化させてはいけない, 「日本のすべて」が破壊されてしまった, 「合理的な価格設定行動」の「落とし穴」, すべての現場で「すばらしい日本の消失」が起きている, 「世界一の興行主体」JRAの閉鎖性は大きな問題, JRA調教師免許を開放、実質実力主義にせよ

「ニセコの夏」と言えば、こうしたすばらしい風景を思い浮かべる。筆者はニセコの「バブル崩壊」を危惧していたが、行ってみたら思っていたとおりだった(写真:Grand Seiko/PIXTA)

経済は良い社会を維持するための手段であり、金融は経済を支えるシステムであり、金融市場は、金融を効率化するための1つの選択肢である。つまり、すべては良い社会のためにある。

しかし、これをすべての人は忘れている。

「良い社会のために」を忘れ、社会の基盤が壊されていく

株価を上げるために、金融制度を変更し、金融で儲けられるように、企業の経済行動を変化させ、経済を活性化するために、社会を意図的に変える。変えるときに、その地盤を壊していることに気づかず、上澄みの株価上昇、金融投資利益が増えていることに満足する。「エビデンスベース」の名のもとに、数値的指標があるものだけに集中し、数値化されにくい、最も大事なもの、社会の基盤が壊されていく。

ばかばかしい例では、森林資源を破壊して、メガソーラーで環境破壊し、自然も社会も壊しながら、「再生可能エネルギーによる発電割合」を増加させ、自然が再生できなくなっている。教科書の例では、化学肥料と灌漑をしすぎて、塩害が発生し、肥沃な土地を永久に失っていく。人類が居住した地域は砂漠化し、地球には住めなくなり、月や火星など宇宙へ逃げ出すことを技術発展の成果として誇るという文明を、将来の教科書に残そうとしている。

だが、「それまでには時間があるし現実感もないし、そのころには科学が発達してなんとかしてくれるだろう」と現実逃避で、政策担当者もいわゆる知識人も、目先の数値目標の達成に右往左往している。

しかし、われわれ人類、日本人が長期的に自壊、自滅している例はありとあらゆるところにある。今日は、無邪気な自壊大好きな人々に、毎日起きている現実の事例をいくつかみせつけてやろう。

まずは、北海道のニセコバブル崩壊である。この連載の流れ上、今回はこれを取り上げないといけない。

「バブルは悪である」と断定する理由とは?

なぜ、バブルは悪なのか。

それは、値上がりしている資産に群がるという金融市場の群衆行動が、さらに価格を押し上げ、その価格上昇がさらに群衆を集め、価格がさらに上がるからである。

なぜ価格が上がることは悪いのか。なぜ群衆は悪いのか。それは、もとの資産と無関係な人々が集まるからである。そして、もともとの資産と深くかかわっていた人々を追い出すからである。

その企業を創業から支えていた株主は、アクティビストにとって代わられる。アクティビストはその企業の持つ不動産、現金を吐き出させ、その企業の本来の事業には関心を持たず、現金リターンを今実現させ、抜け殻にして、企業を捨てて出ていく。

アクティビストほどではなくとも、多かれ少なかれ、起きていることは同じだ。企業に、今、儲かるビジネスモデルを提案し、はやりの組織改革を行い(例えば、選択と集中で今儲かる事業だけにしてしまう)、その事業、ビジネスモデルの流行が終わったときには、別のビジネスの種も継続的な事業も、アイデアをくれる顧客基盤もなくなっている。

「良い社会のために」を忘れ、社会の基盤が壊されていく, 「バブルは悪である」と断定する理由とは?, 「いちばん大事なもの」を簡単に現金化させてはいけない, 「日本のすべて」が破壊されてしまった, 「合理的な価格設定行動」の「落とし穴」, すべての現場で「すばらしい日本の消失」が起きている, 「世界一の興行主体」JRAの閉鎖性は大きな問題, JRA調教師免許を開放、実質実力主義にせよ

冬のニセコ。標高1898メートルの羊蹄山を眺めながらのスキーは最高だ(写真:ホーリー/PIXTA)

ニセコは、素晴らしい雪質がスキーヤーたちに愛されたスキー場だった。日本では、もちろんよく知られていたのだが、海外では、まずオーストラリアなどの人々に発見され、ブームとなり、「世界一のスキー場がこの低価格で!」、と人気が急騰した。

最初は、スキーを愛する人々が殺到し、彼ら自身が土地を購入し、別荘を建てた。ここまでは、雪質という天然資源が金銭価格では過小評価されていたのが、是正された、ということで何の問題もない。

しかし、その後、彼らのような人々に分譲するためのデベロッパー(開発業者)が入ってきた。さらに、海外のデベロッパーも殺到した。価格が上がった。ブームになった。「この土地はまだまだ上がる」と思い、海外の投資家が殺到した。デベロッパーは投資家に売るためのホテル、シェアリゾートを開発し、ニセコに来たこともない見たこともない、これからも来ないであろう投資家たちに売りさばいた。こうして、ニセコバブルの終わり、いやニセコ自体の終わりが始まったのである。

「良い社会のために」を忘れ、社会の基盤が壊されていく, 「バブルは悪である」と断定する理由とは?, 「いちばん大事なもの」を簡単に現金化させてはいけない, 「日本のすべて」が破壊されてしまった, 「合理的な価格設定行動」の「落とし穴」, すべての現場で「すばらしい日本の消失」が起きている, 「世界一の興行主体」JRAの閉鎖性は大きな問題, JRA調教師免許を開放、実質実力主義にせよ

完全に投資の対象となったニセコ(写真:編集部撮影)

「いちばん大事なもの」を簡単に現金化させてはいけない

バブルにより、関わりと愛とが失われたのである。関わりと愛を失ったものが、「金融資産」の定義なのである。物が投資対象となり、それが「金融」資産となったとき、バブルは始まり、その市場価格が上がれば上がるほど、「関わり」と「愛」は失われていき、それが失われた量に比例して、実体経済と社会は悪くなっていく。

その究極が「貨幣」という「匿名」の「金融資産」であるが、どこでも同じ現象が日常的に、毎日進捗しているのであり、ニセコはその典型例だ。

ニセコは社会としてはもう終わりだ。冬になれば美しい雪が一時的にそれを覆い隠してくれるかもしれないが、雪の上でうごめく人々とカネは変化してしまっている。環境破壊と温暖化で、そのうち、その雪も淡雪のように消えていくだろう。

しかし、これはニセコに限ったことではない。観光地で起きていることは、人気のあるところであればあるほど、派手な資産バブルでなくとも同じことが起きているのだ。

ニセコは、社会を失って何を得たのか。土地価格が何十倍にもなった。キャピタルゲインという現金収益である。いちばん大事なものを売って現金にするのは、社会で禁止されている職業に共通している。観光もリゾート開発も、愛とかかわりのないものは、禁止されている職業や行為と同じく、法律で規制するべきである。

さらに、多くの違法なビジネスと同様に、リゾートバブルで儲かったのは、大事なものを売ってしまった人々ではない。その人々を利用した、関わりと愛のない業者だ。なるほど、先祖代々の土地をこれまでの相場の2倍で売り、儲かったかもしれないが、それを仕入れた業者は、デベロッパーにその4倍で売り、デベロッパーは投資家にその4倍で売る。

「日本のすべて」が破壊されてしまった

さらに投資家は、次の投資家に2倍で売ろうとするが、ここからはゼロサムゲームで何も増えない。つまり、リゾート開発で起きるのは、社会と環境の破壊と、社会と環境の価値を現金化したものだが、その現金は、外部に流出してしまっている。つまり、破壊された環境と社会が残るだけなのだ。

残ったニセコの夏の町並みを見たが、乱開発されまったく統一性のないものだった。もし投資家が自分の目で夏の現地を見たら、買い手はいないだろうと心配し、「買い手を連れてくるなら雪に覆われているときに限る」と確信するほどの、惨憺たる姿であった。

しかし、壊されたものは、環境と町並みだけではない。日本文化、日本人の精神、大和魂、日本のビジネスモデル、日本経済、日本企業モデル、すべてが壊されてしまったのだ。証拠(エビデンス)を見せよう。これは、すでに「東洋経済オンライン」の別の記事でも示唆されている(「親日家が語る中国の超富裕層が訪日を卒業した訳」(筆者:劉 瀟瀟氏、7月14日配信)。

話をニセコに戻すと、今回、途中からかんべえ氏(双日総合研究所チーフエコノミスト・吉崎達彦氏)らのグループと別行動をとった私は、「ニセコひらふ」の真ん中にある某宿の近くのコンビニによって、ペットボトルのお茶を買って、部屋でひとり、ゆっくりと「JRA(日本中央競馬会)改革案」を執筆しようと思った。

某有名NB(ナショナルブランド)のお茶2リットルのペットボトルを持って、レジに行った。途中でこのコンビニでは定評があるらしいソフトクリームが目に入ったが、「俺はソフトクリームはいらないぜ」、などと思っていると、レジのお兄ちゃんが「税込み464円です」という。

え?そんな馬鹿な。本州から輸送すると北海道ではそんなに高くなるのか!と驚き、そのコンビニチェーンのPB(プライベートブランド)のお茶に、わざわざ冷蔵庫まで戻って取り換えて、167円を払って、店を出た。

しかし、翌日、倶知安駅(ひらふとは、大雑把にいえば電車で1駅隣)そばの、同じ地元コンビニチェーンの店舗によったところ、同じNBのペットボトルのお茶2リットルが税込み226円で売っているのを発見した。一方、このチェーンのPBのお茶は167円で、ひらふ店と同じ値段だった。本州からの送料は関係なかったのである!要は、ひらふの観光客からは464円ぼったくり、地元の人々には226円で売っているのである!

「合理的な価格設定行動」の「落とし穴」

これは、伝統的な経済学の教科書には、合理的な価格設定行動と書かれている。値段を気にしない客に対しては(需要の価格弾力性が低い客)、高い価格を設定し、利益を最大化するのだ。

しかし、行動経済学の教科書には、アメリカのシカゴ郊外のホームセンターの話が登場する。突然の大雪が降り積もった翌朝、雪かき用のスコップをいくらで売るか。いつもの値段で売るか、まだ冬支度をしていなかった人々が殺到してスコップを買い求めるから、在庫の4倍以上需要があるから、いつもの2倍の値段をつけて、それでも買うという、スコップへのニーズがより強い人に売る(2倍なら買わない人もいるので)か、どうしますか?という有名なケーススタディが出ている。

実際には、ほとんどの店は倍の値段はつけずに同じ値段で売るし、客も、2倍の値段をつけているのを見たら、そのスコップを買わないだけでなく、「その店では二度と買わない」と決意する、という人がほとんどであるというアンケート調査結果が示されている。ホームセンターの客は地元客で、リピーターだからである。一方、観光客は二度と出会わないから、ぼったくるのが合理的なのである。

しかし、ニセコひらふで464円のペットのお茶に出会った私は、もともとニセコに来るのは乗り気でなかったが、「やっぱりそれは正しかった、二度とバブルのニセコなんかに来るもんか!」と誓った。そして、この良心的で優れた経営を行っているという評判を信じていたこのコンビニチェーンへの信頼と尊敬は、淡雪よりも早く酷暑の日差しの下に永久に消え去った。

すべての現場で「すばらしい日本の消失」が起きている

そして、それは私だけではなく、健全な精神を持った、目の肥えた世界中の富裕層が、日本に旅行に最近来て感じ始めていることである。「安い日本がなくなった、日本も高くなってしまった、コスパが悪くなったから来ない」というのではない。

「治安が良く、人が良く、人もお店も、ホテルもすべての人、企業、ビジネスモデルが、良心的で、よそ者であっても、一見の客であっても、ぼったくることなどせず、顧客と消費者は、何の警戒も持たずに、リラックスして安心して過ごせた日本は、過去のものになってしまったから」である。すばらしい日本の雰囲気、社会、文化は、消えてしまったのである。

これは観光だけでなく、すべての現場で起きている。三方よし、で商売、事業の持続性、顧客、仕入先、社会全体、すべてとの持続的な関係を構築し、商売も事業も社会も持続することを目的、最優先としてきた日本の美しいビジネスモデルは失われ、どう猛な、目の前の利益を最大化し、株価を最大化し、それをキャピタルゲインとして実現し、キャッシュ化して、次の獲物を狙いに行く、社会、産業、経済、株式市場になってしまったのである。

しかし、このどう猛なマーケットの下での競争においては、もともとの日本文化で長年育ってきた日本の人々、社会は、どう猛さを徹底することができないから、必ず負ける。根を持たず、開拓者精神で新しいマーケットを切り開き続けることが人生、生活モデル、文化的習慣となっている社会を背景に持つ企業や人々には絶対勝てないのである。

突き詰めれば、近代資本主義はバブルであり、それは必然的に行き着く先(論理的合理性に基づけば)なのであるが、そういう大げさなことを言わなくても、日常的に、われわれの周りで、毎日進行している出来事なのである。

ということで、派手な観光が嫌いな私は、今は東北のある都市の、ビジネスホテルのベッドでこの原稿を書いているのである。21世紀の日本が誇る素晴らしいビジネスモデル、ビジネスホテルチェーンに最大級の賛辞をおくりつつ、しかし、少しずつえげつないダイナミックプライシングに侵されつつあるこの業界の将来を危惧しているのである(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースなどを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

競馬である。

JRA(日本中央競馬会)は9月3日、2026年度の調教師免許試験及び騎手免許試験の申請者数が、調教師試験118人、騎手免許試験9人(JRA競馬学校生徒は0人)であったことを発表した。これはJRA最大の問題を表している。

「世界一の興行主体」JRAの閉鎖性は大きな問題

「JRA競馬」は世界一の競馬興行であり、世界一の馬券売り上げ、それに基づく世界一のレース賞金水準、各種手当の充実、その結果として世界一のサラブレット生産国にもなった。

レース、馬券、生産のすべてにおいて世界一なのである。さらにオーストラリアを除き、競馬に対する社会許容度は世界一にもなっている。日本の競馬のジョッキー(騎手)は、ほかのスポーツ選手と同じようにスター(競馬ファンだけでなく一般市民の間でも)であるが、世界では日本だけの現象であろう。だから、このJRAが成功体験に縛られているのはやむをえない面もあるが、抜本的な制度改革、その根底にある根本的な思想改革(革命)が必要であることも同時に事実である。

JRAほど、閉鎖的な組織はない。調教師は完全免許制であり、それはJRAのさじ加減ですべて決まってしまう。世界最難関の免許試験と言っても過言ではない。騎手も同様であり、多くはJRAの競馬学校出身者で占められている。

彼らは主に中学卒業後すぐに競馬学校に入り、JRAしか知らずに社会人になる。調教師は、かつてはほとんどがトレーニングセンター内の住居を中心に過ごしていた。

一方、騎手たちには「調整ルーム制度」があり、金曜日から土日と社会から完全に隔絶された世界で呼吸することを強いられる。昨今、スマホの使用でこのルールに抵触し、さまざまな問題が起きている。この厳しい制度、閉鎖性の維持は、八百長防止というのが、建前としても本音としてもほとんどの理由であった。しかし、さすがにこれはいまや転換をしなければいけないのではないか。

この制度導入の理由となったのは、1965年の通称山岡事件であるが、いまや八百長はJRA競馬においては皆無だと思われ、また暴力団との関係の危惧は、3連単の導入とともに、ノミ屋がほぼ一掃されたことにより、ほぼなくなったと言ってもよいだろう。

わずかにあるとしても、ほかの分野と同様に「暴対法」で対応すれば済む話と思われる。したがって、現在、JRAをとことん閉鎖的にして、調教師免許、騎手免許を極端に制限しているのは、現役調教師と現役騎手の既得権益、免許を取るのは極端に大変だが、とってしまえばその免許に守られ続けるという状況を変えることができない、という理由だけである。

JRA調教師免許を開放、実質実力主義にせよ

騎手のほうは、40年前は、岡部幸雄騎手以外は全員厩舎に所属していた。だが、現在ではほぼすべての騎手がフリーで、競争が働き、また外国人騎手への短期免許により、部分的には競争圧力が生じているが、調教師にはほとんど起きていないという現実がある。

このままでは実質的に最強生産者であるノーザン・社台グループの外厩が実質的な力を持ち、彼らと強いつながりを持つことが、JRA調教師という既得権益を最大限に活かすことになる、という構造では、いつまでも日本の調教師が世界一になることはできない。これが、日本競馬が真の世界一になることへの最大の妨げとなっている。

したがって、JRA改革としていちばん重要なのは、JRA調教師免許を幅広く開放することである。NAR(地方競馬全国協会)調教師、あるいは現在外厩で活躍している関係者などにも免許を与える、つまり、調教師試験を実質実力主義にし、かつハードルを低くし、JRA調教師になってから、実質的な実力競争を激しく行うような制度、構造に変えることである。

続きは、またいつか。

(※ 次回の筆者はかんべえ(双日総研チーフエコノミスト・吉崎達彦)さんで、掲載は9月13日(土)の予定です。当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)。