【秘蔵写真で紡ぐ】竹内結子さん(享年40)「亡くなってちょうど5年」あなたの笑顔を忘れない

’13年、ローソンの『黄金チキン』の商品発表会での一枚。ドラマや映画だけでなくCMでも引っ張りダコだった

「彼女は誰に対しても平等に笑顔でした」

ときに太陽のような笑顔を輝かせ、ときに吸い込まれるような儚(はかな)い表情で観客を惹きつける。そんな女優だった。

列島が悲しみに暮れたあの日から、もう5年が経とうとしている。’20年9月27日、竹内結子さんは40歳という若さで自らの命を絶った。自宅クローゼット内で意識不明の状態だった彼女を発見したのは、前年の’19年に結婚した夫である俳優の中林大樹(40)だった。

当時まだ14歳だった長男、そして生後8ヵ月の次男を残してこの世を去った竹内さん。いまだ詳しい自死の真相はわかっていない。彼女をデビュー当時から取材していたコラムニストの中森明夫氏は、「これからどれだけの歳月が経っても、竹内結子という不世出の女優を忘れてほしくない」と語る。

「彼女との出会いは、’96年の春だったと思います。当時の大蔵省・関東財務局の電車内広告で笑みを浮かべていた少女を見て、『この子は誰だ!』と思って取材を申し込んだんです。まだ16歳になったばかりだという竹内さんにとって、それが初めてのインタビューだったといいます。’90年代半ばといえば、コギャルブーム全盛の時代でした。そんななかにあって、彼女は良家のお嬢様のような雰囲気を纏(まと)っていたのが印象的でした。

ただ同時に、色白で小柄な彼女の目は、向上心に満ちていました。『山口智子さんや豊川悦司さんみたいに、ドラマとか映画に出られる俳優さんになりたい』と、無邪気に話していましたね」

その後、竹内さんは’99年のNHKの連続テレビ小説『あすか』で主演を務め、瞬(またた)く間にスターへの階段を駆け上がっていく。

「次に彼女と会ったのは、’01年。すでに大人気女優へと成長していた彼女が放つオーラに圧倒され、僕は声をかけられなかったんです。すると、彼女のほうから笑顔で近寄ってきて、『中森さんでしょ?初めて取材してくれた人だもん。絶対忘れられませんよ!雑誌を何冊も買って親戚に配ったんですから』っていたずらっぽく言うんです。彼女は誰に対しても平等に笑顔でした」(同前)

’02年放映の『ランチの女王』(フジテレビ系)や’04年放映の『プライド』(フジテレビ系)など数々の話題作に出演した竹内さんは’05年6月、映画『いま、会いにゆきます』で共演した俳優の中村獅童と結婚。同年11月には長男が誕生したが、獅童の不倫騒動などによって’08年に離婚。以来、竹内さんは女優業の傍(かたわ)ら、シングルマザーとして長男の子育てに奮闘する。同年に竹内さんを取材し、以降は本人の指名で幾度もインタビューを行ったフリーライターの菊地陽子氏が話す。

「当時の竹内さんは、プライベートの事情もあって、少し仕事をセーブしていたところから、芸能活動を元のペースに戻そうとしていた時期だったように思います。

撮影の待ち時間に、たまたまそばにいた編集者が、『菊地さんは手相占いができるんです』と竹内さんに言ったんです。すると、ただでさえ素敵な笑みを浮かべていた竹内さんがさらに口角をキュッと上げて、『見てください!』って。白くて長い指が印象的な、美しい手でした。私が『いろいろな感情を人よりも深く感じ取ってしまうところがあります。だから、感情を表現する演技のお仕事の他に、小説などの執筆活動にも向いていそうです』とお伝えすると、マネージャーさんに『ねぇねぇ、私、小説書くといいんだって!』と嬉しそうに報告していましたね」

インタビューの最後、竹内さんはそれまで浮かべていた笑顔から一転、真面目な表情で「物事の至らなさを許せる大人になりたい」と話したという。

「取材を重ねるなかで感じたのは、竹内さんは優しさのあまり人の痛みを引き受ける性格で、取り繕うのがヘタなのではないかということ。本音と建て前が入り組む芸能界で、素直で傷つきやすい彼女は、本当に生きづらそうでした。だから、自分自身を含めて『許す』ことが必要だったのかもしれません」(同前)

「家族との時間を楽しみたい」

女優としての栄華を極めた20代を経た竹内さんの30代は、なかなかヒット作に恵まれない不遇の時期でもあった。

「亡くなる数年前の番組収録後、異常なハイテンションで仲の良いプロデューサーと話したあとに、ドッと疲れたような表情で一人佇(たたず)んでいるのを目撃したことがあるんです。当時、彼女は『毎朝鏡の前で笑顔を作ってから仕事へ向かう』と話していましたし、だいぶ無理をしていたんだと思います。まして、最後の1年半は再婚と出産を経験したタイミングでしたし……。それでもスタッフに対しにこやかに接してくれる優しさは変わりませんでした」(キー局スタッフ)

「40代は仕事という軸は持ちながら、家族との時間を楽しみたい」

亡くなる直前、彼女は雑誌のインタビューで、こう話していた。最愛の家族とともに、母親として、妻としての幸せを噛(か)みしめるはずだった。それでも、今まで引き受けてきた痛みに、耐えきれなくなったのだろう。他人に優しく自分に厳しかったからこそ、女優業と子育てに翻弄(ほんろう)されるなかで、自分を許せなくなる瞬間が訪れたのかもしれない。

「亡くなったことがいいことだとは思っていません。でも、彼女は命を絶ったのではなく、女優として″生き切った″のだと思います。存在だけで現場の皆を笑顔にできる人なんて、彼女以外にいません。もう会えなくても、彼女の作品は遺(のこ)っている。彼女が生きた証(あかし)を観続けてほしいと思います」(前出・菊地氏)

竹内結子さん、あなたの笑顔を忘れません。

’16年、ドイツのベルリンで行われた『クリーピー 偽りの隣人』ワールドプレミアでの和服を纏った一枚

’18年、上海で行われた『ミス・シャーロック』の招待上映に登壇し、中国のファンに手を振る

’15年、東京国際映画祭のオープニングセレモニーでの一枚。レッドカーペット上を優雅に歩いた

’18年2月、イモトアヤコ(39)と食事した様子を本誌が目撃した際の一枚。二人は’14年の共演以来親友に

’19年、夫の中林と並んで食事へ向かっている様子をFRIDAYが目撃した際の一枚。二人きりのデートを楽しんだ

’16年4月、自宅近くの教育施設でママ友の集まりに参加した後、『真田丸』の撮影に向かっていった

『FRIDAY』2025年10月3・10日合併号より