藤原紀香:万博で日本館の名誉館長として大活躍中
藤原紀香

まもなく閉幕を迎える大阪・関西万博。連日、大盛況で入館者数は1日平均20万人を記録しているという。この万博で日本館の名誉館長を務めているのが、女優の藤原紀香だ。
画像:Kyodo / Kyodo News Images
大阪・関西万博の日本館名誉館長

『日テレNEWS』によれば、藤原は万博開催地である関西出身であることに加え、アフガニスタンやカンボジアなどの途上国で社会貢献活動を続けてきたことを理由に、経済産業省が藤原を日本館の名誉館長に任命したという。
参加国による「ナショナルデー」の開催

万博では参加する158の国と地域が、日替わりで「ナショナルデー」のイベントを行っている。9月13日のフランスデーでは、フランス館のアンバサダーを務める世界的女優、レア・セドゥがサプライズで登場し、会場を大いに賑わせた。
「世界に一つの手書きの帯」

藤原も同イベントに和服姿で登場し、この日のために仕立てた「世界に一つの手書きの帯」で観衆を魅了した。藤原のインスタグラムによれば、1889年パリ万博の象徴である凱旋門を、フランスの三色旗・トリコールの帯の上に水墨画の技法に金彩を添えて描いてもらったという。
高校生時代の夢

今年、54歳を迎えた藤原紀香。出身は兵庫県で、1971年6月28日生まれ。『週刊現代』誌によれば、高校生時代はアナウンサーやリポーターになるのが夢だったという。
ミス日本グランプリで優勝

同誌によれば、大学在学中にミス日本グランプリで、応募者数1722人の中からグランプリに輝いたことをきっかけに芸能界入りしたという。応募したのは母親で、単に「お見合いの箔つけにでもなれば」と思ったからなのだそう。
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両親は大反対

そのため、生活情報マガジン「Wendy-Net」でのインタビューによれば、両親は当初、藤原の芸能界入りを大反対していたという。そんな時、阪神・淡路大震災(1995年)が起こった。
上京し芸能界入り

それまでは両親の言う通り、やりたいことも断念してきた藤原。しかし、人間いつどうなるか分からない、それならやり残したことを後悔してこの世を去りたくない、との思いから大反対を押し切って上京し、芸能界入りしたという。被災から、わずか2ヵ月後のことだった。
「CMの女王」

まずはモデルとして活動を開始し、1998年に出演したソフトバンクのCMで大ブレイクした。以降、多くのCMに起用されるようになり、「CMの女王」と呼ばれるようになった。
女優としても大人気に

また、フジテレビ『ナオミ』(1999年)でテレビドラマ初主演を飾ると、以降、数々のドラマや映画に出演、女優としても人気を集めた。
ボランティア活動

その一方で、ボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。TBSラジオ『要潤のMagic Hour』に出演した際に、2002年にアフガニスタンを訪問したことをきっかけに、世界各地の現状を伝えるためのチャリティー写真展などを開催するようになったと語っている。
「Smile Please☆世界子ども基金」

2010年にはNPO「Smile Please☆世界子ども基金」を立ち上げ、教育支援に取り組んでいる。アフガニスタンやカンボジアなどで、学校建設などの活動を行っているのだそう。
陣内智則と結婚

プライベートでは、2006年にお笑いタレントの陣内智則と結婚した。日本テレビ系『59番目のプロポーズ』(2006年)で共演したことをきっかけに交際をスタートさせたという。藤原が人気絶頂の時に結婚したため、「格差婚」と報じられていた。
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離婚の理由は陣内の浮気

2人は2009年に離婚を発表した。『スポーツニッポン』紙によれば、陣内の度重なる浮気が離婚の理由だという。
六代目片岡愛之助と再婚

2016年、藤原は歌舞伎俳優の六代目片岡愛之助と再婚した。2011年に上演された藤原主演のミュージカル『マルグリット』を、片岡が観劇。それをきっかけに友情を育み、交際に発展したという。
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現在の藤原紀香

現在、藤原はモデルや女優業の他、ボランティア活動、文化活動や地域復興にも積極的に関わっている。そして、大阪・関西万博でも、日本館の名誉館長を見事に務めあげた。
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