〈長嶋茂雄のウソのような本当の話〉35年来の親交…せんだみつおが証言「ミスターは神様」
「僕にとって、監督は神様のような存在。あのような方は二度と現れませんよ」
こう言って長嶋茂雄・読売巨人軍終身名誉監督を偲ぶのは、タレントのせんだみつお(78歳)だ。プレーだけでなく、ユーモアあふれる言動でも多くの人を魅了してきた「ミスタープロ野球」の魅力を、「せんちゃん」と呼ばれてかわいがられ、35年にわたって親交を深めたベテラン芸人の証言とともに振り返る――。
巨人の、巨人の、巨人の長嶋です
僕の親父は物静かな男でしたが、あの瞬間だけは思わず「バンザイ!」と大声で叫んでいました。1959年6月25日に行われたプロ野球史上初の天覧試合。4-4で迎えた9回裏、阪神のエース村山実さんから放った劇的なサヨナラホームランです。
のちに監督ご本人から「前の晩は愛用のバット5本を枕元に並べて寝た」と聞きました。あのホームランをはじめ、監督は何度も奇跡を起こしてきました。神ががっているというか、昭和という時代をつくった神様そのものだと思いますね。
たしかに大谷翔平選手もすごい。でも、監督ほど万人に愛され、国民を幸せにした人は二度と現れないでしょう。

写真:講談社資料センター
そんな神様と初めてお会いしたのは、第一次政権退任後の、あるパーティーでした。ニッポン放送のアナウンサーだった深澤弘さんが僕に気づき、監督に紹介してくださったんです。
「はじめまして。せんだみつおです」
興奮と緊張の中、ご挨拶すると、監督はいきなり「テレビで見てますよ。せんださんはゴルフをやるんですか? 今度、一緒にやりましょう。じゃあ、連絡先を書いてね」と誘ってくださった。
僕ら団塊世代にとって監督は英雄。「まさか、あの長嶋さんが」と耳を疑いながらも、連絡先を書いた紙を監督に手渡しました。すると、監督はそのメモをスーツのポケットにしまいながらこう言いました。
「イン・マイ・ポケット」
いきなりお得意の「英語」でした。

35年にわたってミスターと親交を深めたせんだみつお
社交辞令とも思えるやりとりの翌日、本当に「長嶋です」と自宅に電話がかかってきました。電話に出た娘が「どちらの長嶋さんですか?」と尋ねると、監督は「巨人の、巨人の、巨人の」と3回おっしゃっていたそうです。
OBを打って「う~ん、ファールですね」
出会いから2週間後、僕の友人を交えて一緒にラウンドしましたが、そこでも長嶋茂雄らしさを存分に見せつけられました。普通、打つ順番は、ティーペグを地面に落とし、とがっている先端が指したプレーヤーがオナーとなり、その方から時計回りの順番でショットしていきます。
ところが、監督ははいきなり100円玉を地面に落とした。これでは誰を指しているのかわかりません。思わず「これはどういうことですか?」と尋ねると、監督さんは照れ隠しだったのか、「100円玉に一番近い人が最初だ」と言って、一番にティーショットを打ちました。
そのボールは、絵に描いたようなOB。キャディさんも我々も「OBです」とは言えず、一瞬静まり返った。2秒後、ご本人がこう言いました。
「う~ん、ファールですね、ファール」
これで一気に場が和みました。「長嶋さんはやっぱり天才だ」と思いましたね。

写真:講談社資料センター
その後、月に2回ほどゴルフをご一緒させていただきましたが、驚きもありました。監督はスコアカードを持ちませんが、食事の席では「せんちゃん、8番ホールの2打目はよかったね」と事細かに覚えているのです。サインを覚えなかったとの伝説を持つ監督ですが、じつは、記憶力は常人離れしていました。
左手で頭を洗いながら、右手でヒゲを剃っていた
あれほどせっかちな人もいません。環八沿いにあるサウナの常連でしたが、営業開始の30分前に入り、開店する頃にはもう帰っていました。ゴルフ場の風呂では、左手で頭を洗いながら、右手でヒゲを剃っていましたね。
ホームラン後にスキップしながらホームインしたことが有名ですが、少年の気持ちのまま大人になったような方でした。ゴルフの昼食休憩で、監督は魚定食を召し上がっていましたが、ご飯が残ってしまった。すると、カレーセットを頼んでいた同行者が席を外した隙に「せんちゃん、ここのカレーはおいしいんだよ」と言って、ルーが入ったシルバーの容器に手を伸ばした。
「えっ?」と思いましたが、監督は悪びれる様子もなく自分にご飯にルーをかけてパクり。容器を元の場所に戻しながら笑顔で「最高!」って(笑)。欲しいとなったら、人のものでも関係ないんですよ、監督は。

写真:講談社資料センター
天才ゆえ、その言動は予測できません。ゴルフの帰り、「銀座に日本一のたぬきそばを出す蕎麦屋があるんだよ。あそこで食べたらほかの店では食べられない」と誘われて、お店に伺いました。
いざ注文する段になると「おかみ、たぬきそば。あと、俺はかつ丼」。周りの人が「えっ?」となる中、言い出しっぺのご本人はケロッとしてかつ丼を食べていました。
「う~ん、どうでしょう」に隠された気配り
ユーモアあふれる人柄は多くの方が知るところですが、素顔は謙虚で気配りの方でもありました。「う~ん、どうでしょう」という口癖は、考えているからこそ。そして他人の悪口を絶対に言わなかった。こちらがどれだけ振っても「そういう噂は風の便りに聞きますけどねぇ」と流されたものです。
泣ける話にも事欠きません。ある日、東京ドームで行われる試合を観戦に行ったところ、ハンディキャップのあるお子さんを連れたお父さんに「北海道から来たんですが、長嶋監督に会えますかね」と声をかけられました。

写真:講談社資料センター
「試合前は無理だと思いますよ」とお伝えしましたが、ダメ元で専属広報を務めていた小俣進さんに電話して事情を説明すると、「監督が『どうぞ』と言っています」とOKが出て監督室にお邪魔しました。
試合前の大事な時間でしたが、監督はその息子さんを抱きしめて「遠いところ、ありがとうね」と声をかけた。お父さんは泣き崩れ、私も泣きました。あの姿を見て、「あぁ、この人は神様だ」と思いましたね。
監督のひと言で愛娘が別人のように
監督の言葉には、人を惹きつける不思議な魅力がありました。ゴルフの帰りに自宅まで送ってもらった際、ランドセルを背負った娘が「パパ~」と駆け寄ってきました。「長女のはるかです」と紹介すると、監督は「はるかちゃん、いいですね~、走り方が。肘と腕がグッと上がっている。これをずっと続けてくださいね」と褒めてくれたんです。
娘は運動が苦手で徒競走も毎回ビリでしたが、次の運動会ではなんと、2位に。「どうしたんだ。すごいな」と聞くと、娘は「長嶋さんが褒めてくれたから、言われた通り一生懸命練習した」と話していました。

写真:講談社資料センター
監督は褒めて育てる人なんです。みんな、長嶋さんと出会って成長していった。ただ、一茂だけは失敗しましたが(笑)。
後編記事『【珠玉の長嶋茂雄伝説】「監督、好きな数字は?」「ラッキーセブンの3ですね」せんだみつおが泣いて笑った〈神様との35年〉』では引き続き、親交の深かったせんだみつおが、誰からも愛されるミスターの人柄と泣いて笑えるエピソード、意外な一面を明かしている。