2浪で学習院→NHKディレクターのひたむきな逆転

2浪で学習院→テレビ朝日→NHK, 勉強よりもサッカー, ドキュメンタリーに興味を持つ, 第一志望はやっぱり早稲田, 取り残され…自分で予備校代を稼いだ2浪時代, テレビ局に入る目的をもって大学生活を送る, ついにNHKでドキュメンタリーを作る夢を叶えた

2浪で学習院大学に入りTBSビジョン、テレビ朝日、NHKで勤務した井上大輔さん(写真:本人提供)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。
今回は2浪して学習院大学経済学部経営学科に合格した井上大輔さんにお話を伺いました。
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2浪で学習院→テレビ朝日→NHK

今回お話を伺った井上大輔さんは、2浪で学習院大学に合格した方です。

【写真を見る】役者の父親と、専業主婦の母親のもと生まれ育った幼少期。高校時代はサッカーに夢中で将来はサッカーで食べていきたいと思っていたことも。

高校時代に、将来はNHKでドキュメンタリーを撮りたいと思い、マスコミ関係者の多い早稲田大学を目指した井上さんでしたが、2浪をしても、その目標を叶えることはできませんでした。

しかし、この浪人時代に身につけたことがのちの人生に大きく役立ち、ついに彼は高校時代の夢を叶えました。

どのようにして彼は夢を叶えることができたのか。

浪人のどの要素が、彼の人生に役立ったのでしょうか。詳しく話を伺いました。

井上さんは東京都練馬区に、役者の父親と、専業主婦の母親のもと生まれ育ちました。

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役者の父親と、専業主婦の母親のもと生まれ育った(写真:本人提供)

小さいころの井上さんは大人の顔色を伺う子どもで、常に笑って周囲の人を和ませていたそうです。

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幼少期の井上さん(写真:本人提供)

公立小学校時代は運動ができ、友達とやるサッカーではいつも井上さんの取り合いになっていたそうですが、勉強は特にできるわけではなく、中の下から中の中くらいでした。

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運動神経は抜群だったが勉強は中の下~中の中くらいだった(写真:本人提供)

中学受験もしたものの、受験した日本大学第二中学校には不合格となり、公立中に進みます。

すると、ここで急に勉強の素質が開花したそうです。

勉強よりもサッカー

「それまでも算数は得意だったのですが、他よりもちょっとできるくらいだったので受験では通用しませんでした。でも、中学に入って数学になってから急によくなって、中3のときに受けた模試では100点を取ったので偏差値が75とか出ていました」

「数学と体育だけはいつも5段階評価で4〜5だった」と語る井上さん。しかし、主要5科目はほぼ5段階評価で2~3だったそうで、勉強よりもサッカーに打ち込む中学生活を送ります。

高校受験については、ギリギリまで何も考えず「サッカーが強いところに行きたいと思った」ため、都立でサッカーが強かった石神井高等学校を第一志望に設定。しかし、部活を引退してから勉強を頑張るも石神井高校には届かず、併願で受けた東洋高等学校に進みました。

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サッカー漬けだった中高時代(写真:本人提供)

東洋高校に入ってからもずっとサッカーをやっていた井上さんでしたが、高校に入ってからは普通に勉強をしていたら学年で成績が1位になり、特待生になったと語ります。それが、中学時代では考えられないことだったようで、井上さんの性格が大きく変わるきっかけになりました。

「僕は小さい頃から喋らない子どもでした。自分は頭が悪いから、喋るに値しないと思っていたんです。でも、成績が1位になって特待生になったことで自分に自信がつきました。『僕って喋ってもいいのかな?』と思うようになって、めちゃくちゃおしゃべりになりました。志望していた高校ではなかったのですが、たまたま1番になれたので、勉強に関して『自分はやればできるんだ』と思えたことが大きかったです」

高校2年生の時点では、将来はサッカーでご飯を食べたいと思っていた井上さん。当時は駒澤大学のサッカー部が強かったことで、頑張ればいけるかなと思い、駒澤大の文系を目指していました。

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高校時代の井上さん(写真:本人提供)

しかし、高校3年生のとき、自分にサッカーの才能がないと気づいたために進路を転換する必要性ができてしまいます。そこで彼の決断に大きな影響を与えたのは、父親の存在でした。

「あまりにも才能がなくて、将来サッカーで食べていくのは無理かも?と思った時に人生に絶望しました。それから、自分は人生をかけて何をやればいいんだろうと考えたとき、映像で物を伝える仕事がしたいと考えたんです」

ドキュメンタリーに興味を持つ

「実は中学のころ、ジャパンアクションクラブで役者をしていた父親が、脚本家に転身していたことが大きな要因でした。父は本をすごく読み、文章を書くのも好きな人だったのですが、フィクションの世界で仕事をする父親に対する小さな反発もあり、僕は『現実の方がドラマチックなんじゃないか』と感じていました。だから、テレビ業界に行って、自分がよく見ていたNHKのドキュメンタリー番組のような作品を作りたいと思いました」

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父親はジャパンアクションクラブで役者をしていた(写真:本人提供)

反抗期はなかったものの、心のどこかであった父親への小さな反発。それからは井上さんは、マスコミ業界に行くなら早稲田がいいかなと思い、NHKを目指して勉強をし始めました。

しかし、学校の成績はよくても、模試の偏差値が30台だった井上さんは、成績を伸ばすのにとても苦労したそうです。

「当時は高校全体で上位2割しか大学を目指す人がいませんでした。僕は3年生のときに一番上の特進クラスに上がっていたのですが、そこでの英語の授業でも”I listen to”を『アイ リステン トゥー』と言う人がいる感じで、到底早稲田を目指せる感じではありませんでした」

数学が得意なのに苦手な文系受験を決断し、選択科目に政治経済を選んだことも相まって、1年目のセンター試験では国語・英語で200点満点中60点程度、政経では100点満点で40~50点に終わった井上さん。私立大学はお金がもったいなかったので受験せずに終わり、1浪が確定しました。

「早稲田を目標に設定したときは自分の無能さに気づいていませんでした。やればできるだろうと楽観視していましたね。高3から予備校は代ゼミに行っていたのですが、11〜12月頃には確実に浪人すると思って、浪人生活を楽しみにしていました」

第一志望はやっぱり早稲田

こうして浪人でも代々木ゼミナールの本科コースに通うことを決め、浪人生活を送り始めた井上さん。浪人を決断した理由をお聞きしたところ「早稲田に行きたかったから」という答えが返ってきました。

早慶上智クラスに入った井上さんは、同じ志望校を目指す仲間たちができたこともあって、切磋琢磨できるいい1年を過ごせたようです。

「早慶上智クラスは1~3までグレードがあって、当然僕は一番下の『3』クラスに入って授業を受けていましたが、そこで仲良くなった子は今でも付き合いがあります。授業は英語の富田先生の理屈で説明してくれる授業が好きでしたね。成績は結構上がって、模試で3科目の偏差値が50後半くらいまでいくこともありました」

早稲田は挑戦校に相当する偏差値だったものの、政治経済学部・法学部・商学部・社会科学部の4学部に出願し、おさえで明治大学と学習院大学を受けた井上さん。

しかし、早稲田どころか明治大学と学習院大学も不合格で、2浪が確定してしまいます。

「この失敗で初めて現実を思い知りました。この年の偏差値では早稲田は受からないはずなのに、4つも受けてしまいました。学習院は相当手応えがあったので、わずかな差での不合格だったと思います。もし戦略的に試験を受けていたら、挑戦校である早稲田の受験を2つくらいにして、明治や学習院を2学部ずつ受けたり、立教を受けたりしていたと思うので悔やまれました」

取り残され…自分で予備校代を稼いだ2浪時代

1浪目は仲間もいて、楽しく勉強できていた井上さんでしたが、多くの仲間が早稲田やMARCHへの進学が決まったことによって取り残されてしまいます。父親にも「制作会社なら2浪もしなくていいんじゃないか」と説得されたそうですが、テレビ局に行きたいと意思を伝え、自分で予備校代を稼ぐという条件で2浪を許可してもらいます。

「3~4月はアルバイトに逃げていたと思います。精神面のつらさはこの頃がピークで、初めて1人というか、孤独というのを味わいました。気持ちの切り替えができなかったこともあり、5月くらいまでは勉強ができませんでした」

5月からは、1日13〜14時間の勉強を続けた井上さん。代々木ゼミナールは単科コースの受講に切り替え、予備校がない日は朝から晩まで図書館の自習室にこもって勉強を続けました。ケアレスミスが多く、集中できていなかった期間もあり、偏差値も50後半から伸び悩んだものの、最終的には一番いい模試の成績で、3科目偏差値63~64までは取れるようになりました。

「帰る時も英単語帳をずっと見ていたので、真っ黒になりました。100周以上は回したのではないかと思います。これだけやっているのだから、絶対にどこかは受かるだろうと思っていました」

2浪目の早稲田大学の受験は政治経済学部、法学部、商学部、教育学部、社会科学部の5学部に出願。前年度受験した明治大学が、最後に受験する早稲田の学部の合格発表まで入学金の納付を待ってくれなくなったこともあり、この年は他に学習院大学の経済学部経営学科のみに出願します。

前年度とは違い、偏差値的にはどこかに合格しても不思議ではなかった2浪目の早稲田受験。しかし、いよいよ受験が始まるに当たって、井上さんの精神は極限状態になっていきました。

「早稲田は流石にどこかには受かるだろうと思っていました。ですが、最初に受けた教育学部の試験当日に、『これまでの勉強がすべて試される』と気持ちが昂ってしまい、一睡もできませんでした。緊張しすぎて、夜中に『寝れない!駄目だ!』と叫んで、父と母が僕の部屋に来てくれる始末。精神的にきていたのだと思います。

父・母は『大丈夫だから、寝れなくても頭は回るから!』と励ましてくれたのですが、結局試験は徹夜で臨んだためにボロボロでした。その後の政経と法学部の試験では実力不足を実感したのですが、商学部と社会科学部ではなんとか開き直って臨んだので実力通りにできた手応えがありました。ですが、商学部も社会科学部も最低合格点から1~2点足りませんでした」

学習院大学経済学部経営学科には合格したものの、残念ながら2度目の早稲田大学への挑戦も、すべて不合格に終わってしまいました。

「合格まで足りない数点の中に、自分が入ってしまったのかと思うと涙が出ました。学習院に行かずにもう1浪すれば早稲田に行けるんじゃないかと思っていましたが、父親に止められて、2浪で学習院に進むことにしました。早稲田じゃないとテレビ業界にいけないんじゃないかと思っていたので、それからは『どうせ・・・』が口癖になってしまいましたね」

テレビ局に入る目的をもって大学生活を送る

しかし、最終目標がある状態で大学に入った井上さんは、ボランティアサークルに入り、テレビ局に入るという目的を持って大学生活を送ることができたと語ります。

浪人して良かったことを聞くと、「自己分析能力がついた」、頑張れた理由について聞くと、「テレビ局に入るんだという目標を常に持っていたから」と答えてくれました。

「自分は勉強の『べ』の字もしたことがなかったので、論理的思考能力というものは皆無でした。だから、高校時代になんとなくサッカー選手になれると思ってしまったように、受験においても自分を分析できていなかったんです」

「ですが、浪人時代から1日12〜13時間の勉強をするようになったために、言葉というものをしっかり理解し、物事を理屈立てて考えることができるようになり、自分という存在であったり、自分が生きるためにやりたいことであったりなどが明確に言語化できるようになったと思います」

ついにNHKでドキュメンタリーを作る夢を叶えた

学習院大学を4年で卒業した井上さんは、2006年にはTBSビジョン(現:TBSスパークル)に入社し、『夢の扉+』、『世界遺産』、『ニュースキャスター』など、報道からバラエティまでの幅広いジャンルの番組を制作。

10年勤務したのちにテレビ朝日に入社し、『モーニングショー』のチーフディレクターなどを担当。2019年には目標であったNHKに入り、『クローズアップ現代』、『NHKスペシャル』、『ストーリーズ』などの番組を担当し、NHKでドキュメンタリー番組の制作をするという夢を叶えました。

6年勤務して2025年3月に退職した井上さんは、株式会社草莽映像を設立し、代表取締役として精力的にドキュメンタリー作品を作っていこうと考えています。

「ここ数年でテレビを取り巻く環境が変わってきて、テレビ局にいることで、世間とズレが生じてきていると思っていたので退職を決断しました。これからは自分で自由にドキュメンタリー作品を作ってみたいと思っています。

長期間、対象を追っていくのは忍耐力が必要ですが、大学受験で落ちたことで、そうした能力が人一倍ついたと思いますので頑張りたいです。現在、ドキュメンタリー作品を作るために密着する取材者を募集しています。もし興味がある方は、Xで募集をしているので、ぜひお知らせ下さい」

夢であったNHKに勤務し、ドキュメンタリー番組を制作する夢を叶えた井上さん。それでも立ち止まらず、新たな挑戦を続けているその姿勢は、浪人で得た自己分析力や、忍耐力が生きているのだと思いました。

教訓:自己分析能力を鍛えることが、浪人や人生を成功させる鍵