「最初は無視されていたけど」右翼の男性とボランティア先で会って起きた奇跡

「あいつは右翼だから」「あいつは左翼だから」

SNSにはそういう言葉があふれる。では右翼、左翼とはなにか。

辞書で調べてみると、大まかに以下のようにまとめられる。

⚫︎右翼(うよく)保守的な思想を持つ人や団体のこと。長い間蓄積されてきた伝統(天皇制、王政、身分制)や仕組みなどは簡単に変えるべきではない考え方

⚫︎左翼(さよく)革新的な思想を持つ人や団体のこと。人は本来「自由」「平等」であり、「人権」が重んじられるという考え方をする人や団体のこと

しかし人は絶対に右翼か左翼かどちらかだろうか。そして右翼と左翼とだったら、互いに理解し合えないのだろうか。

エッセイ、ノンフィクション、小説。さまざまなジャンルで文筆活動を続ける人気作家、ブレイディみかこさんは、2019年に刊行したベストセラー『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』(通称『ぼくイエ)をはじめ、多くの著書で「エンパシー」の重要性を綴ってきた。

誰かの靴を履いてみること。その人の立場に立ってみること。それが、「エンパシー」をうまく表現している言葉だという。

最新刊『SISTER “FOOT”EMPATHY シスター フット エンパシー』(集英社)では、女性どうしのつながりを意味する「SISTERFOOD シスターフッド」と、足元の「FOOT」をかけ合わせたタイトルをつけた。これも「靴」「地面」を大切にしているゆえのものだろう。

刊行後に帰国したタイミングでインタビュー。その第1回では、一緒に日本に来ていた息子さんの友人の体験を中心に、「違う立場や環境の人たちがごちゃ混ぜになること」の意味や、「他人の靴を履いてみる」という言葉で表されるエンパシーの重要性を、第2回ではアイスランドの「女性の休日」と呼ばれる伝説のストライキのエピソードを入り口に、「いい学校」や「日本の親」についてお伝えした。

インタビュー最終回はみかこさんが「右翼のおじさん」と一緒にすごして得たものから、「社交」の意味を聞く。

SNSで「社交」はできない

ーーみかこさんは、ご著書を読んでも息子さんととてもよく話していることがわかります。でも、自分の子とうまくコミュニケーションできない人もいる。そういう人はどうすればいいですか。

ブレイディみかこ(以下、みかこ)ソーシャルメディアの意味を考える時が来ていると思います。ソーシャルとは、「社会」という意味のほかに、「社交」という意味もあるわけですよね。でも、私たちはSNSで社交しているでしょうか。字面で付き合ってるだけで、書いている人の顔も見えないし、会ったこともなければ実際のところ相手がどんな人なのかわからない。

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例えば政治的なことを人に伝えたりするにしても、対面だったら、SNSみたいに、言葉遣いが間違っているから謝罪しろ! という風に断定的には言えないですよね。その場に人がいれば、どうしてそういう言葉を使うのかと聞いてみることもできる。それで少しずつ相手の意図がわかってくると、ちょっと理解できる部分も出てきたりして、そこは自分もよくわかるよ、でもね……という言い方もできるようになる。

意見の表明の仕方も、社交の場で洗練されてくるじゃないですか。それが「社交力」。でもSNSで社交力はつかない。注目のされ方は覚えるかもしれないけど、社交能力はどんどん少なくなっていく感じがします

民主主義は「社交」で成立している部分もある。みんなで話し合って何かを決める時に、いきなり相手を罵倒したり、喧嘩ばかりしていたら議論は成り立たないから。話し合いの中で妥協し合って、落としどころを見つけていく。これは、社交力がないとできない話です。でもそれは時間をかけて訓練されていくことであって、そういう場を持たなければ一朝一夕にはできない。だからこそ、家庭でも職場でもない場所で、いろんなことを自由に話せるサードプレイスがあれば、民主主義が発達すると言われているんだと思います。

息子が通っていた中学校では、現在の政治状況についてみんなで話し合う機会を設けていました。『ぼくイエ』を読んだ人から、中学生がこんなことを言うとは思えない、とよく言われたんですが、いや、うちの息子よりもっとすごい子もいたし、みんな政治の話を学校でしてるよ、と。そこはイギリスと日本の学校教育の大きな違いかもしれません。

『ぼくイエ』ではブレイディ親子が良く対話する場面が出てくる。幼いころから「子ども自身の言葉や意見を聞く」ことを重ねてきたのだなと感じさせられる(写真はイメージです)Photo by iStock

右翼っぽいおじさんに無視されていたけど

ーー家庭でも職場でもないなんでも話せる「サードプレイス」の重要性がよくわかります。

みかこ:私は近所の人たちと立ち上げたフードバンクでボランティア活動しているのですが、ボランティアの中に大学生の女の子と、ちょっと右翼っぽいおじさんがいて、この二人が一緒にシフトに入るとき、最初は大変だったんですよ。大学生の女の子は先進的な考えの持ち主だし、おじさんはとても保守的で、もうどうしたって気が合わない。イギリスにもやっぱり、右派ポピュリズムみたいな政党があるんですけど、おじさんはその政党の支持者だし、私なんか移民だったから、最初は無視されて話しかけてもらえなかった。

でも、ずっと一緒に働いていると変わっていくんですね。一緒に作業しているから口きかないわけにはいかないわけじゃないですか。話をしてみると、割といいところもある人だったりして。

写真はイメージです(Photo by iStock)

そして最近、すごいことが起きたんです。フードバンクには生理用品も置いてるんですけど、ボランティアが座っているカウンターからその置き場が真正面に見えるわけですよ。そしたらそのおじちゃんが、「自分しかカウンターにいない時、あそこから生理用品を取っていきにくい女性もいるかもしれないから、ついたてを立てた方が良くないか」と言って、自分の家から使わないついたてを持ってきてくれたんです。私たちさえ気づかなかったのに、“おじちゃん、なんかめっちゃ変わった!”ともうびっくりです。

実際に顔を突き合わせて会って、それこそ地べたに足のついた付き合いをしてると、そういうふうに人が徐々に変わっていく姿を目にすることになります。最近はそのおじちゃん、なんかポリコレに気をつけ出してて、「こういうこと、今の時代も言っていいのかな』とか、私たちに聞いたりするようになったので、「それはいいでしょう。考え過ぎだよ」とか言って一緒に笑っていることもある。

でも逆に、SNSで批判し合っている関係には、こういう関係性の変化はなさそうな気がします。だからSNSでフェミと反フェミみたいな石の投げ合いを見てると、PCを閉じてボランティアに行きたくなる。「ネットの外の世界では、ちょっと違うことが起きているよ」って。

ーー思想は思想としてもっているけれど、直接話しているうちに、極端なことはちょっと違うかもとその男性は思ったんですね。とても素敵な話です。

みかこ本物の人間関係と、字面だけで主張し合う世界との狭間に落ち込んでしまって、“本当に世の中を変えていくのは何か”ということが見えなくなっている気がします。人間と人間が足元からつながって、なんか一緒にやろうよってことにならないと現実には何も変えられないのでは。

重たい内容のことも楽しく軽やかにやる

ーー1975年、アイスランドで「女性の休日」と呼ばれる女性たちのストライキがうまくいったのは、その「なんか一緒にやろうよ」という軽やかさだった気がします。

みかこ軽やかで楽しそうなものに、重く真剣な主張がないということは一概には言えないですよね。大切で重要なことだからこそ、軽やかに楽しくやっていかなくては広がらないし続かない側面もある。フードバンクもそうですけど、やっぱり楽しいんですよ。軽妙にダジャレとか言い合いながらわいわい働いてる感じで、私は特に部屋にこもって書く仕事だから、人と会って喋ることで自分が救われてる部分もあります。

人助けとか善行とかより、まず自分が楽しいからやる。この辺りをもっとアピールできれば、日本でもボランティア活動する人が増えるんじゃないかな。軽やかだから重くないということもないし、重いところで軽やかなことをしちゃいけないということもないし、「どちらかでなければならない」という思い込みを捨てたほうがいいと感じますね。

ーー映画『女性の休日』に映っている女性たちは、みんなとても楽しそうです。

みかこ国の9割の女性たちが、ストライキに参加したんですよ。今の常識で考えると、ちょっとフィクションめいた話ですよね。自分たちの足元から草の根でつながり、じわじわとその輪が広がっていった。アイスランドの女性たちのストライキのことは、日本の人たちにぜひ知ってほしいです。今、世界中が、いろいろ危機感に溢れていて暗いじゃないですか。だからこそ、こういうことやった人たちが現実にいたんだと知ると元気が出る。その元気は今、とても大事なものだと思います。

「女性の休日」の日の写真。ドキュメンタリー映画『女性の休日』より© 2024 Other Noises and Krumma Films.

この映画の中で、現代の若い世代が出てきて「お母さんたちがやってくれた」というシーンがあります。今の日本のお母さんたちも、50年後にこんな風に娘や孫の世代に言われていたら素敵だと思いませんか。自分たちが窮屈な時代を生きてきたんだとしたら、子どもをその窮屈さに適合するように促すんじゃなくて、外側の社会を変えていこうよ、もっとオープンな、生きやすい世界に住ませてあげようよ、と思って動いたのがアイスランドの女性たちでした。現代の日本の女性たちにも、きっとその想いは共有していただけるのではないかと思います。