【インタビュー】元NHKアナ・住吉美紀「酔って眠ってしまうとスタッフから次々と批判の言葉が⋯⋯」

すみよし・みき/’73年4月、神奈川県横浜市生まれ。小学校から高校まで米国やカナダで過ごす。国際基督教大を卒業後、’96年4月にNHK入局。’11年3月に退局してフリーに。’16年1月に現在の夫と結婚。『50歳の棚卸し』が好評発売中

「憧れの職業だった」

「ダメ人間でした、私……」

明るくポジティブなイメージがある女性が発したのは、意外な言葉だった――。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』や『スタジオパークからこんにちは』などNHKの人気番組を担当し、現在はフリーアナウンサーとして活躍する住吉美紀(52)だ。9月には仕事上の失敗や失恋と自身の半生を赤裸々(せきらら)につづった『50歳の棚卸(たなおろ)し』(講談社)を出版。同書でも「最初は本当にダメでした」と振り返るのは、今年で14年目を迎えた彼女のライフワークといえる『Blue Ocean』(TOKYO FM)のパーソナリティの仕事だ(以下、コメントは住吉)。

「スタート当初は、まったく上手くいかなかったんです。まず『一人喋(しゃべ)り』が難しかった……。NHK時代は、話しかける共演者や観客がいる仕事がほとんどでした。しかし一人パーソナリティのラジオでは、一人でマイクの前で喋るわけです。うなずいたり笑ったりといった相手のリアクションが見えないので、どんな話をすればリスナーが喜んでくれるのかわからなかった。

またNHKでは、客観的な情報を端的に伝える教育を受けました。ラジオで客観性の薄い個人的な感想を言おうとすると、身体が抵抗して『うっ』と言葉に詰まってしまう。いろいろな経験をして自分を出せるようになったのは、しばらく経(た)ってからです」

もともとラジオのパーソナリティは、住吉にとって憧れの職業だった。キッカケは幼少期から10代にかけての海外経験。商社に勤めていた父親の仕事の関係で、米国やカナダで数年間過ごしたのだ。

「日本にいた祖母や友人に向け、メッセージや海外の曲を吹き込んだカセットテープを国際郵便で送っていたんです。『おばあちゃん、お元気ですか。シアトルからの便りです』とね。BGMも流して子供ながらに楽しかった。私がラジオのパーソナリティに憧れた原体験です」

大学時代(国際基督教大)は、日本で過ごした。多くのアルバイト経験などから、アナウンサーとしての将来像が固まっていったという。

「ずっと続けられそうな仕事を見つけるため、たくさんのバイトをしました。レジ打ち、ライターの助手、試食販売、通訳……。多くのバイト体験から、人を待つより自分から行くほうが得意、文字にするより話すほうが好きということがわかったんです。大学のある報告会でたまたま私が司会をし、普段とても厳しい教授から『本物のアナウンサーみたいだった』と褒(ほ)められたのも大きかったですね」

「裏をとっていないのに」

’96年4月にNHKへ入局したが、順風満帆ではなかった。初任地の福島県では、こんな恥ずかしい失敗も……。

「お昼のニュースのシフトが当たっていた、ある日のこと。出勤は11時くらいで良かったので、前日、仕事仲間と深夜までカラオケを楽しみました。翌日は歌のせいか声が良く出るんです。

『今日は調子がいいぞ』とスタジオに入り、12時15分に全国から福島県のニュースに切り替わった瞬間『おはようございます!』と言ってしまった。私にとっては仕事のスタートでも、視聴者にとってはお昼です。口にした瞬間気づき、『おはようございます!……こんにちは』とトーンダウン。顔から火が出るほど恥ずかしかった」

2年目からは徐々に仕事に慣れる。30歳の時から担当した『世界遺産 〇〇の旅』というシリーズでは自身の海外経験が活き、ハプニング続きながら生放送の面白さも実感した。NHKを辞めようと決意し、退局したのは37歳の時だった。

「私が26歳の時に、父が交通事故に遭(あ)い54歳の若さで亡くなってから時間が有限であることを強く意識していました。30代後半になると体力も落ち、以前のように徹夜もできない。自分の時間をどう使うかを、自分の采配(さいはい)で決められる暮らし方がしたいとフリーになったんです」

しかしフリーランスの世界は甘くなかった。例えば情報番組でコメントを求められても、アドリブで上手に喋れない。NHKでの経験から「裏をとっていないのに言えない」「本当に断言できるのだろうか」と躊躇(ちゅうちょ)し、発言に二の足を踏んでしまうのだ。自信のあったインタビューでも、スタッフから「マジメでつまらない」と言われることがあった。

「忘れられないほど傷ついたことがあります。私が司会をし、短期間で終わってしまった番組の打ち上げでのことです。疲れから酔いが回り、その場で眠ってしまった。意識が戻ると、スタッフの声が聞こえます。『住吉さんが全然ダメだったよね』『終わったのは住吉さんのせい』……。次々と出てくる批判の言葉に、私はショックで目を開けられませんでした」

逆境の連続。落ち込んだり悩んだりしても、フリーでは相談する同僚も先輩もいない。一人途方にくれる日々が続いた。

「疲れ切って帰っても、家には誰もいません。楽しい会話で気分転換もできない。切実に家族が欲しいと思いました。人生を分かち合うパートナーが欲しいと」

住吉は、出会った男性が結婚指輪をしておらずステキだと感じれば積極的に食事に誘った。だが、強烈なハラスメントを受けたこともある。

「相手は博識で人当たりもよく社交的、海外経験も豊富だったんですが……。おつき合いを始めてからヒドイ仕打ちがどんどん増えました。『顔が好みじゃない』と言われたこともあります。『あなたとは結婚も考えられない』と言われた時は、言葉にならないほど傷つきました。約3年の交際でようやく目が覚め、彼とお別れしたんです」

さまざまな経験から、家族を持つには大恋愛より楽しく温かい関係が重要だと気づく。紆余曲折の末、縁が生まれたのが、ソムリエで現在の夫A氏だ。’16年1月に結婚した時、住吉は42歳になっていた。

「あるホームパーティで知り合ったんですが『タイプの人』ではありませんでした。私が進行役で開いた合コンで、別の友人とくっつけようと考えていたくらいです。ただ連絡を取り合っているうちに、A君といると肩の力を抜いた私でいられると感じたんです」

試練もあった。結婚直後から始めた不妊治療が上手くいかず、4年間に及ぶ治療の末に断念することとなったのだ。しかし、そうした人生の挫折も冒頭で紹介したFM番組で活(い)かされた。

「不妊治療をしていることは、リスナーやスタッフに打ち明けられませんでした。隠し事をしているような、奥歯に物が挟(はさ)まったもどかしさを抱えながら喋っていたんです。

でも不妊治療を止めたことで、すべてを仕事に注ぎ込める心境になりました。『もう何も隠さず正直に思っていることを話せる』と。リスナーからのどんなメールも、失敗談も成功談も、丸ごと受け止めようと腹が据(す)わりました」

住吉は最近、リスナーから次のような手紙をもらったという。

〈担当され始めた頃、お声も話し方も迷いが感じられました。しかし、いつの頃からか(中略)本来持ち続けている誠実な人格が現れ、どんどん笑い声も高らかに。ご自分の経験や考え方も惜しみなく聞かせてくださるようになりました〉

住吉が続ける。

「効率良く正解だけを選び生きていくなんて、誰にもできません。ただ、寄り道したりミスしたりした過去は、自分の考え方次第で正解に変えられるんです。私の場合は、正直に自分の体験を晒(さら)す覚悟があれば、きっと誰かの役に立てると思えた。失敗を正解に変えてくれたのが、FMラジオの仕事でした」

偽りない自分をみせる住吉は、リスナーの間で「共感の女王」と呼ばれている。

大学時代20歳の住吉

直筆で座右の銘を記した色紙を手にしニコリ

本誌未掲載カット 住吉美紀・元NHKアナ ″ダメ人間だった私″ ロングインタビュー

本誌未掲載カット 住吉美紀・元NHKアナ ″ダメ人間だった私″ ロングインタビュー

『FRIDAY』2025年10月24・31日合併号より