【NHK朝ドラ「ばけばけ」第4週】背中で泣いた高石あかりの演技 “味”と“ぬくもり”で浮かびあがらせた明治の情景

 高石あかりがヒロイン・松野トキを演じる朝ドラ「ばけばけ」(毎週月~土曜午前8時、NHK総合ほか)。トキが働いていた雨清水家の工場が閉鎖され、松野家はふたたび貧しさの淵に立たされる。トキの夫・銀二郎(寛一郎)は家のために身を粉にして働くが、祖父・勘右衛門(小日向文世)から厳しく突き放され、ついに出奔(しゅっぽん)。トキは、夫を探して松江から東京へ向かう。文明開化のざわめきのなか、トキが目にしたのは――松江とは“異なる食卓”だった。

■英国式朝食の涙と、松江の牛乳“口髭”

 出奔した銀二郎を追いかけ、東京までやってきたトキが迎える朝は、松江とはまったく違うものだ。銀二郎の下宿仲間のひとりである、帝大生の根岸(北野秀気)がある朝に用意したのは、英国式の朝食。トースト、ベーコン、スクランブルエッグが並ぶ西洋風の食卓を前にしたトキは、「こげな料理、初めて見ます!」と言って驚いたあと、牛乳を口にして静かに涙をこぼす。

 高石の芝居は、このワンショットで見事に物語を背負っていた。セリフではなく、背中の演技で泣く。文明開化という言葉でくくられる変化の波に、いっそのこと飲まれてしまいたい気持ちと、松江に残してきた家族への思い。トキの背後で鳴っていた風鈴の音は、軽やかにその音色の余韻を響かせていたが、自身は相反する感情を抑え込めなかった。

「私、松江に帰ります」と決死の思いで銀二郎に告げたトキ。一度は「夫婦ふたりで東京でやり直したい、と考えた。しかし、母のフミ(池脇千鶴)や父の司之介(岡部たかし)、祖父の勘右衛門を指し「あの人たちを放っておくことはできません」と口にするトキの思いも本物だ。貧しい家計をなんとかしたい一心で、婿まで取った彼女。薄っすら感じていた“血の繋がりがないこと”が確実だとわかった今でも家族の関係は揺らがない。

 銀二郎を連れ戻せず、ひとりで松江へ帰ったトキが見たのは、牛乳を飲みながら“口髭”をつくって笑い合う家族三人の姿だった。

“松野家らしい明るさ”と評されるこの場面は、ただのコメディではない。牛乳は、西洋の象徴であり、明治の新しい価値観の象徴でもある。つまりこの「牛乳口髭」は、文明開化の受容をユーモラスに描いたワンシーンなのだ。近代化を「笑い」に変える力。それこそが松野家の生き延びる術であり、“日本の庶民”の強さの原点でもある。

■高石あかりの芝居に潜むリアリティ

 第20回の演出は、東京と松江、この二つの風景の対比で成り立っている。

 東京では、トキが西洋式の朝食の前で泣き、松江では家族が牛乳を飲んで笑う。涙と笑い。異なるリアクションが意図的に立ち現れることで、文明開化がもたらしたのは異なる文化の対立ではなく、遠く離れた者同士をつなぐ“心のリズム”だったと伝わってくる。

 日本も海外に開いていかねばならない、という機運が高まっていた時代。後に来日するレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)とトキが出会い、交流を深めていく展開を予期しているようだ。

 高石の芝居に潜むリアリティは、本作「ばけばけ」の下支えとなっている。彼女の演技にはいつだって、松野トキの、ひいてはモデルとなった小泉セツへの誠実さが滲む。

 銀二郎とふたりで街中を歩くシーン、饅頭を分け合って食べるシーン、「何か出し物を」と請われて出雲の怪談を提案するシーン、牛乳を飲んで静かに泣くシーン。そのどれもが、夫婦の親密さを繊細に映し出すとともに、これからの自分の人生の行く末を、冷静に見定めるひとりの女性を表現していた。

■“味覚”がつなぐふたつの世界――怪談から人間ドラマへ

「ばけばけ」は、“怪談をモチーフとした朝ドラ”として語られることが多い。しかし少なくとも第4週で描かれたトキは、怪異ではなく「文明」という目に見えないものに出会う。

 怪談が“見えないものへの畏れ”だとすれば、ここで描かれるのは“見えない優しさ”への感応だ。トキが泣いたのは、文化の違いが悲しいからではない。日本が少しずつ西洋の文明に導かれていくように、夫婦それぞれの人生も別々の道へ分かれていくことを感じ取ったからだろう。それは、どんな怪談よりも厳しく、静かな衝撃として映った。

 東京と松江の朝。その対比を通じて、「ばけばけ」は“明治=開化の時代”を、光と影ではなく、“味”と“ぬくもり”で描き出している。

 高石あかりのヒロイン像は、この週で一段と深化した。泣くことで彼女は、より一層の強さを内面化したのだ。異文化、異世界、異なる価値観を前にしても、それを“味わってみよう”とする――その柔軟さこそが、後にトキが出会う異人・ヘブンとの交流の深さに繋がっていくのだろう。

(北村有)