【NHK朝ドラ「ばけばけ」第5週】怪談の聴き手・トキ(高石あかり)がヘブン(トミー・バストウ)の“手の震え”から読み取った「恐怖」 共感と雄弁な沈黙

明治時代の松江を舞台に、怪談好きの松野トキ(高石あかり)が、異文化と出会いながら成長していくNHK連続テレビ小説「ばけばけ」(毎週月~土曜午前8時、NHK総合ほか)。モデルは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻・セツだ。怪談というモチーフを通して、“心の光と影”を描く本作は、第5週「ワタシ、ヘブン。マツエ、モ、ヘブン。」で新たな段階へと進んだ。アメリカからやって来た英語教師――いや、実は記者であることが判明したレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)の登場だ。
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■“恐れ”を可視化するミクロ演出
松江の港に降り立ったヘブンは、群衆に向かってぎこちない日本語で挨拶。人々は拍手で彼を歓迎し、誰もが興奮気味に「異国の先生」を見つめている。しかし振り返れば、着港前の船上でのヘブンの表情は浮かないものだった。
トキ(高石)は、その違和感を見逃さない。ヘブンと握手を交わしたとき、彼の手が震えていたことが彼女の脳裏に焼き付いていた。この“震え”が、第5週の鍵となった。
「ばけばけ」では、大げさな音楽や表情ではなく、あえて“触感”を媒介にヘブンの恐怖が伝わるような仕組みを用いた。手のわずかな動き、湿ったような呼吸。トキの視線を経由して、揺らぎを伝える。その「見てしまった」感覚が、のちの25回――ヘブンが部屋にこもって出てこなくなる展開へと結びついていく。
ヘブンが教師として登校を控えた朝。宿泊先の花田旅館は、彼のために豪華な朝食を用意する。しかしヘブンは部屋に閉じこもり、「タベタクナイ!」と拒絶。その声は、異国のイントネーション混じりの叫びであり、料理を運んだ女中が涙ぐむほどの迫力だった。“外国人の異常行動”ではなく、“ひとりの人間の恐怖”として描かれるこの瞬間、画面の空気が凍る。
外では風鈴の音や蝉の声、そして朝の鐘が鳴る。外界の生活音が、絶えず響く明るい音の群れに対して、室内は不自然な静寂に満ちている。障子の向こうに潜む、重量をともなった沈黙。この対比は“閉じた恐怖”を可視化している。
見られること、期待されること、失敗するかもしれないこと。ここには幽霊は登場しないが、生身の人間が抱える恐怖があった。

■トキの翻訳、そして恐怖→言葉→行動へ
騒然とする宿の廊下で、部屋に閉じ籠って出てこないヘブンに耐えかね、通訳の錦織友一(吉沢亮)が無理に障子を開けようとする。しかし、トキがそれを止める。「ヘブン先生は、怖いんだないでしょうか?」静かに放たれたこの言葉が、物語を一変させる。
トキは、ヘブンと握手をしたとき、彼の手が震えていたことを覚えていた。港で見た浮かない顔、ぎこちない笑み――その断片的な記憶が無意識につなぎ合わされ、“彼は怯えているのだ”という仮説を立てるトキ。
この推論は、まさにトキの「怪談の聴き手」としての感性の応用だ。人の沈黙に耳を澄ませ、言葉にならない恐れを読み取る。そして江藤知事(佐野史郎)から、“英語教師として来日したヘブンの本当の職業は、新聞記者”と聞いていた錦織が動く。それでも教壇に立ってほしいと願う錦織は、「あなたが話す言葉を、あなた自身を、みんなは待っています」とヘブンに語りかけるのだ。その一言がトリガーになる。
やがて、弱々しくも自信を取り戻したヘブンは「アイム ハングリー」「ハラヘッタ」と口にして、用意された朝食を食べ始める。それは、勇気を回復させる儀式のようでもあり、“他者の言葉を受け入れた”という小さな受容の証でもある。

■「ばけばけ」流・学びの倫理
異国の地で人前に立つことへの恐怖――それは、誰もが一度は感じたことのある“まなざしの恐怖”である。トキはそれを、異国人の怠惰や奇行ではなく、ひとりの人間の自然な反応として受け止めた。
「ヘブン先生も、人間です。私たちと同じ……」この一言は、異文化理解の核心を突く。“異国人”でも“教師”でもなく、“ただの人”として見ること。その眼差しに、真の共感が宿る。
恐怖や不安は“怪”のように人のなかに潜む。しかし、それらについて語り、理解し、受け入れることで、人は“ばける”。これが、後に夫婦になるトキとヘブンの最初の“心の通わせ合い”だったのかもしれない。
最終的にヘブンは、自らの恐怖を乗り越え、ふたたび扉を開く。彼が教師として人前に立つ日――それは、“恐れを抱えたまま、生きていこうとする”物語として描かれるだろう。
「ばけばけ」第5週は、“異文化交流ドラマ”でも、“恋愛編の導入”でもなく、「恐怖」を通して人を理解する物語として傑出していた。バストウのチャーミングかつ繊細な演技、そして高石の“静かな観察者”としての存在感。彼らの間に流れる沈黙の時間が、どんなセリフよりも雄弁に物語っている。
(北村有)