肥後克広「上島さんは愛されるダメ人間。ずるずるやってきたけれど、2人になって初めてダチョウ倶楽部を続けることを真剣に考えた。現状維持が目標」
* * * * * * *
【書影】肥後克広さんの著書『頼る力』
ずるずる続けてきたら…
沖縄で生まれ育ちました。高校卒業後、東京のデザイン会社に1年務めた後、沖縄に戻ったんですが、芸人になりたくて、再び上京しました。コメディアンの杉兵助さんに弟子入りして。コント55号やドリフターズのような芸人になりたいなあと思っていたんです。でも、その時代に沖縄で芸人をやっている人もいなかったから、とりあえず上京して浅草で芸人ぽいことをやって終わろうという感じでした。
ダチョウ倶楽部結成は1985年。きっかけは渡辺正行さんが企画したお笑いライブでした。出演の約束をすっかり忘れていたときに渡辺さんとばったり会ってライブの話をされたんです。慌てて集めたメンバーが、上島竜兵、寺門ジモン、南部寅太(のちに南部虎弾に改名)。連絡がついた人でコントの大会に出たというのがダチョウ倶楽部の出発点。だからずるずるやってきました。
その後、南部さんが1987年に脱退しても、そのまま3人で活動してきた。そんなに思い入れもなかったし、力も入ってなかったんです。僕がリーダーなのは3人のなかでいちばん背が高いから。周りの2人から見て「リーダー」って言われているとわかりやすいんですよ。
デビューしたての頃はちょうどお笑い第3世代のブーム。芸人はみんな「目指せとんねるず!」「冠番組を持ちたい」と言っていた。でもダチョウ倶楽部は「僕らの夢は現状維持です」と言い続けたんです。これは「若いのに夢がないね、デビューしたばかりなのに」という意味を込めたギャグのつもりでしたが、「現状維持」と言い続けたら、本当にそうなってしまった。本音では「冠番組を持ちたい」とかあったんですけれどね。
ギャグ界のサザン
<『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ‼』でブレイクし、『ものまね王座決定戦』『志村けんのバカ殿様』などで話題に。3人のコンビネーションを生かした芸が愛され、バラエティ番組ではダチョウ倶楽部の特集が組まれることもあるほどだ>

ダチョウ倶楽部の肥後克広さん
転機になったのは1993年に「聞いてないよォ」で流行語大賞大衆部門の銀賞を取ったことですね。流行を生み出せて「やった!」で終わるはずだったのに、芸能レポーターの方から「次は何ですか?」と言われる。「ないですよ」と言ってもしつこく聞かれる。
あまりにしつこいから、無理やりギャグを作りました。そこから延々とギャグを作ることになったので、「ギャグ界のサザンオールスターズ」だと言われます。「ヒット数がすごい」と爆笑問題の太田(光)君も言ってくれました。
ずるずるやってきたダチョウ倶楽部ですが、2022年に上島さんが亡くなりました。その時に「これはいかん」と初めてダチョウ倶楽部を続けることを意識したかもしれません。
「ここは俺しか」
<コロナ禍の閉塞した状況で、上島さんが急逝。肥後さんとジモンさんはコメントを発表した。肥後さんのコメントは「何をやっても笑いを取る天才芸人上島が最後に誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました。でも、それが上島の芸風です。皆で突っ込んで下さい」という芸人・上島竜兵に寄り添ったあたたかなもの。さらに「ダチョウ倶楽部は解散しません。二人で、純烈のオーディションを受けます」というくだりも注目を集めた>
上島さんが亡くなったとき、ワイドショーの司会をしている人たちが、ほとんど友達だったんです。『スッキリ』の加藤浩次、『サンデージャポン』の爆笑問題、『ひるおび』の恵俊彰…。ほぼ同期というか戦友たち。その人たちが上島さんのニュースを取り上げるときに本当につらそうだった。上島さんとの距離も近かったから報じる方もつらい。コメンテーターの方もあたたかい言葉を送ってくださるものの、日本中が「うぅっ」って息苦しくなっているように感じたんです。「早くみんなを助けなくちゃ。ここは俺にしかできないなあ」「みんながふっと息をつけるようになったらいいな」と思っていたんです。

ダチョウ倶楽部の肥後克広さん
一生懸命考えましたよ。事務所が出すような定型のコメントにはならないように、でもユーモアのアクセルを踏み込みすぎないように。いろんなことを調整しながら一晩で書き上げました。娘に「これ大丈夫?」と聞いてチェックしてもらいました。
言い方や言葉ばかり気にしていたので、「純烈」というワードを出したことの重大さには気づきませんでした。だから、コメントを出した後に「救われました」とか「よかった」とか言われたのですが、一方で「純烈に入るんですか?」という問い合わせもきました。事前に純烈側にお名前を出すことをお伝えしていなかったので、申し訳なかったです。
その後、純烈とダチョウ倶楽部でお仕事をすることになって、純烈さんには助けていただきました。
愛されるダメ人間

ダチョウ倶楽部の肥後克広さん
上島さんは、人間の業をすべて隠さず出す人でした。人間はどこかかっこつけますが、上島さんはそれがない。なかなかできないことです。
上島さんって、楽屋泥棒だったんですよ。ある日、上島さんが「リーダ―、この前借りていた3万円返すよ」と言った。「え、貸してないけれど?」と返したら、「バカだな、お前が知らないうちに借りてるんだよ」と悪びれもしない。その時に「この人すごいな」って思ったんですよ。俺だったら黙っているか、そっと財布に戻す。上から目線の泥棒ってすごい。そういうところが好きですよね。

『頼る力』(著:肥後克広/小学館新書)
上島さんから、「リーダー、相談があるんだよ」と誘われて寿司屋に行ったときのことです。上島さんは何も話さずにいて、「リーダー、帰るか」と言われたのでお会計は自分が払うことにしました。そうしたら、お会計で何万円って額を請求されて。刺身とチューハイ何杯か飲んだだけなのに「ええ、高すぎないか?」と思っていたら、寿司屋の大将と上島さんがコソコソしている。大将が「申し訳ありません。上島さんのツケの分が入っています」と告白したんです。
すると、上島さんが「話すなと約束したじゃないか。男と男の約束を破ったな」って大将に怒ったんです。上島さんが怒った理由は男と男の約束を破ったから。「なるほどな」と思いました。結局僕が上島さんのツケを払った。その月からまた上島さんがツケで飲みに行くんですよ。出入り禁止にならない。こんな人いないですよ。それに、僕もいやな気分ではなくて。ダメ人間だけれど愛される人でした。
ダチョウ倶楽部は縁起物
<2人になったダチョウ倶楽部に手を差し伸べてくれる人はたくさんいた。『アメトーーク!』では、恒例の「ダチョウ倶楽部を考えよう」という特集が放送され、番組のオファーは絶えなかった>
TBSの朝の情報番組『ラヴィット!』に出て、持ちネタの「熱湯風呂」をやったんです。その時、SNSをチェックしたら「朝から縁起がいい」というつぶやきがたくさんあった。「朝からうるさい」「下品」だとか「同じことをやっている」と言われると思っていたから驚きました。正月の獅子舞で笑うかというと笑わないけど、縁起がいい。その域に達しているんだから、このままでいいんだと思いました。「面白かったじゃなくて縁起物なんだ」とちょっとさみしくなりましたけどね(笑) 。ジモンは個性的でこだわりの強いキャラなので、うまい具合に絡んでいけばいいかな。
亡くなった母がよく言っていたのは「杉のようにまっすぐに生きろ」ということ。まっすぐに、悪いことはしないで寄り道もしない。沖縄では「なんくるないさ」という言葉がありますが、あれは「悪いことをしなければ何とかなるから大丈夫」という意味。「怠けてもなんとかなるよ」ではないんです。間違ったことをしなければ、周りが助けてくれて何とかしてくれることはあるかもしれないですよね。

ダチョウ倶楽部の肥後克広さん
これまでの芸能生活を振り返ると、人に頼っていましたし、助けられてきました。気づかずに頼っていたんです。もうすでに老後。頼らないと、どんどん時代に置いていかれてしまうから、これからは意識的に周りに頼っていこうと思っています。