紀子さまの「右前?」ジャケットが園遊会で注目 議論を呼んだワケと服飾史の深い背景

 天皇皇后両陛下主催の「秋の園遊会」があったのは、10月28日のこと。そこから1週間以上も話題になっていたのが、秋篠宮妃紀子さまのお召し物のジャケットの合わせについてだ。右前のようにも見えるし、左前のようにも感じる。なんだかモヤモヤするが……。専門家に聞いてみると、奥深い服飾の歴史がゆえのことだった。

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 今年の秋の園遊会のドレスコードは「洋装」だった。女性皇族方の色とりどりのセットアップは、園遊会が行われた東京・赤坂御苑の色づき始めた草木に映えていた。だが、ずらりと勢ぞろいした女性皇族方のお召し物をめぐっては、“議論”が起きていた。

「紀子さまのスーツ、右前ですね」

「紀子さまの服は右前、そのほかの皇族の女性の皆さんは左前なの、どうして?」

 などと、園遊会から1週間以上たっても、SNSなどでは“右前・左前論争”が続いていたのだ。

 紀子さまの“右前か左前か”の議論の前に、そもそも「右前」「左前」とはどういうことなのか。東京家政大学家政学部服飾美術学科の沢尾絵准教授に聞くと、「右前、左前は、本来、日本の服飾に対して使用する言葉です」と返ってきた。

 着物において右前は着用者の右側の衿が手前になる着方、左前は着用者の左側の衿が上手前になる着方だ。“和装では男女とも右前”であることが常識だが……。歴史を紐解くと、かつては左前の時代もあったのだそう。

「服飾史をさかのぼると、大和由来の上下二部式の衣服は左前で着ていたと考えられています。実際、古墳時代の人物埴輪では、男女の着用するに左前がみられるのです」

 この大陸由来の衣服は、飛鳥時代を経て奈良時代へと引き継がれた。

■突然、左前から右前に変更

 左前から右前に変わったのは、奈良時代のことだという。

「『続日本記』から、719年(養老3年)に右衽令(うじんれい)が発せられ、庶民にいたるまですべての人に右前、つまり、右の衿や衽(おくみ)を手前にするよう命じたのです」

 いきなり、左から右へ。紀子さまのお召し物で「右前」議論が起きたように、「正しいのはどっちだ?」と混乱しそうだが……。「そのころの服飾に関する資料といえば正倉院に伝えられた奈良時代の宝物がありますが、たしかに右衽の衣服と左衽の衣服が混在しています。左前から右前へと移行していく時期だったのでしょう」

 毎日着る衣服なので、“明日から全員、右前”とはならず、新調するときには“右前”というように緩やかに右前へ移行していき、現代になると“着物は右前”が定着した。

■紀子さまのジャケットは?

 着物における右前、左前の変遷を理解したうえで、“紀子さまの「右前」論争”を考えてみたい。「私見ですが」と前置きしたうえで、沢尾准教授は推察する。

「着物の合わせ方と洋服文化での言葉の使い方が、混同してしまっているのではないかと感じました」

 近代の黎明を迎えたヨーロッパでは、女性が男性のテーラードジャケットの形をからだにフィットさせてドレスに合わせるといったスタイルが出てきました。衣服の機能性を重視する時代を迎えたからです。当初の作例の中には、男性と同じく、右の身頃にボタンをつけたものも見られますが、やがて女性の衣服では左身頃にボタンがつくようになりました。日本では、そうした西洋の服飾を近代以降にそのまま取り込んでいったわけです。

「現在の女性の洋服というのは、基本的に左身頃にボタンがついているので、紀子さまのジャケットは”逆”と受け取られたのかもしれません。ただ、このジャケットの襟の合わせは、着物のようなデザインにも見える。女性がこのような合わせのものを着てはいけないという決まり事はなく、今はもっと自由な時代です。問題視することではありません」

 紀子さまのお召し物の「右前」議論をきっかけに、服飾の歴史の奥深さを知ることができた今回。おしゃれが楽しくなる深まる秋には、襟元にも注目してみたいものだ。

(AERA編集部・太田裕子)

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