花園初出場「塾高じゃない慶応」ラグビー部の軌跡

慶応高校に比べて知名度で劣る「シキコー」, 夏場まで封印していた「秘策」, 週に1回、慶応大学に「出稽古」, 自主性に委ね「考える習慣」を身につけさせる, 「慶応マイノリティー」の強い絆

埼玉県予選で初優勝を果たし、全国大会への切符を手にした慶応志木高校ラグビー部(写真:荒木博行氏提供)

後半30分を過ぎた、ロスタイムのラストワンプレー。ラインアウトからモールを形成した相手チームがじりじりと押し込み、自陣1メートルほど手前まで迫る。伝統の黄と黒の「タイガージャージ」をまとった選手たちが、低いタックルで猛攻に耐える。

【写真あり】偏差値75! 秀才たちが全国大会への切符をつかみ取るために重ねてきた「自主性を重んじた練習」とは?

すると、根負けした相手が痛恨のヘッドダウン(密集時に頭を相手の進行方向や地面に下げすぎてしまう反則行為)。ペナルティキックを場外に蹴り上げると同時に、レフェリーのホイッスルが鳴る。「その瞬間」はついに訪れた。

21対19。熊谷ラグビー場で行われた「第105回全国高等学校ラグビーフットボール大会」埼玉県予選(第2地区)の決勝戦。2点という僅差で慶応義塾志木高校が一昨年の覇者・川越東高校を下し、悲願の初優勝を果たした。

創部67年目にして初めて手にした「花園」の切符。その快挙に生徒、保護者、OBをはじめとした大応援団のボルテージは最高潮に達し、スタンドは歓喜と興奮のるつぼと化した。そして、その視線はグラウンドの指揮官へと一斉に注がれた。

「……本当に長かった40年間でした」

インタビューのマイクを向けられた同校ラグビー部の竹井章監督は声を詰まらせ、涙をぬぐった。その40年間の苦労をねぎらい、そして偉業をたたえるかのように、スタンドからは「タケイ! タケイ!」と「竹井コール」が送られた。

慶応高校に比べて知名度で劣る「シキコー」

「あのとき、スタンドに目をやると、教え子たちの顔がたくさん見えたんです。アイツもいる、アイツも来ているな、と……。彼らの代で負けた当時の記憶もよみがえってきて、思わず目頭が熱くなっちゃいましたね」

熊谷での歓喜から2週間。竹井監督は当時の心境を振り返り、顔をほころばせた。

池袋から東武東上線で約20分、埼玉県志木市に校舎をかまえる慶応志木高校。イチョウの黄色い葉を踏みしめ、自然豊かな敷地を抜けると、広大なグラウンドに出る。そこには、3週間後に迫った全国大会に向けて汗を流す慶応志木フィフティーンの姿があった。

同校の入試偏差値は75(みんなの学校情報)。関東圏のみならず、全国でも指折りの難関校として知られる。厳しい受験を勝ち抜いた生徒が埼玉県内だけでなく東京や千葉からも集い、ほぼ全員が慶応義塾大学へ内部進学する。

慶応高校に比べて知名度で劣る「シキコー」, 夏場まで封印していた「秘策」, 週に1回、慶応大学に「出稽古」, 自主性に委ね「考える習慣」を身につけさせる, 「慶応マイノリティー」の強い絆

全国有数の難関校だが、塾高と比べると知名度は高くない(撮影:風間仁一郎)

ただ、同じ慶応の付属高校でも、横浜・日吉の慶応義塾高校に比べて同校の知名度は高くない。

2023年、夏の甲子園で107年ぶりの全国制覇の偉業を達成した「塾高(ジュクコー)」こと慶応高校。その野球をはじめ、ラグビーやテニスでも名門である同校に対し、慶応志木の名がスポーツの分野で全国区になることはほとんどなかった。それだけに、今回の「志木高(シキコー)」の快挙に同校OBはもちろん、多くの慶応関係者も沸き立ち、SNSなどで喜びの声を発信している。

夏場まで封印していた「秘策」

創部は1958年。慶応志木高ラグビー部(正式名称は「蹴球部」)の67年間は、つねに厚い壁に阻まれ続けてきた歴史だ。

慶応高校に比べて知名度で劣る「シキコー」, 夏場まで封印していた「秘策」, 週に1回、慶応大学に「出稽古」, 自主性に委ね「考える習慣」を身につけさせる, 「慶応マイノリティー」の強い絆

慶応志木高ラグビー部の戦績

埼玉県は古くから正智深谷(旧・埼工大深谷)、深谷、熊谷工業など県北部の高校が代表の座を独占してきた。慶応志木もその「県北勢の壁」をなかなか超えられず、ベスト8止まりが続いていた。

風向きが変わったのは13年。県立浦和が54年ぶりの優勝を果たし、「県北勢一強」に待ったをかけたのだ。県内屈指の進学校である同校の躍進を機に、埼玉県内の勢力図は変化。直近の5年では川越東と昌平の私学2校が優勝を分け合っている。

徐々に群雄割拠の様相を呈する中、慶応志木も着実に力をつけ、10年頃からベスト4に名を連ねるように。県北勢をはじめ強豪校に勝つことも増えたが、それでも花園の切符まではあと一歩、二歩のところで涙をのんできた。

そんな同校が、今回なぜ悲願の「埼玉県代表」の座を手にできたのか。竹井監督は「レギュラー陣がケガで離脱することなく、ベストメンバーをそろえることができた」と語る。だが、話を聞いてみると、ほかにも「必然」といえる要因があった。

戦術面では、決勝の川越東戦、7対12のビハインドで折り返した後半に象徴的なシーンがあった。モールで10メートル以上相手を押し込み、同点のトライにつなげた場面だ。実はここには「秘策」があった。

「夏場まではあえてモールを封印していたんです。部員たちには『試合で負けてもいいから』と、横に展開するラグビーに注力してもらいました」(竹井監督)

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40年にわたってラグビー部を指導する竹井監督(撮影:風間仁一郎)

ラグビー経験者が集う強豪校と異なり、慶応志木ではほとんどの部員が入部して初めて楕円球に触れる。ハンドリング技術や走力が必要とされる展開プレーに比べ、モールは技術的な要求が少なく、練習の成果が出やすい。そのモールを磨くほうが、強豪校との経験の差を埋めるには「近道」なのだ。

それでも、夏場まではモールに頼らず、苦手な展開プレーの強化に努めた。その間の試合では大敗を喫することもあったが、結果を追い求めず、「どの場面でモールを使ったら効果的なのか」を部員たちに考えさせた。その成果が、決勝の舞台で発揮されたのだ。

週に1回、慶応大学に「出稽古」

もう1つの要因は、関東大学ラグビーの名門・慶応大学との連携強化だ。

9月以降、レギュラーの選手たちは毎週1回、日吉の慶応大学ラグビー部のグラウンドを訪ね、大学生や兄弟校・慶応高校との合同練習を積み重ねた。電車で片道1時間かかるが、竹井監督も必ず同行し、「出稽古」を見守った。

さらに、夏休みや冬休みの合宿には大学ラグビー部が選手をコーチとして派遣。合宿生活を共にしながら親身に指導に当たってくれた。高大一貫校ならではの「オール慶応」のバックアップが、伸びしろの大きい高校生たちの成長曲線を押し上げた。決勝戦には、大学や慶応高校の選手たちも応援に駆けつけた。

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縁のあるコーチ陣がチームを支える(撮影:風間仁一郎)

豪華な「臨時コーチ」の存在も大きい。縁あって、元ラグビー日本代表で東芝ブレイブルーパス監督も務めた冨岡鉄平氏が定期的に練習を見に来てくれる。同じく元日本代表の浅野良太氏、猪口拓氏も、息子が同校の現役部員ということもあって、時折グラウンドに顔を出す。桜のジャージに袖を通したラガーマンたちとの出会いも、彼らの戦術面やメンタル面に大きな刺激をもたらした。

「入学式の日、猪口さんが『息子がお世話になります』とあいさつに来てくれたんです。その場で『4月からコーチね!』とスカウトしました(笑)」(竹井監督)

85年に同校に赴任して以来、40年もの長きにわたり部員たちを見守り続けてきた竹井監督。20~30代の青年監督時代は「理想のラグビーを追い求め、自分の考えを部員に押しつけることもありました」と振り返る。

「でも、生徒が『はい』しか言わないことに気づいたんです。『なんでこうやったんだ?』と聞いても『はい』と返ってくる。そのほうが楽だからなんですよね。そこから生徒たちの自主性に任せ、考えさせる方針に切り替えました」

慶応高校に比べて知名度で劣る「シキコー」, 夏場まで封印していた「秘策」, 週に1回、慶応大学に「出稽古」, 自主性に委ね「考える習慣」を身につけさせる, 「慶応マイノリティー」の強い絆

練習のスタートは円陣から(撮影:風間仁一郎)

毎週月曜日には部の目標、フォワード・バックスの目標、個人の目標の「3つの目標」を部員たちで話し合って設定。週の終わりに目標が達成できていたか、できていない場合は何が原因かを振り返る。こうした地道なPDCAサイクルを、各部員が週単位で回し続けている。

昼休みには誰に言われるでもなく、部員たちがウェートルームに集まる。そして昼食をとりながら、竹井監督が持ち込んだワールドカップや代表戦などのビデオを観て「どうしたら自分たちはこのプレーをできるようになるか」など議論を交わす。

自主性に委ね「考える習慣」を身につけさせる

部の運営方針も部員たちで決める。ある日、キャプテンが竹井監督にこう提案したという。

「僕たち3年生が荷物当番をやりたいんです。1年生に雑務をやらせるとイヤになって辞めてしまうから……」

ラグビーの大学王者・帝京大学では、荷物持ちやグラウンド整備、掃除などの雑務は上級生が担当する「決まり」がある。そのことを知った部員たちが、自ら取り入れたいと申し出たのだ。

「でも結局、試合に出た3年生が荷物を背負っているのを見た1年生が『自分がやらなければ』と気づき、率先して手伝うようになるんですよ」と、竹井監督は目を細める。

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自主的に練習に励む選手たちを見て、武井監督も目を細める(撮影:風間仁一郎)

日々の練習での気づきを書きとめるラグビーノートも、「好きなときに提出して」とあえて強制はしない。提出を義務づけると「やらされ感」で内容が雑になるためだ。

「それでも、キャプテンをはじめレギュラーの部員が毎日提出していたら、周りもおのずとそれに引っ張られるようになる。それに、書いた内容はミーティングで発表することもある。『ヘタな内容は書けない』と緊張感が自然に生まれます」

ラグビーという競技は、いったんフィールドに出ると監督やコーチを頼ることはできない。選手たちがその場で次のワンプレーを決断しなければならない。普段の練習での「自ら考える習慣」の差が、ギリギリの局面で勝敗を分けるのだ。

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過酷な練習の積み重ねの先に全国大会への切符を手にした(撮影:風間仁一郎)

体育の教員でもあり、来年には定年を迎える竹井監督。その40年間の指導歴の中で、地道に築き上げてきた「財産」がある。それはOBの存在だ。

週1回の「出稽古」に胸を貸してくれた、慶応大学ラグビー部。同部を率いる青貫浩之監督が現役時代にコーチを務めていたのが、実は慶応志木高のOBなのだ。「自分がお世話になったコーチの恩師だから、何でも協力したい」と、練習への参加やコーチの派遣を快諾してくれた。また、前出の冨岡氏も同校OBからの紹介によるものだ。

OBのサポートは、グラウンド外にもおよぶ。学業成績が留年ライン付近の“イエローカード”の部員に対しては、高校時代に成績優秀だったOBの大学生が「家庭教師」につき、レポートの書き方やテスト対策などを徹底指導する。

「慶応マイノリティー」の強い絆

慶応のOB組織「三田会」は、早稲田の「稲門会」と並んでその絆の強さで知られる。そこに加えて「志木高」と「ラグビー」の経歴を併せ持った人はかなりの少数派だ。この「慶応マイノリティー」の絆が強固なスクラムを形成し、現役部員をあらゆる方向からバックアップする。

ベスト8、ベスト4の壁に涙をのんできたOBたちの思いも一身に受け、花園のフィールドに立つ慶応志木フィフティーン。竹井監督は、大舞台での抱負を次のように語る。

「どこまで勝ち進めるかは相手のある話なので、正直わかりません。それよりは、『自分たちのベストを上回ろう』と部員たちには話しています」

慶応高校に比べて知名度で劣る「シキコー」, 夏場まで封印していた「秘策」, 週に1回、慶応大学に「出稽古」, 自主性に委ね「考える習慣」を身につけさせる, 「慶応マイノリティー」の強い絆

花園でも自分たちのベストを貫けるか(写真:荒木博行氏提供)

「自分たちのベスト」とは、精神論ではない。部員たちは練習を含む日々の生活で、GPSセンサーを内蔵したデバイスを身につけている。収集された加速度のデータから、その日のパフォーマンスが数値化されるのだ。

竹井監督は「このパフォーマンスのスコアで、決勝の川越東戦を上回ることが目標です。そのベストを出すために、彼らは残り少ない期間を一生懸命準備に費やしています」と、楕円球を追う部員たちに目をやった。

都会育ちの塾高生に比べ、あかぬけないけど実直で真面目。それが、昔も今も変わらぬ「志木高生」評だ。そんな彼らの初陣は12月27日、対戦相手は青森山田高校(青森県)に決定した。「シキコー」の名を全国に知らしめる、その舞台は整った。