看板娘が吉祥寺の食堂で客を勇気づけたノート

タイのゴチャ感と楽しさあふれる1階。天井のタイ国旗はなっちゃんと父とで塗ったとか(筆者撮影)
横丁の路地裏に、南国があった。
【写真を見る】タイ東北部コラート出身のコックが本場の味を提供してくれる
店の中はタイのナイトマーケットを思わせるごちゃごちゃさでメニューやらポスターやらが貼られ、タイの雑貨やガイドブックが飾られて、なんだかおもちゃ箱のようだ。テレビからはタイの明るいポップソングが流れる。
あまりのハデさと賑やかさに驚いていると、明るい声が響く。
「いらっしゃいませー、サワディーカァ!」
タイ語のあいさつとともに印象的なのは、なんとも明るく魅力的な、その笑顔。「アジア食堂ココナッツ」の看板娘、小林ポンティップさんだ。
「微笑みの国」とも呼ばれるタイから来た母と、日本人の父を持つ彼女の笑顔に癒やされて、束の間のタイ旅行気分に浸るため、今日も多くのお客がやってくる。
バンコク生まれ、日本育ち
ここは東京都武蔵野市吉祥寺。駅の北口を降りた目の前に、迷路のように狭い道が入り組む一角がある。戦後のヤミ市をルーツとする「ハモニカ横丁」だ。昔からのたたずまいを残しつつ、いまではおしゃれな居酒屋やバーも軒を連ねる不思議な空間になっているが、「アジア食堂ココナッツ」もその中に溶け込んでいる。

3階は貸し切り用で子連れのお客もゆったりできると評判(筆者撮影)
タイでは誰もが本名ではなくチューレン(ニックネーム)で呼び合う文化だが、ポンティップさんは「なっちゃん」という名で親しまれる。
「お母さんが妊娠しているときに、よく梨を食べていたそうなんです。それと、ジュースの『なっちゃん』もよく飲んでいて、お腹の中にいるときから私のことをなっちゃんって呼んでたみたいなんです」
その母はもともと、留学生として日本にやってきた。1990年のことだ。日本語を磨き、食品関係の会社でアルバイトをしていたのだが、そこの社員だった父と出会った。
やがてふたりは結婚し、なっちゃんを授かるのだが、出産はタイだった。日本語だけでなく、タイ語やタイの文化も身につけてほしいという母の思いがあったからだ。祖母や叔母に囲まれて育ったなっちゃんは「猿みたいにヤンチャな子だった」そうだ。
「家の中を走り回って、男の子みたいだった」

2階のテーマはタイの島。もっとリゾートっぽい内装にしたいそうな(筆者撮影)
日本の小学校にはすぐになじめた
当時から元気いっぱいだった彼女は首都バンコク西部のピンクラオという街で成長していくが、7歳のときに日本へやってきた。
「はじめは緊張しました。だって転校生って、最初に全校生徒の前であいさつするんですよ。700人くらいいたのかな。そこで『タイから来た小林ポンティップ』ですって」
その瞬間、生徒たちはザワついた。当時はまだあまり聞き慣れないカタカナの名前のインパクトがあったのか、すぐにみんなに覚えられ、違う学年の子からも「あ、ポンティップだ」なんて言われたりもした。「ガイジン、ガイジン」といじめられることもあった。
「でも、ドッジボールに誘ってくれたり、優しく話しかけてくれる子もいっぱいいて、すぐに友達もできました」
はじめのうちは日本語がわからず、授業中はボランティアの女性が横につきっきりで教えてくれた。それにタイの社会や大家族が育んでくれた明るさや社交性もあったのだろう、すぐに言葉を覚え、日本の暮らしになじんでいった。
転機が訪れたのは高校2年生のときだ。父が退職し、両親が知人のタイ人コックとレストランを始めたのだ。店を開く場所をあちこち見て回り、活気のある吉祥寺の中でも人気のハモニカ横丁に空き物件を見つけた。しかし駅に近く繁華街の真ん中で、高い家賃に父は尻込みした。
「でも、絶対にいい場所だって思ったお母さんが契約書にサインしたんです」
開店は2010年。タイ料理と、当時はあまりなかったベトナムのフォーを出す店だった。両親のがんばりのおかげで店は軌道に乗り「そのおかげで大学にも行けた。感謝しています」となっちゃんは話す。
父から店を引き継いで
そして社会人になり、自動車のディーラーで働いていたときのことだ。父が体調を崩してしまう。店の仕事を続けるのは難しい。そんな父を見て、なっちゃんは会社を辞めた。母とともに店を支えようと決めたのだ。
「会社の先輩からはすごく反対されました。自営業はたいへんだよって。でも私は、とりあえずやってみようってワクワクした気持ちのほうが大きかったですね」
しかし、タイミングの悪いことに、直後にコロナ禍となってしまう。ハモニカ横丁にも閑古鳥が鳴いた。だが、それでもなっちゃんはめげなかった。この際だからと長期休業し、店を思いっきり大改装したのだ。今のハデハデで陽気な内装を、少しずつ作りあげていった。

タイ東北部コラート出身のコックが本場の味を提供。辛さは調整してくれる(筆者撮影)
「コロナのときってネガティブなニュースがすごく多かったじゃないですか。だから、来てくれた方が明るくなれるような店にしたかったんです」
タイ人はよく「マイペンライ」と口にする。「大丈夫、なんでもないよ、なんとかなるさ」的なニュアンスで使われる、ポジティブな言葉だ。その考え方を、日本人にも伝えたい。手書きのポップやメニューの説明もいちいち楽しげに感じるように工夫した。
さらに2階はリゾート地プーケットをイメージして鮮やかなブルーに染め上げ、3階はタイ北部の古都チェンマイに多い少数民族の布を飾って、貸し切りフロアとして使うことに。
メニューも一新し、飲みに来るお客の多い横丁に合わせ、酒のつまみになるようなスモールサイズでリーズナブルな料理をそろえて、レストランというよりも居酒屋スタイルにした。こうして新生した店と看板娘なっちゃんは、コロナ禍を乗り越えたハモニカ横丁の名物になっていった。
ココナッツ名物「ポジティブノート」とは?
初めて来たお客がとりわけビックリするのはトイレだろう。ここもやっぱりにぎやかに飾り付けられているのだが、なんといっても気になるのは便座の後ろに置かれた「ポジティブノート」だ。トイレのついでにめくってみれば、お客の書き残した言葉がたくさん並ぶ。
“幸せな気分になれました”“人生つらいこと多いけど、おいしいものを食べればハッピー”“これで来週もがんばれる!”“バンコクの屋台を思い出しました”

ぜひチェックしてほしいポジティブノート。前向きな気持ちになれるはず(筆者撮影)
中にはトイレからまったく出てこないお客もいて、あとから聞いてみたら「ノートぜんぶ読んできました、病んでたけど元気になりました」なんて言われたこともあったそうだ。
「日本人ってポジティブさが足りないと思うんです。だからノートにいいことを書いてもらって、ポジティブになって、それが連鎖していってくれたらと思って」
そう笑いつつも真顔になって、なっちゃんは続ける。
「やっぱり人間ってね、みんな悩むと思う。でも、そこからは自分次第。来てくれた皆さんには、できるだけ明るい方向に気持ちを持っていってほしいなって思うんです」
だからお客を巻き込んだイベントもよく開催している。タイ好きな男女を集めた合コン、通称「ココナッツコン」ではカップルも誕生したし、なっちゃんと同じく日タイハーフの人から「同じ立場の友達がいない」と相談されてハーフパーティーも開いた。
タイ名物の3輪自動車トゥクトゥクを輸入する人が日本でも少しずつ出てきているが、そのオーナーを集めた会も好評だった。
「あとでみんなでツーリングに行ったそうです」
今ではすっかりタイが大好きな日本人をつなぐ場所として知られるようになっている。
通訳やMCとしても活躍
最近のなっちゃんは店に加えて通訳としても活動をしている。
「もともと格闘技が大好きでボクシングをやってたこともあるんですが、試合のために来日したタイ人のムエタイ選手の記者会見に同席したり、タイ人選手が勝ったときはリングの上で勝利者インタビューの通訳をしたり」
何人もの日本人選手と対戦してきたムエタイ世界王者スーパーレック・キアトモー9の通訳を担当したこともある。
「まじめな記者会見でみんな真顔なのに、いつもみたいについニコニコしちゃって」

タイフェスティバル2024でMCを務めたときの様子(なっちゃん提供)
東京・代々木公園で毎年5月に開かれ25万人前後もの集客を誇る巨大イベントに成長したタイフェスティバルでは、2024年にムエタイステージのMCを務めた。イオンモール幕張のタイフェスティバルでも2021年からMCを任されている。
華々しい舞台で活躍しながらも、店に帰ってくれば横丁のひとりだ。隣近所の店とはみんな親しいし、日本人とも、最近は飲食業に欠かせなくなっている外国人ともあいさつを交わす
「そこのタンス屋さんのお母さんから『シャッターが壊れて開かないから手伝って』って呼ばれたり、どうしても缶切りが見つからなくて隣の餃子屋さんに借りたり。心温かい場所ですよね」
これからもハモニカ横丁でやっていきたい。なっちゃんはそう言ってとびきりの笑顔を見せてくれた。