〈独占取材〉三田寛子「長男・橋之助が婚約を発表。歌舞伎のために大学を退学するときは〈お母さんごめんね〉と謝ってくれた」
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【写真】婚約会見で。三田さんの着物で指輪を見せる能條さん
「これ好き!」と思わせるのも私の役割
<三田さんは15歳で京都から上京し、芸能界入りした。女優や歌手として人気を博し、大忙しの日々を送る。高校を卒業したのは20歳の時。そんな青春時代を過ごした三田さんが、長男橋之助さん、次男福之助さん(28)、三男歌之助さん(24)を育てる時、託した思いとは>
私は中学3年生で東京に出てきたので、私の青春イコールお仕事でした。最終的に5年もかかって高校を卒業し、大学受験は失敗しました。3人を育てるに当たっては、学校生活を大事にすることを心に誓いました。それは、友達と過ごすかけがえのない時間や先生から受けた注意やアドバイスが、後の私の人生にとても役に立っていると思うから。
主人の家は、学業や運動より歌舞伎が最優先だったのですが、そこは信念を貫き自分ができなかったことを十二分に子育てに生かし、学業からスポーツ、習い事までやらせたいと思い、歌舞伎のお稽古を優先しながらお役がつくまでは何でも挑戦させました。
子どもがお腹の中にいる時から、運動ができる子になるようにとマタニティースイミングに通ったり。産後は、大ヒットした映画『私をスキーに連れてって』に影響され男の子はスキーができなきゃダメでしょ! と力を入れました(笑)。その結果、橋之助は全部吸収してくれましたが、下の子2人はスキーがトラウマになったようです。
歌舞伎の家に生まれて歌舞伎が嫌いになったら不幸になると思い、歌舞伎のお稽古もきちんとやらせました。やるやらないは本人が決めることだけれど、「これ好き!」と導いていくのも私の役割だと考えました。

親子4人揃っての襲名(撮影:荒木大甫)
自主公演「神谷町小歌舞伎」
<橋之助さんは2000年9月、4歳の時に初代中村国生を名乗り初舞台を踏んだ。以降、学校生活と歌舞伎の両立は大変だったのではないか>
橋之助は、青山学院高等部時代、ゴルフ部の部長や学園祭のまとめ役もやっていました。責任感が強く人望も厚い、人を引っ張ることが得意なのです。歌舞伎も疎かにしませんでしたが、高等部時代はそんなに舞台のお役をいただけないし、変声期は踊り中心でセリフがあまりないから両立ができました。
ところが、大学に進んで歌舞伎の仕事が増えてくると学校に行けなくなり、留年や休学を繰り返して結局、3年生の時に退学しました。私が大学に行きたかったのを知っていたので「お母さん、ごめんね」と謝ってくれました。学校で学んだことは大きく、親が教えられないことや経験させられないことを身につけ、それはしっかりと歌舞伎にも活かされていると思います。

母を囲んで仲睦まじく
<「兄弟3人仲良くお互いをリスペクトし合うこと」が三田さんの一番の願い。その大きな結実の一つが、3人による自主公演「神谷町小歌舞伎」。「神谷町」は七代目中村芝翫さんの住居があった場所。「神谷町小歌舞伎」は、三田さんの人生の節目にもなった>
小さい頃から「芝居ごっこ」をやっていた3人が、本物の歌舞伎の自主公演をしたいと話し合って実現させたのが「神谷町小歌舞伎」です。

芝居ごっこを楽しむ幼い頃の三兄弟
「小」には、将来、成駒屋三兄弟が主役を張る「神谷町大歌舞伎」の看板を歌舞伎座にかけたいという目標が込められています。
折しも2023年5月、新型コロナウイルス感染症が感染法上の5類に移行した翌月、「第一回神谷町小歌舞伎」を開催しました。父芝翫にも私にも相談ゼロ。何も教えてくれないから、リビングの大テーブルの下に愛犬のメンマと隠れ、一緒に寝落ちしたふりをして3人の打合せの様子を盗み聞きしたこともあります。完璧じゃない3人だけれど力を合わせて船を漕ぎ出した自主公演も回を重ね、今年5月に4回目を迎えます。

第一回神谷町小歌舞伎
神谷町小歌舞伎がスタートした57歳の時、もうこれ以上親が出ていくことはないと、子離れのタイミングを実感しました。息子たちも「お母さん、これからはもう心配しないで、自由にいろんなことすればいいよ」と背中を押してくれました。それで、これまでは実家に帰ることに遠慮があったのですが、京都の父のもとに毎月のように帰らせてもらえたおかげで、最後は父を看取ることができました。
もう一つ。私はアイドル時代、雨で撮影休止など自由時間ができると羽田空港に直行していろんなところに行っていました。それを復活させ、時間ができると出かけるようになりました。友達を誘ったり、1人で出かけたりして楽しんでいます。
愛未ちゃんに寄り添ってあげられたら
<50代最後の年に橋之助さんの婚約という大きな幸せ。相手の能條さんは三田さんと同じく、芸能界から歌舞伎の家に入る。三田さんから見て、歌舞伎界の「奥様」の世界は変わったのだろうか>
時代によって変わってきているように思います。34年前に来た時、お義母様には「あらあら新人類ね。私がお嫁に来た時はね……」と言っていろいろなお話をうかがいました。お義母様がお嫁に来た頃は、そうそうたる先輩歌舞伎役者の奥様だけで劇団みたいなものを作ってお芝居をしたり、奥様だけで旅行したりしていたそうです。でも、私はお嫁に来て以来、先輩役者の奥様たちと一緒に旅行したりしたことは一度もありません。
芸能界から歌舞伎界に来た時、山城屋のおば様(四代目坂田藤十郎さんの妻で参院議長を務めた扇千景さん)や音羽屋のお姉様(七代目尾上菊五郎さんの妻で女優の富司純子さん)も宝塚や同じ芸能界からお嫁入りされたので、気にかけてくださり、よく声もかけていただきました。
当時、私は芸能界を引退するつもりでしたが、お義母様たちから「引退する必要はないんじゃない」と言われました。歌舞伎役者の妻は、夫が出演する舞台を取材してくださる記者さんの対応や自ら宣伝を担うこともあるから、無理に引退する必要はないと。仕事をセーブし、開店休業状態ではありましたが、引退宣言はしませんでした。
愛未ちゃんも、芸能界から全く違う世界に入ってくれます。私も辛かったことやしんどかったこと、言葉にできない苦労がたくさんありました。人に言うべきではないと自分の中で抱え込んでしまうことも。その経験があるから、愛未ちゃんの気持に寄り添ってあげられたらと思います。
これからは自分の時間も大切に
<辛かったこと、しんどかったことは?>
歌舞伎を全く知らなかったことです。小さい頃、日本舞踊を習っていた関係で、たまに祖母に連れられて緊張しながら歌舞伎を観た記憶がある程度です。とにかく結婚が決まってからは寝る間を惜しんで歌舞伎に関する本を読むなど、できることは全て頑張りました。最初の5年は、完璧を目指そうとしましたが、ある時、生まれながらにこの世界にいる人たちの足元にも及ばないことに気づかされました。今は歌舞伎のことで分からないことがあれば、息子たちに聞くようにしています。子どもたちは厳しい稽古のうえに、常に勉強をしていますので、とてもわかりやすく教えてくれます。
それに私は婚約期間中、絵画、茶道、華道、習字、料理などたくさん習い事をして、とにかく頑張らなくてはと必死でした。愛未ちゃんから、習い事に関していろいろな相談を受けますが「あれもこれもやったら疲れてしまうから、ゆっくり焦らず、一つずつ確実に身につけていけばいいのよ」と話しています。
ただ、着付けだけは、「習いに行きなさい」と伝えました。私は着付けを習いたかったのですが、お義母様に「見て覚えなさい」と言われたので習いに行かず…。いまだに見て覚えた着付けなので、不器用な私はあまり上手ではありません。
<これまで10年単位で目標を立ててやってきた。子育て、歌舞伎俳優の妻・母としての仕事、芝翫さんと息子3人の同時襲名、芸能界の仕事への復帰ーーと20代、30代、40代、50代と、思ったように生きてきたという。還暦からの10年はどう進む?>
還暦を目前にこの1年間を過ごしてきましたが、これからの土台になっているような気がします。今年、還暦を迎え自分にもっと正直に生きていきたいと思うようになりました。今までは家族や仕事を最優先にしてきましたが、これからは自分の時間も大切にしていきたいと思います。