「パパ、ちゅき」3歳の娘を残し、父だけ強制送還された家族の選択

――「この国に生まれたことが、罪ですか?」

日本で生まれ、日本語しか知らずに育ちながら、在留資格を持たず生きる子どもたちがいる。国民健康保険にも入れず、進学や就労の道も閉ざされ、強制送還の不安と隣り合わせの日々を送る。

子どもたちを物語の主役とした書籍『仮放免の子どもたち』では、データや政策を整理したコラムも収録し、外国人政策の「今」を描き出す。

本記事は、池尾 伸一『仮放免の子どもたち 「日本人ファースト」の標的』(26年1月22日発売)の一部を抜粋・編集しています。

『「いいことがある」と入管に呼ばれ、手錠をかけられた... 3歳の娘と離ればなれになった父』より続く。

苦肉の選択とは

所持金がほとんどなかったエルバンは親戚に電話をかけ、飛行機のチケットを買ってもらい、そのチケットでようやく出身地の黒海に面した港町に着くことができた。しかし、「ルナとアユミに会いたいばかり。何も手につかず抜け殻のような日々をすごした」という。やがて、建設現場で重機を操作する仕事をみつけた。

日本に残されたルナも夫を奪われ失意のどん底だった。アユミもパパが突然いなくなった異変を感じ、泣いてばかりだ。ルナも自動車部品会社での仕事の一方で、生後9ヵ月のアユミと持病のある母を抱え、目の回るような忙しさだ。家のローン負担も重く、家計的にも追い詰められた。ルナは「この先どうやって暮らしていけばいいのかまったく分からなかった」と語る。

翌年2022年になると、エルバンは軍隊に徴兵された。徴兵制を敷くトルコでは兵役は20歳以上の男性の義務。16歳から日本で暮らしていたエルバンは兵役を務めねばならなかったのだ。5ヵ月後に除隊したが、妻子に会いたい気持ちは抑えきれない。考え抜いた結果、一つの考えに行きついた。

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「韓国に働きに行く」ことだった。

日本の入管難民法は1年以上の拘禁刑を受けた人は将来にわたり日本に入国できないと定めている。傷害で1年の懲役(当時)を科せられたエルバンが日本に入国することは極めて難しい。一方でルナも、母親が老いて脊柱管狭窄症などの持病もあり、トルコに移り住むことは難しい。まだアユミは生後1年にも満たないため、14時間もかけてトルコに来ることだって困難だ。しかし、韓国ならば中部国際空港から2時間で来られる。ルナが働く工場が休みになるお正月などには、来ることは可能に思われた。

「とにかくアユミを抱っこしたくてたまらん」。2023年1月、エルバンは韓国に飛んだ。生木を裂くように、突然引き裂かれた家族。どんなに一緒に暮らしたくても暮らせない。窮した揚げ句の「苦肉の選択」だった。

2年ぶりの「抱っこ」

観光ビザで韓国に飛んだエルバンは、一定期間働くことができる在留資格を得て、建築のブロックやレンガを積む仕事をみつけた。仕事が終わると毎日欠かすことなく、スマホのビデオチャットを使い、ルナやアユミと顔をみながら話をした。日本との時差が6時間あるトルコでは、午後6時ごろエルバンの仕事が終わり、スマホで、妻子と話そうとしても、日本では深夜零時ごろで、すでに妻子は眠っている。週末ぐらいしかお互いに話ができなかったのに比べると、日本と時差がない韓国ではスマホでの会話もしやすかった。

そして、待ちに待ったその年の8月がきた。お盆休みだ。ルナとアユミが飛行機でやってきた。

「2年ぶりにアユミを抱っこできた。ちっこかったアユミがえらい重くなった。涙が出てまった」。エルバンは名古屋弁なまりで言う。

「パパ、ちゅき」。アユミもパパを抱きしめた。

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別れた時は泣いたり笑ったりしかできない赤ちゃんだったアユミは2歳半。片言をしゃべれるようになっていた。

それから、お盆休みと、冬休みに必ずルナとアユミがやってくる生活になった。韓国では正月休みやお盆休みの習慣はないが、エルバンは勤め先に頼み込んでその時期10日間の休みを取る。ルナは格安航空会社のチケットを数ヵ月前から予約しておく。すると2人で9万円ぐらいで往復できるのだ。

その年、2023年末の冬休みはクリスマスを一緒に過ごした。山でそり遊びをして、年明けのお正月にはアユミの誕生日を一緒に祝った。3人でいっぱい笑った。しかし、翌日には別れねばならなかった。

あっという間の1週間

そして長い7ヵ月を経て、2024年8月のお盆休みが始まろうとしていた。ルナとアユミが韓国のエルバンのところに来るのは今回で3回目だ。わたしも同行させてもらうため、中部国際空港でルナとアユミに合流した。

ピンクのリュックサックを背負ったアユミがママに手をひかれてやってきた。「パパ行くよ、パパ行く」。飛行機に乗る前からアユミは興奮気味に何回も繰り返している。久しぶりにパパのところに行けることになり、うれしさを抑え切れないのだ。

2時間のフライトで、仁川国際空港に到着。モノレールに乗り、入国審査や税関のあるビルに着くと、アユミはそわそわしだし、歌を歌い、スキップし始めた。税関のゲートを出ると、キョロキョロしている。しかし、なかなかみつからない。そして、ついにみつけた、その人。アユミはママの手を離して全力で駆けていく。

パパの胸に思い切り飛び込むと、パパはきつく抱きしめてくれた。パパの涙がアユミの頬にこぼれた。7ヵ月ぶりに再会した家族は、まずソウル市内にある、エルバンの行きつけのトルコ料理のレストランで、ケバブをおなかいっぱい食べた。トルコ特有の伸びるアイスクリーム「ドンドゥルマ」も出てきた。アユミの大好物だ。そしてソウルから車で約1時間半のポチョンの街に着いた。

エルバンはこの街でアパートを借り、働いているのだ。山や渓谷に囲まれたポチョンは風光明媚な街だ。夏はソウルに比べて涼しく過ごしやすいが、冬は零下20度にもなる厳寒に耐えねばならない。

その日、アユミは興奮し、パパと遊んで午前1時ごろまで寝なかったという。ベッドではパパに抱きしめられ眠った。エルバンが強制送還されるまでは毎日そうやって眠っていたのだ。

翌日は、渓谷をせき止めた水遊び場に遊びに行った。

救命具をつけたアユミは、パパに抱かれずっとニコニコしている。その様子をルナが、ほほえんで見守っている。

河原にあがっておやつを食べる。「はいパパ」とポテトチップをエルバンの口にいれると、今度は「はいムシさん」と地面にいるアリたちにもあげた。

「アユミちゃんはやさしいね」。エルバンが言う。

夕食は韓国フライドチキンの店に行った。

「ポヨ、いっぱいね」。チキンを山盛りにした皿を前にしてアユミがうれしそうに言った。「ポヨ」はスペイン語で「トリ」のこと。アユミは保育園では日本語だが、家ではペルー出身のルナの母語、スペイン語で話すことも多いため、スペイン語の単語もよく出てくる。

夕食後、エルバンのアパートでのこと。ソファでアユミを真ん中にエルバンとルナがくつろいでいる。夫婦が顔を寄せ、キスをしようとすると、アユミが下から手を伸ばしてさえぎった。

「ダメ!」。パパが大好きなアユミ。

「ヤキモチ焼いてるのよ。困った子ね」。ルナが言うと、アユミはキャッキャと笑って大喜びしている。

3日目は、ソウル市内までドライブし、かばんや衣類などの店が密集する東大門市場へ。アユミは「プリンセスのくつ買う」という。市場の一角に、子ども用の靴店ばかりのエリアがあり、アユミはそこで、おとぎ話のお姫さまの履くような飾りのついた靴を2足買ってもらった。パパとママに両方から手をつないでもらい、お姫様のように満足そうに歩いていく。

4日目はお花畑のある公園。パパに抱かれてブランコに乗った……。パパとママが2人で写真を撮ろうとすると、アユミはここでもじゃましてくる。

わたしは予定があったため3人と別れ、翌日、日本に帰った。後で聞いた様子はこんなだったという。

3人の時間はあっというまに過ぎていった。

8日目の朝。アユミはもうこの日が日本に帰る日だと分かっている。起こそうとしても布団から出ようとしなかった。布団の中で泣いているのだ。

「パパ来るよ。パパも後から来るよ」。2人はそうなだめすかしてやっとアユミを飛行機に乗せた。飛行機の中でも泣き通しだったという。

(※外国人当事者及び家族は注記のない限り仮名。敬称略。当事者らの年齢は取材時点。)

『「パパいるけど、パパいないよ」...3歳の娘が、飛行機が上空を通るたび空を指さす理由』へ続く。