高市政権と「チームみらい」を勝たせた23%の正体――彼らは“EV購買層”へと転じるのか? 理念と生活のずれが突きつける現実
「新しいリベラル」とEV
日本の有権者の23%。いま、最も厚い層をなしているのが「新しいリベラル」と呼ばれる人たちだ。高齢層への手厚い配分よりも、子育て世代や将来の世代へとお金を回すことを優先したいと考える。国の守りについても、理想だけを追わずに現実を見据えた判断を受け入れる。
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では、この層は電気自動車(EV)が主導権を握る社会を、自分たちの暮らしのなかに迎え入れるのだろうか――。
EVへの移行は、空気を綺麗にするという話に留まらない。産業のあり方を変え、都市の使われ方に影響し、家計の将来的な見通しにも深く関わってくる。どの車を選ぶかは、月々の払いだけで決まるものではない。数年先の収入や、どこにどう住むかという想定とも深く結びついているからだ。
補助金の額や充電場所の数を見ているだけでは、彼らの動きは見えてこない。世代としての問題意識、限られた生活時間、将来への備え、そして社会の分断を嫌う感覚。そうしたものが水面下で働いている。23%という規模は重い。車の選び方が変われば、流通の姿も一変するはずだ。一方で、長く続いてきた持ち方や慣習が、その動きを飲み込んでしまう恐れもある。
この層の存在感は、2026年2月の衆院選ではっきりした。勝利を収めた高市政権と、結党から間もなく11議席を得た「チームみらい」。立ち位置は違うが、どちらも「次の世代に資金を振り向ける」という訴えを前に出した。右か左かという争いより、未来のどこに資源を投じるかという軸で人びとが共鳴したと見るほうが自然だろう。
その判断の先に、EVという選択肢も並んでいる。未来に賭けるのか、いまの利便を取るのか。政治で示された傾きは、移動手段の選び方にもにじみ出ている。
調査から浮かび上がった「隠れた多数派」

橋本努、金澤悠介『「新しいリベラル」――大規模調査から見えてきた「隠れた多数派」』(画像:筑摩書房)
7000人を対象にした社会調査で、日本の有権者は六つの集団に分けられた。従来型リベラルが18%、成長型中道が13%、政治的無関心が20%、福祉型保守が16%、市場型保守が9%。そのなかで23%と最も多いのが「新しいリベラル」だ。
この層には、いくつかの目立った傾向がある。弱い立場への給付を広げることより、社会全体の力を伸ばす成長支援を重く見る。高齢世代に偏っていた予算を見直し、子育て世代や次の世代にお金を回すべきだと考える。戦後民主主義の論点に強くこだわるわけではないが、非核三原則や多様性の尊重については支持を崩さない。
未来への投資を掲げ、防衛費の拡大にも理解を示す。その姿勢は、理想と現実の間で折り合いを探るものだろう。実際、彼らは高市首相が街頭で繰り返した「未来」への強い意志にも、チームみらいの安野党首が語る「仕組みごと改める」という合理的な発想にも反応した。右か左かという対立よりも、「次の世代にとって役に立つかどうか」を物事の判断基準に置いている。
もっとも、この層の意思がそのまま政策に届くとは限らない。そこには世代間の偏りが立ちはだかる。有権者の平均年齢は約50歳だが、市町村長の平均は62歳に達している。意思決定の場は、なお高齢層に厚い。2006年から2019年の統計でも、50歳未満の首長は全体の約10%に留まっている。
この偏りは予算の使い道にはっきり表れる。50歳未満の首長が選ばれた自治体では、子育て関連の支出が36%増えた。首長自身が子育て中であれば、児童福祉への支出は55%増えるという傾向も示されている。若い世代や子育て世代の利害は、いまの政治の形では十分にくみ取られていない。
こうした世代のずれは、交通政策の優先順位や車の購入支援のあり方にも影を落とす。電動化が思うように進まない背景には、こうした構造的な偏りが横たわっている。
先端技術と「未来への信託」

チームみらいのウェブサイト(画像:チームみらい)
EVは脱炭素の象徴と語られてきたが、実態は電池や半導体、ソフトウェアまでを含む広い産業の束である。成長支援を掲げる「新しいリベラル」にとって、この分野は未来への投資という考え方と重なる。先端技術への積極的な投資を訴えた政党が支持を伸ばしたことも、その志向を裏付けている。
とりわけ「チームみらい」は、これまでの政治の進め方に疑問を投げかけ、技術の力やデータの積み重ねを重く見た。その姿勢は、この層の感覚と強く響き合ったように見える。彼らにとってEVは車種の違いに留まらない。移動の道具を超え、社会の仕組みを新しくしていくための土台と映っているのだ。
国内の製造業についても、守るべき対象というより、手を入れ続けるべき基盤だと考える。だからこそ、従来の延長線上にある製品より、デジタル化が進んだ車両に価値を見出す。
もっとも、理念への共感がそのまま購入に結びつくわけではない。共働きの子育て世代は時間に余裕がない。充電の待ち時間や、場所を探す手間は無視できない負担になる。都市部の集合住宅では設備の遅れも目立つ。未来を見据えた政策と、日々の移動で求められる確実さがぶつかる場面だ。そうなると、理想より生活の実利を選ぶ判断が前に出る。このずれをどこまで縮められるか。そこに普及の行方がかかっている。
都市の仕組みに潜む世代の壁

集合住宅イメージ(画像:写真AC)
都市部では集合住宅が多く、自宅で充電環境を整えるのは容易ではない。郊外は戸建てが中心で設備を入れやすいが、そこでは住民の高齢化が進む地域も少なくない。
本来、最新技術の利便を強く求める若年層や子育て世代が都市に暮らしながら、インフラの恩恵から遠い位置に置かれている。このゆがみは、個々の建物の不備というより、都市の成り立ちそのものが特定の世代の使い勝手を前提にしてきた帰結といえるだろう。
地方自治でも、意思決定の担い手は高齢層に厚い。首長の平均年齢は62歳に達しており、道路整備やガソリンスタンド網の維持といったこれまでの仕組みを優先しやすい土壌が根強い。50歳未満の首長が選ばれた自治体で子育て支出が36%増えたという統計は、世代交代が投資の順番を大きく動かし得ることを示している。
「新しいリベラル」にとって、集合住宅で充電できない現実は、社会の更新が遅れていることを映し出す身近な場面となっている。
安全保障としての電動化という視点

安全保障イメージ(画像:Pexels)
防衛力の強化を現実的な対応として受け止める彼らの安全保障観は、車の動力をどう選ぶかという問いともつながっている。EVは、相反するふたつの顔を持っている。
ひとつは、再生可能エネルギーと蓄電機能を組み合わせることで石油への外部依存を減らし、国内のエネルギー自給率を高め得る点だ。2022年のウクライナ侵攻以降、供給網の弱さがあらわになった。エネルギーをどこまで自前で賄えるか。その重みは以前より増している。
だが同時に、電池づくりに欠かせない重要鉱物や部材を特定の地域に頼る構図は残る。現実を重んじる有権者にとって、ここは見過ごせない。新しい技術を取り入れたい思いがあっても、資源を他国に握られる不安は消えない。
この23%の層が電動化を後押しするかどうか。焦点は環境への配慮だけではなく、それが国家の自立をどこまで支えられるかにある。特定国への依存をどこまで減らせるのか。供給の安定に道筋が見えたとき、彼らは初めて移行を自らの判断として選び取るだろう。
「所有」から離れるデジタル世代の感覚

カーシェアイメージ(画像:写真AC)
若い世代では、車を持つより、必要なときに使える仕組みを選ぶ姿勢がはっきりしてきた。カーシェアやサブスクリプションへの抵抗は、以前よりもかなり薄い。EVも、ネット経由でデータを更新し、性能を保ち、ときに高める存在へと姿を変えている。
この流れは、デジタルを前提に暮らす層の感覚と重なる。彼らにとって車は、愛着を注ぐ対象というより、生活を整えるための情報基盤に近い。一方で、内燃機関の音や整備の手触りを楽しむ人びとは、効率を重んじる動きから距離を置く。そこには価値観のずれがあり、簡単には埋まらない。
衝突を避けつつ古い仕組みを過去へ押しやる振る舞いは、これまで産業が積み上げてきた文化の輪郭を、少しずつ書き換えていく。
未来への投資を阻む「時間の欠乏」

ホワイトカラーイメージ(画像:Pexels)
この転換で、利益を得る側と苦境に置かれる側の線引きは、これまで以上にはっきりする。都市のホワイトカラーや、自分で住環境を整えられる戸建ての所有層、ソフトや電池開発を担う企業は、新しい競争条件を追い風にできる。反対に、集合住宅で子育てに追われる人びとや、インフラが十分でない地方の住民、内燃機関の部品を支えてきた中小企業は、従来の強みが揺らぐ。
気がかりなのは、23%を占める「新しいリベラル」の内側にあるねじれだ。職種や思想では優位に立ちながら、日々の暮らしでは育児や仕事に追われ、充電にともなう読めない時間を確保できない。未来への投資に理解を示しつつ、現実の持ち時間がそれを阻んでいる。
このずれが市場の伸びを鈍らせている。理念と生活環境が重ならない限り、彼らが車を積極的に買い替える場面は多くない。
刷新される社会のシナリオ

EVイメージ(画像:Pexels)
シナリオAは、若い代表の増加によって社会の優先順位が動き、投資が勢いづく展開だ。50歳未満の首長が選ばれた自治体で子育て支援支出が36%増え、自ら子育て中であれば55%増えている。この実績は、交通インフラでも同じ変化が起こり得ることを思わせる。「新しいリベラル」が掲げる次世代への信託が政策に映れば、都市の充電網整備は待ったなしの課題となり、EVは子育て世代の生活圏で当たり前の存在に近づく。
シナリオBは、住まいの差がそのまま広がるかたちだ。充電環境を整えやすい郊外の戸建て層や富裕層では普及が進む。一方で、都市の集合住宅に住む層は物理的な壁を越えられず、現実的な選択としてハイブリッド車を主力に据え続ける。23%の最多層が抱く理想と日々の暮らしのずれは埋まらない。結果として、市場全体の伸びは抑え込まれる。
シナリオCは、所有から利用へと重心が移る流れだ。製品をソフトウェアの集まりと見る感覚は、車を持ち物ではなく動かす資源として扱う姿勢を強める。カーシェアリングや自動運転を前提とした法人利用が広がり、個人の購入が伸び悩んでも社会全体の電動化は進む。仮に「新しいリベラル」を支える勢力が大きな政界再編に踏み込めば、インフラ整備は将来世代への責任として前に出る。流通のあり方も、その延長で姿を変えていくはずだ。
次世代への価値の再検討

「新しいリベラル」とEVシフトの行方
有権者の23%を占める「新しいリベラル」は、将来を見据えた投資を重んじる点で、EVへの移行と親和性が高い。だが、実際に購入へ踏み出すかどうかは別の話である。住宅の構造、深刻な時間不足、エネルギー供給網の安全保障、そして代表者の世代構成。判断を左右するのは、こうした現実の壁だ。
未来への信託を掲げるこの層が、日々の不便や摩擦をどこまで受け入れられるのか。そこが普及の分かれ目になる。社会全体の電動化が進むかどうかは、技術の進歩や補助金の多寡だけで決まるものではない。世代間の不均衡を正し、都市の仕組みを次世代の暮らしに合わせていけるかどうかにかかっている。
供給側に求められるのも、性能の優位を語ることだけでは足りない。その車が次の世代にどのような価値を残すのか。そこまで踏み込んだ根拠が問われている。