千葉にある「百貨店が全滅した街」淘汰の本質要因

人口約50万人の都市、それでも百貨店は全滅した, なぜ市川の百貨店はこんなに短命だったのか, 百貨店開業ラッシュの中で「スーパーが少ない」との声も, 東京が近すぎた市川市, 他のベッドタウンでも、同様の事例は散見

なぜ、市川市から百貨店は消えたのだろうかーー写真は市川駅前のダイエー市川店(写真:筆者撮影)

かつて百貨店は「特別な場所」だった。家族と過ごす休日、背伸びをして選ぶ贈答品。屋上やレストラン街には、地域の憧れと活気が凝縮されていた。しかし今、多くの街からその姿が消えつつある――。
本連載では、百貨店が消滅した街を歩きながら、「なぜ消えたのか?」を街ごとに分析していく。第1回は千葉県市川市。県内でも人気のベッドタウンだが、かつては市内に6軒もの百貨店が存在した。

人口約50万人の都市、それでも百貨店は全滅した

市川市は東京都心から約20km圏内に位置し、JR総武線を使えば市川駅から東京駅まで最短17分。交通アクセスの良さは折り紙つきだ。「住みたい街ランキング」千葉県民版では毎年上位に入るなど、都心のベッドタウンとして絶大な人気を誇る。

【画像23枚】そりゃ潰れるに決まってる…「百貨店が全滅」した街・市川。一体どこに失敗の要因があったのか?

人口約50万人の都市、それでも百貨店は全滅した, なぜ市川の百貨店はこんなに短命だったのか, 百貨店開業ラッシュの中で「スーパーが少ない」との声も, 東京が近すぎた市川市, 他のベッドタウンでも、同様の事例は散見

市川駅の様子。かつては6軒もの百貨店が存在した(写真:筆者撮影)

人口約50万人の都市、それでも百貨店は全滅した, なぜ市川の百貨店はこんなに短命だったのか, 百貨店開業ラッシュの中で「スーパーが少ない」との声も, 東京が近すぎた市川市, 他のベッドタウンでも、同様の事例は散見

市川駅。都心から抜群のアクセスを誇り、地方出身者も多く住む(写真:筆者撮影)

この「住みやすさ」への評価は今に始まったことではない。かつて高度経済成長期の市川・本八幡エリアには、その購買力を狙って、百貨店を含む大型店が驚くほどひしめき合っていた。

【画像23枚】そりゃ潰れるに決まってる…「百貨店が全滅」した街・市川。一体どこに失敗の要因があったのか?

日本百貨店協会に加盟していた「西武百貨店市川店」「市川京成百貨店」「松坂屋市川店」の3店に加え、当時は百貨店に近い形態だった「丸興」「緑屋」「十字屋」を合わせれば、その数は6つにものぼる。この内の4店が開業した1963年は空前の商業黄金期だ。

しかし、その終焉は早い。西武は早期にスーパーの西友へ業態転換し、77年に誕生した松坂屋も、百貨店としては短命の22年という歴史に終わる。2010年に京成が閉店したことで、市川から百貨店は完全に消滅した。

「活気があるのになぜ、百貨店だけが消滅したのか」

「百貨店というビジネスモデルが、現代に合っていないからではないか」

そんなふうに考える人もいるだろう。しかし、詳しくは後述するが市川市の場合、実は百貨店がオープンした昭和の時代から、市民の評価基準はすでに東京に置かれていたのだ。

なぜ市川の百貨店はこんなに短命だったのか

市川の百貨店史を振り返ると、他の都市にはない「見切りの早さ」が際立つ。まずは、かつて存在した6つの百貨店の変遷を整理したい。

なお、本稿では日本百貨店協会加盟店だけでなく、当時の都市文化を支えた「月賦百貨店(丸興、緑屋、十字屋)」も、広義の百貨店業態として含めて俯瞰する。

1. 丸興本八幡店(1952年10月開業):ショッピングセンターのリブ本八幡に業態転換後、現在はパティオ本八幡に。
2. 西武百貨店市川店(1963年5月開業):スーパーの西友へ業態転換。その後も複数回別のスーパーに転換し、現在はマンションに。
3. 市川京成百貨店(1963年9月開業):2010年に閉店。現在は京成電鉄本社ビル。
4. 十字屋本八幡店(1963年9月開業):閉店(時期は資料上確認できず)
5. 緑屋本八幡店(1963年12月開業):13年後の1976年に閉店。
6. 松坂屋市川店(1977年3月開業):22年後の1999年閉店。翌年にディスカウントストアのオリンピックになるが2026年1月に閉店。
人口約50万人の都市、それでも百貨店は全滅した, なぜ市川の百貨店はこんなに短命だったのか, 百貨店開業ラッシュの中で「スーパーが少ない」との声も, 東京が近すぎた市川市, 他のベッドタウンでも、同様の事例は散見

市川駅近くの、西武百貨店跡地にできたマンション(写真:筆者撮影)

人口約50万人の都市、それでも百貨店は全滅した, なぜ市川の百貨店はこんなに短命だったのか, 百貨店開業ラッシュの中で「スーパーが少ない」との声も, 東京が近すぎた市川市, 他のベッドタウンでも、同様の事例は散見

市川駅近くの、松坂屋跡地にできたオリンピック(写真:筆者撮影)

人口約50万人の都市、それでも百貨店は全滅した, なぜ市川の百貨店はこんなに短命だったのか, 百貨店開業ラッシュの中で「スーパーが少ない」との声も, 東京が近すぎた市川市, 他のベッドタウンでも、同様の事例は散見

そのオリンピックも閉店済み。写真は1月中旬の取材時のもの(写真:筆者撮影)

ここで一つの疑問が浮かぶ。同じ「東京近郊」でありながら、なぜ柏や船橋といった街では百貨店が今もなお成立し続け、市川だけがこれほど早期に総撤退を選んだのか。

そのヒントは、市川市がまとめた『市川市広域商業診断報告書(昭和42年3月刊)』にある。

報告書自体は1967年に刊行されたものだが、基礎となるアンケートが実施されたのは、百貨店の出店が相次いだ1963年(昭和38年)である。

その結果によれば、市川市民の衣料品購入先の45.7%、贈答品の47.4%はすでに東京だった。回答の中には「市内のデパートは品数が貧弱」「満足できない」という声が並び、自由記述欄には「(東京のデパートと比べて)デパートとしての魅力に欠ける」「中途半端な大型店にすぎない」といった厳しい評価も……。

一方で、東京の百貨店へ足を運ぶ理由としては「品数が豊富」「良いものがある」が圧倒的だったという。

注目すべきなのは、こうした評価が、百貨店の出店が相次いだまさにその時期に示されていた点である。開業当初は期待を集めながらも、市民の基準はすでに「東京の百貨店」に置かれており、市内の百貨店は冷静に比較・評価されていたことがうかがえる。

百貨店開業ラッシュの中で「スーパーが少ない」との声も

また同じ調査では、「スーパーが少ない」という声も少なくなかった。ハレの場としての百貨店よりも、日常の買い物を支える実用的な商業施設を求める需要が、すでにこの時点で強かった可能性がある。

つまり、「東京に近いから客足を取られた」のではなく、百貨店が市川市の商業の中核として定着する以前から、購買行動が都心志向へと再編されつつあった可能性が高い。

西武市川店が比較的早い段階でスーパー業態へと転換したことは、百貨店という形式がこの街で長期的に定着しなかったことを示す一つの事例といえる。背景にはグループ全体の業態再編もあったと考えられるが、結果として市川駅前「ハレ」よりも「利便性」を重視する商業へと重心を移していった。

こうした傾向は、現在の生活者の記憶とも重なる。行徳在住の男性に当時の買い物事情を尋ねると、「昔、母とバスで本八幡の長崎屋に行っていました。母は小岩の長崎屋にも行っていたみたいです。ハトのマークが懐かしいですね」と振り返った。

この証言は一例に過ぎない。ただ、昭和42年の行政調査でもすでに市民の購買が都心や市外へ流出していた事実を踏まえると、少なくとも市川では「地元百貨店を絶対視する文化」は強固ではなかった可能性がある。

百貨店の衰退は、消費意欲の低下によるものではなく、むしろ消費者の目が早くから東京と同じ水準にあり、「中途半端な存在」を許さなかった結果だったのかもしれない。

東京が近すぎた市川市

ここまで市川市の百貨店に対する、市民からの評価を詳しく見てきたが、比較対象とされた都内のデパートを訪れるには、鉄道についても見ていく必要がある。

市川市では、総武快速線の運行開始(72年)、都営新宿線の本八幡乗り入れ(89年)によって、都心との距離が急速に縮まった。

この鉄道網の完成は、市川を「東京の玄関口」として発展させた一方で、商業的には別の作用をもたらした。市川は、目的地ではなく、通過点として最適化された街になっていったのである。その結果、50年代から70年代にかけてオープンした、地元の百貨店への逆風はより強くなった。

もっとも「目的地→通過点」の変化は、後追いで問題化したものではない。昭和42年の行政報告書では、すでに東西線の延伸などによって「購買力が都心へ流出する可能性」が指摘されていた。鉄道整備が進めば進むほど、地元商業が空洞化するという危機感は、当時から共有されていたのだ。

結果として、市川市民にとって百貨店は、「わざわざ行く特別な場所」になる前に、便利すぎる交通網によって「日常の延長線上にある一商業施設になってしまった」のだ。

【本文中で紹介できなかった画像も】そりゃ潰れるに決まってる…「百貨店が全滅」した街・市川。一体どこに失敗の要因があったのか?

他のベッドタウンでも、同様の事例は散見

こうした現象は、市川に限った話ではない。新宿から約40分圏にある八王子でも、そごうや伊勢丹といった駅前百貨店が相次いで閉店し、現在は食品や日用品を中心とする商業へと再編されている。

また、東京近郊の春日部でも、駅前の西武春日部店が16年に閉店し、現在は総合スーパーや実用型施設が商業の中心となっている。いずれの街も鉄道で都心と直結しており、「特別な買い物」は都心へ、「日常の調達」は地元でという役割分担が進んだ点で共通する。

都心へのアクセスが良好であることは居住地としての魅力を高める一方、百貨店のような「ハレ」の業態にとっては、必ずしも追い風とはならなかった。

では、そんな市川では現在、どんな施設が消費者を集めているのか。続く後編記事では、百貨店が全滅した後、賑わっている施設を訪れ、詳しく探っていく。