「50年後の曽根崎心中は亮がやったものかもしれないよ」中村鴈治郎さんが吉沢亮にかけた言葉ににじむ芝居の儚さ

社会現象になった「国宝」。原作者の吉田修一さんを歌舞伎の世界に招きいれ、映画化の際に歌舞伎指導をした四代目中村鴈治郎さんは、いま何を思うのか。米アカデミー賞の授賞式直前に京都・南座で、自身の半生を重ねながら語ってもらった。
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――映画『国宝』では、花井半二郎(渡辺謙)が病気になっても大名跡を襲名して地位を確立しようとしたり、喜久雄(吉沢亮)が日本一の役者になるために他人を利用したり……と、役者の業の深さが描かれている。
僕自身は「業」をあまり感じてないかな(笑)。ただ、いっぺん入ったら抜けられへん世界やな、とは思う。
父は2005年に祖父から受け継いだ中村鴈治郎という名前に別れを告げ、200年以上途絶えていた大名跡・坂田藤十郎を襲名しました。父は成駒家(中村鴈治郎家の屋号)を切って、家出をしてまで、坂田藤十郎になりたかったんですね。それくらい初代・坂田藤十郎に憧れていたわけです。
藤十郎は初代と二代目はいたけれど、三代目がいたかは定かではないんですね。継がせる気がなく、一代限りという考え方やったのかな。そのこともあったからか、父はいっぺんも「四代目」と名乗っていないんです。最期まで「平成の藤十郎」と言い切った。継がせる気がなかったんやと思います。
そんな父が亡くなったあと、母(扇千景さん)は歌舞伎とは距離を置き、23年に世を去るまで一度も劇場には来ませんでした。それまで深く歌舞伎と関わっていたのに、「孫が良い役をする」と誘っても来なかった。父を思いだすのがつらかったのか、もう関わることが嫌やったんやろうね。僕ももし舞台に出られなくなったら、たとえ息子の舞台でも見たくないと思う。歌舞伎って、ゼロか百かという世界なんじゃないかな。

■「本当はいじられたくない」
――伝統ある歌舞伎の裏舞台に原作者の吉田修一さんを招きいれ、映画化が決まってからは俳優陣の演技指導にあたった。鴈治郎さんの懐の深さが随所に見える。
本当はいじられたくないわけよ。ただ、映画にするにしても、できるだけリアルに、我々がみても違和感がないようにやってほしかった。だから小道具ひとつとっても、僕らが普段使っているものを使っていいよ、と言ってきた。日本舞踊の稽古場はどんな風にしたらいいですかね、と聞かれたので、うちの妻(二代目吾妻徳穂さん)の稽古場をみせたりね。そうやってスタッフとして協力をしてきたわけです。そうしたら、結局吉田修一さんに言われて、歌舞伎役者として出演までしてしまって……。ちらっと映る役のつもりだったのに、アドバイスしているうちに抜けられなくなってました(笑)。
2025年大晦日、東京・歌舞伎座で「国宝」の特別上映会がありました。舞台挨拶をするために歌舞伎座の一番大きい稽古場に、出演者が集合したわけですが、ぐるっと見渡すと、俳優と東宝の人間しかいない。客席では、東宝の松岡宏泰社長と松竹の迫本淳一社長が並んで座っている。すごいなー、こんなことがあるんだ、と思いました。そもそも松竹の歌舞伎座で東宝の映画をやっていることもすごいことですし。まさかここまでの社会現象になるとは全然思っていませんでした。すごい経験をさせてもらいました。
――第49回日本アカデミー賞で作品賞、主演男優賞など10部門で最優秀賞を受賞。さらに製作チームとして特別賞を受賞した。
製作チームとしての受賞というのは、スタッフが報われる瞬間。李相日監督がすごかったし、カメラマンもすごかったし、俳優もスタッフも誰も投げ出さなかった。
みんなが情熱と思いを持って作った映画だと感じます。社会現象にまでなった理由はわからないのよ。ただね、この時代に親が子を誘う、子が親を誘って一緒に観に行こうとする映画は多分ないと思う。そこが社会現象になった一因ではあると思いますね。

■「映像は残るんやな」
――歌舞伎役者の生き様を描いた「国宝」に関わって、鴈治郎さんの歌舞伎への思いに変化はあったのだろうか。
まず、映像は残るんやな、ということですね。舞台は一期一会で、観に来てくれた人だけで勝負するもの。儚いな、と思いました。
映画のなかで重要な役割を果たす「曽根崎心中」は、1953(昭和28)年に劇作家の宇野信夫先生が脚本・脚色なさって復活上演された作品です。その後、祖父と父が演じ、私も演じてきた。でも映像じゃないから残ってないんですよ。だから、(吉沢)亮に言いました。「亮のやった曽根崎心中は、ずっと残るからいいね。50年後の『曽根崎心中』は亮がやったものかもしれないよ」と。
「曽根崎心中」はうち(成駒家)の専売特許ではないんです。お家芸の「玩辞楼十二曲」にも入っていない。だから、誰がやってもいいはずなんです。私は21歳のとき、病気で倒れた祖父の代役で急きょ徳兵衛を演じましたが、それは祖父と父しかやったことがなかったという特殊事情があったからです。だから、血をひく私が出た。でも、誰がやってもいいものになれば、いい意味で古典として残っていく。そんな想いがあって、今回新たに「曽根崎心中物語」を監修しました。(2026年3月、京都・南座で息子の壱太郎さんと尾上右近さんによって公演中)
今年4月には父と演じた2009年の「曽根崎心中」が「シネマ歌舞伎」として全国で上映されることになりました。初めて親孝行ができるかもしれないなと思っています。父は70歳を超えてお初をやっていますが、きれいでかわいいお初として残すことができました。
とはいえ、映像は残るけど、芝居は残らない。自分の芝居はいま見ておられる人の中にしかない「いま」のもの。だからこそ、劇場で見てもらいたいなと思っています。
(構成/フリーランス記者・山本奈朱香)
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