「菅さんも家事が全然できない」菅直人元首相の妻・伸子さん(80)が語る「子育てと政治に奮闘した日々」

 菅直人元首相(79)の妻、菅伸子さん(80)。選挙のたびに地域を駆け回り、家事をこなし、夫を支えてきた。2人の息子がそれぞれ不登校になったときも、天性の明るさですべてをポジティブに変換してきた。家族のこと、政治のこと、そして自分自身のこと。今だから話せることをたっぷり聞いた。(全2回の2回目/はじめから読む)

*   *   *

――大学を卒業した1970年の冬、いとこの菅直人氏と結婚した。長男が4歳になったばかりのときに、菅氏が出馬を決意。幼い子どもを育てながら「家業」として、菅氏を支えてきた。

 選挙は年がら年中あるわけじゃないから、子育てとの両立はそんなに大変ではなかったですよ。今の方たちは夫婦で分担しているんでしょう? 毎日働きながらご飯をつくっている人は、本当によくやると思う。

 私たちの世代は、多くの男の人が家事をしなかった。菅さんも家事が全然できないんです。やらせようと思ったこともあったけど、3倍時間がかかるから、自分がやっちゃうほうが早い。やっぱり、子どものころからやらせなきゃダメね。

 そもそも私、菅さんが洋服を脱ぐところから気に入らないのよ。たとえばね、セーターなんか、腕を外して頭をポッとしたら裏返しにならないでしょう。でも、菅さんは違う。べーって裏返しに脱ぐの。シャツなんかみんな裏返しになってるから、洗濯して畳むときには全部もう一回ひっくり返さなきゃいけない。靴下も片方ずつが離れたところに置いてあるの。何か使ったら置きっぱなしとか、そんなことばかり。特に選挙中はそうなるんです。

――あきれたように話しながらも、その口ぶりはどこか楽しそうだ。

 私より家事を上手にやってくれる人だったら、お願いしていましたよ。でもそうはいかなかったから。シャツだって歩きながら着替えて、次の瞬間には玄関から出ようとしている。そんな人なの。

 首相時代はね、背広やワイシャツにネクタイ、靴下を一式まとめて置いていたんです。そうしないと、何を着ていいかがわからなくなる。「忙しくて時間がなかった」なんて言ってくれる人もいるけど、靴下が片方ずつ違うこともしょっちゅうあって、手間がかかるっていうか。ものすごい頻度で人の靴を履いて帰ってくるんです。普通、履いたときにわかるじゃない。でも、鈍いのよね。

 一緒に生活していると大変だったんじゃないかって? まあ、ムカつくことはよくありますよ。ケンカもしました。菅さんもね、口は強いのよ。でも私はもっと強い。それに私は手が出るから、絶対に勝つの。ああ、思い出したらおかしいわ。

■今日着てる服はね、古着なのよ

――首相在任中は、菅氏の隣に寄り添う伸子さんの着物姿も印象的だった。

 首相夫人になったときは、ドレスコードなんて知らなかったの。全部着物にしていたけど、あれはよかったわね。代々からのもらいもの、よく言えば引き継いだものなのよ。母親やおばさんがくれるという時代だったから、お金もかからなかった。

 今日着てる服はね、古着なのよ。可愛いでしょう。4千円だった。吉祥寺には古着屋さんがけっこうあるから、そこで買ったの。姿勢がいいのは、威張ってるから。(背が)小さいからね。

――子どものころから、口が達者だったという。

 おかしいと思うことははっきりおかしいと言う性格でした。先生や友達に言いたいことを言うために学校に行くみたいなところがあって、そういう意味では、選挙は性に合いました。

――だが、政治家になろうと思ったことは一度もなかった。

 自分が議会に入るということには、あまりピンとこなかったの。選挙のお手伝いをして、分析するほうが向いていた。大変といえば大変よ。でもね、それが合っていたのよ。

――笑いながらそう言うと、息子が不登校になったころの話をはじめた。

 2人とも中3で不登校になったんです。今思うと大変だったけど、まあおもしろいとおえばおもしろいわよね。長男のときはどうしようかと思ったし、どんな大人になってしまうんだろうと、うまく対応ができなかった。

 でもね、菅さんは「学校に行かなくてもいい」と言ったの。人間だから、昼間は外に行って、夜は家に帰って寝ること。それができるなら、昼間はどこへでも行けって。そしたら長男の顔がパッと明るくなった。

 次男が不登校になったときは、私が学校の先生に、「上も行かなかったし、この子も行きません」って電話で伝えました。さて次男はどうするかなと思っていたら、同じ学年の友達が家に来て、「高校は受けるだろうから、俺の行ってる塾に来ない?」って誘ってくれたんです。

 そこから塾に通って、単位制高校に進学しました。すごくおもしろい学校でね、なんとかして単位を取って、卒業できるようにしてくれているんですね。

 振り返ると、やっぱり子育てはすんなりはいきませんでしたね。でも友達に恵まれたことは本当によかった。

――不登校への目線も厳しい時代。そんななかでも世間体ではなく、目の前の息子と向き合う姿は、菅氏が受けた教育が影響していると振り返る。

 菅さんの母親はロマンチストで、それでいて肝が据わっている人だった。大学生のころ、菅さんがデモに行くと言ったら、過激派の暴力が横行していた頃でしたからね、お義母さんは「ちょっと待ちなさい」と週刊誌を腕にガムテープで巻き付けたの。頭に古いお鍋をのせて、毛糸の帽子で隠して「行ってらっしゃい」って。だから、なんだか伸び伸び育つの。成績のことや、あれをやるな、これをやるなと言われたこともほとんどないみたい。それで菅さんは東工大で学生運動をして、1年留年したの。

 選挙に出たときも、「へえ、そうなの」って。落選したらやめるかなと思ったけど、やめないでしょう。姑と一緒に「まだやるらしいわよ」「本当にあきれるわね」って。そう言っているうちに、4回目で当選したからまあよかったのかもしれないけどね。

 結婚して間もないころ、私が20万円を落としたことがあるんです。困っていたら、お義母さんが「落としてダメなものは命だけよ」と言って、20万円を貸してくれました。ああ、この姑はいいなと思ったのよ。菅さんもそういう教育を受けてきたのよね。

■うちは「猫ファースト」

――「政治家の息子はこうでなければいけない」という方針もなかったという。

 息子に何かになってほしいとは、一度も思わなかった。あんまり勉強ができないのは嫌だなと思っていたところはありますけどね。でも、そこから先どうなってほしいという思いは特になかった。

 長男は子どものころから選挙ばかり見てきたから、そういう仕事がしたくなったのかもしれない。大検を受けて、30歳を過ぎてから京都の精華大学に行ったんです。今は武蔵野市議会議員をやっています。次男は動物が好きで獣医になりました。いろんな道があるから、不登校の時期があったって大丈夫なんですよ。

――2人の息子の不登校に、首相の妻という重責。その苦労は想像するに余りあるが、決してそれを感じさせない。だが、菅氏や伸子さんを支えてきた友人は「全然落ち込まないわけではないですよ。10秒くらいは頭を抱えています」と証言する。

 それよりも、怒ることが多いね。怒りが沸き立つと、それで当たり散らしたり。周りはいい迷惑ですね(笑)。怒るとすごく元気になるの。世の中には怒ることがいっぱいあるし、新聞なんか読むと、「何なんだ」って思うこともしょっちゅうです。

 でも、黒猫の空(くう)ちゃん、白雉猫の海(かい)ちゃんにはあんまり怒らない。めちゃくちゃ甘いです。うちは「猫ファースト」なんです。

●かん・のぶこ/1945年10月3日、岡山県浅口郡金光町生まれ。津田塾大学英文科を経て、早稲田大学文学部に学士入学し、70年卒業。同年冬、いとこの菅直人氏と結婚。菅氏からは「家庭内野党」と呼ばれ、自身を「日本一うるさい有権者」とも称する

(構成/AERA編集部・福井しほ)

[特集]国際女性デー2026 から

・【つづきを読む】菅直人元首相の妻・伸子さん(80)が語る「やっぱり『おじさん政治』だけじゃまずいんですよ」

・【写真】素敵な笑顔を見せる、若かりし菅直人元首相はこちら

・菅直人が「スキャンダルになりそう」と寄り添った名物ママとは?