イランへの軍事攻撃に落ち込むバービーがお笑い芸人ばかりの飲み会でタバコをもらって感じたこと

2月28日にアメリカとイスラエルがイランへの軍事攻撃を開始し、この日から日本のメディアでも大きな話題として取り上げられ、毎日のようにニュースが流れてきます。中東地域だけでなく世界経済全体へ大きな影響が出るのではないかと警戒されているなか、不安を抱いている人も多いと思います。

バービーさんもその1人で、「追いかけてくるような情報をうまくかわすことができず、肩にも心にもズシンとのしかかる。肺のあたりが硬くなっていて、大きく吸い込もうとしても途中で止まってしまう」と連載第75回の前編で綴り、以前はニュースに引っ張られて気分が落ち込むことがなかったのに、最近は戦争のニュースを見て鬱っぽくなることがあるという心境も明かしてくれました。後編では、そんなバービーさんが数年ぶりにお笑い芸人ばかりのバラエティ番組に出演し、その後の打ち上げにも参加したときのことをお伝えします。

ママ友はいない

ママ友はいない。

誰かと育児の愚痴を言い合うこともない。

実際には、誰とも共有できない不安をひとりで抱えている。

そのことにさえ気づかないぐらいのスピードで駆け抜けてしまった。

子どもが産まれてから、自分の時間はほとんどなかった。少しでも早く迎えに行くために、仕事の休憩時間も取らない。スケジュールに空きができれば、そのまま帰ってご飯の支度をする。

「夫さん協力的でいいですね」と言われることもあり、そりゃそうなんだけど…と内心思ってしまう。夫が誰かから「妻さん協力的でいいですね」なんて言われることは絶対にないだろう。私だって仕事がある。遊びに行くために預けているわけじゃない。

SNSで、子どもが3人いるママタレントが友だちとお茶している写真を見ると、「どこにそんな時間があるの?」と、タイムマネジメントの天才か、と思ったりする。

でもその後、ふと気づく。

ああ、そもそも私、友だち少なかったんだっけ。

それでも、娘はすくすく育っている。

家族はちゃんと、今日も生きている。

私はいま、ちゃんとこの人たちを生かしている。

自分を取り戻す作業

私はいま外の世界に巻き取られずに、どうにか自分を取り戻そうとしている。

料理をする。ちゃんとしたものでなくてもいいから、自分で作ったものを食べる。

溜まっているToDoリストを夫に見せる。

1人で抱えていることをちゃんと“見える形”にして、少しだけ手伝ってもらう。

家の中を、ほんの少しだけ整える。全部じゃなくていい、目に入る範囲だけ。

人にも会う。産後、ほとんど外に出ようと思えなかったけれど、やっと少しだけ、その気になれた。

できることから始めよう。

とはいえ、子どもは「ママ、ママ」と呼び続けるし、思うようには動けないけれど、それでもいいと思うことにする。

完璧に立て直すことはできなくても、バラバラになった自分を少しずつ拾い集めている。

写真提供/バービー

芸人だらけの番組、その後の打ち上げで…

先日、3年ぶりに、とある芸人だらけの番組に出演した。ヒリヒリしっぱなしの、まさに「お笑いは戦場」なバラエティだ。しかもそのまま打ち上げにも参加させてもらった。いま旬の芸人たちが20~30人いて、「テレビで見てる人だ」となんだか嬉しかった。

胃がキリキリしてた人もいるかもしれない。緊張やプレッシャーで荒れた胃にアルコールを流し込んでる人の清々しい顔っていいもんだ。お笑いの戦場にいる人たちはやっぱりかっこよかった。

「行ったら誰かしら紙タバコの人いるよ」と話す馴染みの先輩と一緒に外の喫煙所に出る。まだまだコートなしでは凍える寒さだったが、お酒と会話で上がった体温にはちょうどよかった。

初めて会う芸人さんに、タバコを1本もらった。

禁煙して、もう7年くらい経つ。普段は吸わないけれど、酔うとたまにこはうして1本だけもらうことがある。

火をつけて吸い込んだ瞬間、「ああ」と思った。そして、ふぅーとゆっくり吐き出した。数週間、ずっと胸の浅いところで止まっていた空気が煙と一緒に肺の奥深くまで入り込んでいく。

めちゃくちゃ、おいしかった。

バラエティをやって、芸人にまみれて、寒い中、凍えながら吸うタバコ。

「テレビで見る人だ」なんて他人事のように思いながら、どこかで彼らのヒリつくような熱量が、かつての自分の記憶を呼び起こす。

いまはもう、守るべき生活があって、私の戦場はリビングや保育園の送り迎えに移ったけれど、この冷たい夜気とタバコの煙の中に、間違いなく私の青春の一部が隠れていた。

幼い子の母親が紙タバコを吸うなんて、という考えもある。体にも良くない。

でも久しぶりに私は深く呼吸ができた気がした。

夜空に星はないのに、あるようにさえ見えた。

代官山の屋上で、私はちゃんと、ここにいた。

目の前にある「やらねばならないこと」

もしかしたら、私には戻ろうと思えば戻れる場所があるのかもしれない。

私次第だ。

ふと自分に戻る瞬間が、まだ残っている。それでも、生活は続く。子どもはお腹を空かせるし、洗濯物は溜まる。どれだけ世界が不安定でも、どれだけ自分が不安定でも、やることはなくならない。

世界は大きく揺れているのに、私の一日は、あまりにも具体的で小さい。

でも、その小ささに救われている気もする。

写真提供/バービー

つまり、「子どもを産む前に戻れるかもしれない」という思いが頭をかすめるけれど、だからといって「子どもを産まない自分に戻りたい」というのではない感情だということだ。

出産前にやっていたような仕事の場やそのやり方がうらやましくなったり、当時吸っていたタバコがおいしく感じたりする。前はあまり気にならなかった戦争のことが、とてつもなく不安になっていて、それは間違いなく出産したことが理由のひとつでもある(そもそも、戦争なんてしなければこんな不安にならないというのは別の話だが)。

だからといって「不安になっている自分=母である自分」でいたくないわけではない。なんとも複雑だ。

写真提供/バービー

今日やるべきことは、目の前にちゃんとある。

それをひとつずつこなしていくことで、どうにか今日を終わらせることができる。

希望なんて、正直よくわからない。

それでも私は、今日も子どもにごはんを食べさせた。

それでいいのかもしれない、と思う。