鉄拳「世界が泣いた5秒の裏で身体はボロボロ」支えた妻の腱鞘炎と、若者に忘れられる50代の寂しさの中で

「パラパラ漫画の現場は、まさに戦場でした」。1日8時間描き続けて、進むのはわずか5秒分。世界を泣かせた筆致の裏側で、鉄拳さんの身体は悲鳴を上げていました。身を削る日々に寄り添い、みずからも腱鞘炎になった妻。夫婦で分かち合ったのは、栄光の代償ともいえる消えない痛みでした。しかし、どれほど実績を積み上げても、今の若者に「あの人、誰?」と思われる寂しさは消えません。過去の貯金で生きるのではなく、今の自分を知ってほしい。50歳を過ぎてなお、満身創痍で新しい舞台へ足掻き続ける、表現者の意地に迫ります。

「素顔の僕」に気づいてくれた、唯一のファンが妻だった

1日8時間描き続けて腱鞘炎に

── パラパラ漫画の制作は、奥さんと二人三脚で励んできたそうですね。

鉄拳さん:僕がテレビに出る前、25歳のころから応援してくれていたのが妻でした。ペイント顔が「気持ち悪い」と言われていた初期の初期です。当時は一度だけ素顔でライブに出たことがあったのですが、出待ちで僕に気づいてくれたのは、後にも先にも彼女だけ。そこから会うようになり、結婚することになりました。

── 鉄拳さんの作品には「絆」や「振り子」など夫婦の愛が描かれますが、やはり奥さんとの実話が元に?

鉄拳さん:実は、妻とのエピソードではないんです(笑)。妻も色塗りなどを手伝ってくれましたが、僕の作品に感動してくれることはあまりありませんでした。というのも1本の制作にかかる期間は3か月。工程が大変すぎて、現場はさながら戦場です。手伝いながら「まだこのシーンなの?」と。完成するころには感動も薄れているようです。世界中の人々が感動してくれる作品も、裏側は案外泥臭いというか、過酷なんですよ。

引退を決意した半年後に訪れた、5秒の奇跡

15年間漫画を描き続け、腰痛や十二指腸炎、腱鞘炎になるも…

── そのような大変な思いをしてまで、ずっと描き続けているのはすごいですね。

鉄拳さん:僕は2011年、仕事が激減して一度引退を吉本に伝えているんです。退社までの半年間に、偶然「ドタキャンした芸人の代わり」で描くことになったのがパラパラ漫画でした。吉幾三さんの名曲『俺ら東京さ行ぐだ』に合わせて描いた漫画が話題に。その後、企画でイギリスのロックバンド・MUSEの楽曲『エクソジェネシス(脱出創世記):交響曲第3部』をバックに「振り子」という作品を発表しました。

──「振り子」は夫婦や家族の愛を描いた作品で、その後映画にもなりましたよね?

鉄拳さん:テレビ放送された作品がYouTubeで一気に拡散されたんです。そうしたらなんと、MUSEから公式に「MVの映像として使いたい」とオファーまで来て。それまでに漫画家、プロレスラー、俳優といろいろな夢をあきらめてきて、さらには芸人も辞めようとしていた。役に立たないと思っていた経験が予想外の場面でいかされて、脚光を浴びました。当初はこんな未来、想像していなかったですね。

YouTubeの作品には、海外からもコメントが来ます。「オニオンスライス」というコメントに最初は「玉ねぎの薄切り?」と戸惑ったのですが、英語にくわしい友だちに聞くと、「作品を見て泣かされた」というホメ言葉だったみたいです。

── その後、奥さんと一緒に制作を続けられて。

鉄拳さん:はい。でも15年も描き続けると身体にダメージが蓄積し、腰痛や十二指腸炎にもなりました。妻も手伝ってくれたせいで腱鞘炎になってしまい…。今はもう、僕一人で1日8時間、5秒分を描くのが限界です。たくさんの人たちを感動させるための代償として、いろいろなダメージを負ってきました。

「若者は僕を知らない」忘却に抗うための再デビュー

鉄拳

パラパラ漫画で「ジャパンエキスポ・フランス」に出演

── 最近では、大河ドラマに俳優として素顔で出演されるなど、活動を広げていますね。

鉄拳さん:昨年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』では浮世絵師の役をいただきました。手元のシーンも撮りたいので、リアルに絵を描ける人を探していたようです。

── これからは漫画家以外の活動も増えるのでしょうか?

鉄拳さん:そうですね。今までは「鉄拳」を露出させず漫画家として活動してきましたが、最近、地元でイベントをしても喜ぶのは同世代以上ばかり。高校生は誰も僕を知らないんです。若者に知られていない、知っている人たちにも忘れられること、それが、なんだかとても寂しくて怖くて。 だからこそもう一度芸人として返り咲きたい、みんなに自分のことを知ってもらいたいと俳優のオファーも受けました。

ただ、仕事をいただける限りは、描き続けたい。でも同時に、新しい場所で「鉄拳」を知ってもらいたい。体はボロボロできついこともありますが、50歳を超えて、僕の新しい挑戦がまた始まっています。パラパラ漫画も芸人も、今後も挑戦していきたいです。

身体を壊してまで描き続け、手にした世界的な評価。けれど、どれほど実績を積み上げても、目の前の若者に「誰、あの人?」と思われる寂しさは消えません。50歳を過ぎ、満身創痍の体で俳優という新しい場所に打って出るのは、過去の自分に頼らず「今の鉄拳」を知ってほしいという、切実な意地のように見えます。

積み上げてきたものを横に置いて、もう一度ゼロから自分をさらけ出す。そんな鉄拳さんの「格好悪くて、格好いいあがき」を、あなたはどう感じたでしょうか。

取材・文:酒井明子 写真・イラスト:鉄拳