ユージが振り返るシングルで育ててくれた母との暮らし「教育費より、一緒に笑う時間が欲しかった」荒れた思春期を経て築かれた家族観とは

ラジオパーソナリティ、タレントとして幅広く活躍するユージさん。アメリカ人でハリウッド俳優の父親をもち、米国で生まれセレブ生活を送っていましたが、5歳の時に両親が離婚。日本に帰国後は母と二人で暮らし、壮絶ないじめや母との衝突を経て、ヤンキーに。こうした幼少期の経験は、ユージさんの家族観にも深く影響したといいます。お話を伺いました。※後編<4児の父・ユージが語る“ステップファミリー子育て” 「実子が生まれて長男を愛せなくなったらどうしよう…」不安と涙の果てにたどり着いたパパの子育て最適解>に続く
■「大人はみんな敵だと思っていた」
――小学3年生のときに日本の学校に転校し、そこでいじめに遭ったと伺いました。今も強く残っている記憶はありますか?
断片的にいくつかありますが、まず転校初日のことはすごく覚えています。全員が日本語を話している環境は、僕にとって未知の世界でした。先生が教卓で僕の紹介をしているときの、不思議なものを見るようにみんなが僕を見つめる目。それから、やはりいじめの記憶は消えないですね。ランドセルを、電車の窓から投げ捨てられたこと。かくれんぼではいつも僕が鬼にされて、どれだけ探しても見つからない。気づいたら僕の知らないうちに終わっていて、みんなは遠くでサッカーをしている……。そんな思い出ばかりです。
――いじめについて、お母様には話さなかったのですか?
話していません。シングルマザーで一生懸命働いてくれていたので、帰宅しても一人で過ごす時間が長かったんです。暇だから絵を描いたり、公園に行って壁にボールを投げたりして、一人で遊んでいました。いざ母が帰ってきたら「お母さんがやっと帰ってきた。嬉しい!」という気持ちのほうが上回って、いじめについて話そうとは思えませんでした。
――周りの大人にも頼れなかった?
当時は今よりも外国人差別がひどくて、大人からも暴力やいじめを受けていました。塾の先生に脳しんとうを起こすくらい強い力で殴られたり、自転車に乗っていただけで警察官に「お前みたいな外人はすぐ自転車を盗むからな」と嫌味を言われたりしたこともあります。だから、あの頃は大人がみんな敵に見えていて、誰も信用できませんでした。そうした大人たちを困らせてやりたくて、暴走族とつるむなど、どんどん素行が悪いほうへ行ってしまったんです。
■ようやく気づいた “見捨てられていなかった”
――いじめを受けて孤独を感じていたとき、お母様にしてほしかったことはありますか?
今になって思うのは、もっと母とコミュニケーションを取りたかったです。母は、僕の教育にお金を使えるようにと必死で働いていましたが、それよりも一緒に時間を過ごしたかった。そして、僕が頑張ったことや得意なことを、ただ褒めてほしかったですね。

母は厳しい人で、人前では「うちの子なんて」と僕のことを下げるタイプでした。今なら、僕を大切に思い、たくましく生きてほしくて、あえて厳しくしていたんだとわかります。でも、子どもの僕は「そうか、僕なんてダメなんだ」と母の言葉をそのまま受け取り、自信がなくなっていきました。
――「息子のために」と思って一生懸命働き、厳しく接していたお母様と、ただお母さんと一緒にいたかったユージさん。こうした親子の気持ちのすれ違いは、どの家庭でも起きうることだと思います。
そうですね。それでも僕の持論は「愛し続ければ、絶対にいつか気持ちが通じるときがくる」ということです。母は不器用でしたが、僕を間違いなく愛してくれていました。そのことは、後になってちゃんと気づきました。
子どもが思春期の多感な年頃になると、親の言うことすべてがうざったく聞こえるものです。そして、子どもの気持ちが離れていく。でも、そこで親が「もういいや」と諦めてしまうと、子どもの気持ちは二度と戻ってこなくなります。
どれだけ子どもに煙たがられても、愛していると示し続けること。その「親が諦めずにいてくれた」記憶があれば、いつか子どもが思春期を抜け出したとき、親の愛情に気づく瞬間が来るのではないでしょうか。
――ユージさんにも、「母親は自分のことを愛してくれていた」と気づいた瞬間があったのですね。
はい、20歳近くになってからです。高校卒業後、占い師のひと言でアメリカに行くことになり、現地で父親と再会することができました。しかし、それはすべて母が仕組んだことだったのです。僕が母の言うことは聞かないだろうと、あの手この手で僕を手引きし、父とも連絡をとってくれていた。僕を更生させようと、必死にもがいてくれていたんです。
そのことを知ったとき「お母さんは、僕のことを見捨てていなかったんだ。まともな人間に戻すために、動いてくれていた」と感じ、なんて不器用な母親なのだろう、と思いました。「あなたのことが好き。宝物だよ」と言葉にしてくれれば、こんなにすれ違うことはなかったのに。それでも母の行動で、ようやく愛されていたことを実感できたんです。
■子どもが何より切望するものは
――ユージさんが家庭を築くにあたり、お母様との関係や、これまでのことは影響しましたか?
僕の子育ては、完全に母を“反面教師”にしています(笑)。「本当はお母さんにしてほしかった」と思うことをすべて、子どもたちにしてあげよう、と。誕生日パーティーを開いたり、ストレートに愛情表現をしたり、欲しいものを買ってあげたりしています。母のおかげか、子どもたちとはとても良い関係を築けていますよ。

母とはその後だいぶ打ち解けて、今は僕の家庭とも交流があります。母が再婚したのも、ほっとしたことの一つですね。母の老後について、正直ずっと心配していたので。
――ご自身の経験から、親子関係について大事だと思うことは?
良い親子関係を築くためには、親自身が幸せになることも大切です。子どもって、親が笑っているのが一番嬉しいじゃないですか。
すごく覚えていることがあって。僕が子どもの頃、母に彼氏ができて、三人で遊園地に行ったんです。ジェットコースターの二人席に乗るとき、普通なら子どもの僕が母の隣に座るのでしょうが、僕は「一人で座りたいから、お母さんはおじさんと一緒に座って」と言いました。それは、母が彼氏の隣で笑っている姿を見るのが、たまらなく嬉しかったからなんです。きゃーきゃー叫んだり、ちょっと甘えたりしている母を見るのが、僕にとっては幸せでした。
のちに母はその人と別れたのですが、そのとき僕に向かって「お母さんはあなたのために、あなたと時間を過ごす道を選んだんだよ」と言いました。でも、僕はちっとも嬉しくなかった。むしろ「僕がお母さんの幸せを奪ってしまったのかもしれない」とショックを受けました。
だから、今パートナーと一緒に子育てをしている方は、子どもだけではなく、パートナーにも全力で愛情を注ぎ、二人での幸せも築いてほしいです。そしてシングルの方も、勇気を持って自分が笑顔になれる道を選んでほしい。親が自分の幸せを求めるのは、後ろめたいことでも何でもないですよ。子どもにとって「親が笑顔で、幸せでいること」が、何よりの幸せなんですから。
(取材・文/塚田智恵美)
※後編<4児の父・ユージが語る“ステップファミリー子育て” 「実子が生まれて長男を愛せなくなったらどうしよう…」不安と涙の果てにたどり着いたパパの子育て最適解>に続く
〇ユージ/1987年、アメリカ生まれ。両親は、アメリカ人の父と日本人の母。本名はトーマス・ユージ・ゴードン。両親の離婚で、5歳で母と日本に。子役モデルやファッションモデルを経て、俳優、バラエティタレント、コメンテーター、MC、ラジオDJなど多方面で活躍を続ける。2014年に一般女性と結婚。
・【写真】少年時代のユージさんとお母さんのツーショット(ほか、全3枚)
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