なぜ中道はこうも国民の「神経を逆なで」するのか

「物乞い」ではなく「働く」、のリプライに多くの賛意, 政治家は高給の専門職, エリートの泣き言は「特権への執着」, 受動的な姿勢が激しい嫌悪感を呼び起こした

中道改革連合代表の小川淳也氏(写真:© 2026 Bloomberg Finance LP)

2月の衆院選で落選した中道改革連合の山岸一生元衆院議員のXのポストが大炎上している。

【画像】「物乞いせず働け」と非難轟々…大炎上した中道所属・元衆院議員のXポスト

「落選した政治家は、資金難です。金銭が苦しいです、正直に言って。『何万円、何十万円も支援してくださる方がいたらいいなあ』と思うこともあるのは、それはホンネです」という内容で、それに対して批判のコメントが殺到した。

「物乞い」ではなく「働く」、のリプライに多くの賛意

「なんで大量に落選した党の議員を国民が養わなきゃいけないんだよ。国民に選ばれなかった=国民に必要とされなかったのですよ。あなた達は他人の金で飯を食うのが当たり前なのか?」「一般社会人はそういう時は『物乞い』をするのではなく、『働く』のです」などというリプライに多くの賛意が集まっている。

「物乞い」ではなく「働く」、のリプライに多くの賛意, 政治家は高給の専門職, エリートの泣き言は「特権への執着」, 受動的な姿勢が激しい嫌悪感を呼び起こした

炎上した投稿。「寄付した支援者のためではなく、国民のために働くべきでは?」などの声も寄せられている(画像:山岸一生 【 前 衆議院議員 / 中道改革連合 】 東京9区 ( 練馬区 西部 ) Xより)

「物乞い」ではなく「働く」、のリプライに多くの賛意, 政治家は高給の専門職, エリートの泣き言は「特権への執着」, 受動的な姿勢が激しい嫌悪感を呼び起こした

炎上を受け、山岸氏は釈明。生活が苦しいからではなく、政治活動に充てる資金が苦しいという意味だった…と説明した(画像:山岸一生 【 前 衆議院議員 / 中道改革連合 】 東京9区 ( 練馬区 西部 ) Xより)

なぜ、中道改革連合の政治家は、単に支持されないどころか、庶民の神経を逆なでするような「やらかし」をしてしまうのか。これは現代の政治空間において中道のポジションが嫌悪の対象になり始めていることを象徴する事件といえる。

筆者は、これまで「高市人気とチームみらいの躍進」の背景にテクノ・ポピュリズムの潮流があると指摘してきたが、この考え方に照らし合わせると、中道が陥っている致命的なズレが浮き彫りになる。テクノ・ポピュリズムとは、平たく言えば、「技術的・実務的な解決を唱道するテクノ志向」と、「真の国民の奉仕者を謳うポピュリズム志向」が合体したものだ。

テクノ・ポピュリズムの時代において、政治家は「崇高な志を持つ人」ではなく、「具体的なソリューションを提供する経営者・エンジニア的存在」として評価されやすくなる。その文脈では、選挙に落ちるということは「有権者という顧客にソリューションを却下された」ことを意味する。

政治家は高給の専門職

「金銭が苦しい」という告白が、「働くのです」という冷徹な反論を招くのは、有権者が政治家を特殊な身分ではなく高給の専門職と見なす傾向が強まっているからだ。専門職がコンペに負けて「生活費をくれ」と言うのは、プロフェッショナルとしてのプライドの欠如、さらには代わりの利かない価値を提供できていないことの証明と受け取られるだろう。

山岸氏のポストは、おそらく「弱さをさらけ出す誠実さ(真正性)」を狙ったものだったと考えられる。しかし、残念ながら、これはポピュリズムにおける真正性の解釈を決定的に誤っている。

政治学者のベンジャミン・モフィットは、ポピュリズムに特徴的な政治スタイルの一つに「悪いマナー」(bad manners)を示した(The Global Rise of Populism: Performance,Political Style, and Representation/Stanford University Press)。通常の政治的礼儀を破ることで、主流政治とは異なる正当性を主張する手法のことだ。

モフィットは、ポピュリストの指導者は「普通であること」と「非凡であること」の間の綱渡りをしなければならないと指摘した。前者は、「悪いマナー」、平易な言葉、労働者階級的な身なりで「国民の一員」であることを演じ、後者は、メシア的・カリスマ的な存在として「国民」を体現しようとする。

「悪いマナー」は、ポピュリストが「真正性」を演出するに当たって、粗野な言葉遣い、下品なジョークといった礼儀正しい政治的言語を拒否することや、「自分はあなたと同じ普通の人間だ」というメッセージの身体的表現のことを指している。

つまり、政治家が素顔をさらけ出すことによって、広い支持を得るという効果を期待した周到なパフォーマンスのことである。ただし、これはモフィットが「綱渡り」と表現しているように微妙なバランスの上に成り立っている。

山岸氏のポストに顕著な「お金がない、苦しい」といった弱さの自己開示は、「告白の真正性」といえるものだが、これは有能さとセットでない限り、単なる「エリートの自己憐憫」として処理されてしまう。

要するに、政治的エリート層が自身の金銭難を訴える行為は、庶民から見れば、元特権階級による敗者復活への未練であり、「自立できないエリートの甘え」という最悪の印象を与えるのだ。

ポピュリズムにおける「真正なリーダー」とは、「国民と同じ苦しみを背負い、国民のために戦う強者」である。有権者が求めているのは、親近感を抱かせるこのような人物が強い意思決定の下、技術的な解決を推し進めることだ。

エリートの泣き言は「特権への執着」

山岸氏のポストは、弱さだけを提示して、解決能力を提示できなかったため、真正性のスイッチが明らかに負の方向に作動した。エリートの泣き言は「特権への執着」にしか見えなくなったのである。モフィットの「真正性」の致命的な解釈ミスといえるだろう。

一方、高市首相は、「真正性」の面ではうまく乗り切っている。カタログギフト騒動のように、既得権益や批判勢力(メディアや野党)に対して、「昭和の中小企業のおやじ社長みたいなところがある」「飯会(食事会)が苦手な女」などと開き直る態度は、支持層には「ごまかさずに本音で話す政治家」「スキャンダルに持ち込もうとする敵対勢力に屈しないリーダー」と映ったのだ。

次に、もっと重要なことは、冒頭に申し上げたテクノ・ポピュリズムの視点からの中道勢力への風当たりの強まりである。チームみらいが推進する「プッシュ型行政」や「直接的な民意集約」は、「調整役としての中間者」の存在意義がテクノロジーによって薄まりかねない側面がある。

メディア研究者のマルコ・デゼーリスは、テクノ・ポピュリズムを大きく2つの型に分類した。カリスマ的リーダーがデジタルツールを使い、国民と直接つながるリーダー中心型と、参加者がプラットフォーム上で直接意思決定し、専門家政治を代替するリーダーレス型だ(Technopopulism:The Emergence of a Discursive Formation/TripleC: Communication, Capitalism & Critique 15 (2)/2017)。

現在の日本の政治状況は、この2つが高度に融合しつつある。

SNSの効果的な活用により、国民との「絆づくり」を重視している高市首相の強固なリーダーシップと、チームみらいが示す技術的解決への道筋は、反対するだけの野党を「民意に対する抵抗勢力」と捉えやすくなる傾向を作り出している。

デゼーリスは、テクノ・ポピュリズムの台頭は「プロフェッショナルな調整役としての政治家」がオワコンになるという趣旨のことを述べている。

スピーディな意思決定と効率的な技術的解決の提案と対照的に、建設的ではない「永田町の論理」は総じて非効率でコストのかかる中間搾取のように見えることだろう。

テクノ・ポピュリズム下では、政治も「マーケット化」し、当選という「成果」を出せなかった政治家が資金難を訴えることは、バグを抱えた古いソフトウェアが課金を要求するようなものとみなされ、有権者(ユーザー)の怒りを買うのだ。

山岸氏のポストが国民の神経を逆なでするのは、その発言に「自分たちは良識あるエリートである」という自意識が見え隠れし、にもかかわらずそこに「国民と同じ目線」を演じようとする欺瞞的なしぐさを感じ取っているからだ。

受動的な姿勢が激しい嫌悪感を呼び起こした

同ポストに透けて見える「支援してくれたらいいなあ」という受動的な姿勢は、能動的な解決策を提示する国民民主党やチームみらいなどの政治家たちと比較され、激しい嫌悪感を呼び起こしたことは想像に難くない。

いずれにしても、ポピュリズムが避けられない現代の政治状況は、モフィットのいう「綱渡り」と、前述の「マーケット化」が世論を支配していくことを意味している。わたしたちは、課題解決に向けた安易なショートカットへの誘惑に抗いつつ、与党野党を問わず政治家たちの言動を見極める必要があるだろう。

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