三陸カキ養殖の父が仕掛けた大正時代の「カキ食普及」レシピ、オイスターカレーにオムレツ、想像以上のハイカラさ

(写真:Bricolage/Shutterstock)
真牡蠣(マガキ)が美味しいシーズンだ。読者諸兄もその味を堪能されているだろうか?
日本人がカキを食した歴史は古く、貝塚からもカキの貝殻がよく出土しており、日本人にも馴染みの食材であったようだ。
なによりもカキの魅力といえば「海のミルク」と称されるほどの栄養価に優れていることであろう。グリコーゲン、タウリン、亜鉛、鉄分、ビタミンB群などが多く含まれ、動物性食品には珍しいアルカリ性食品でもある。
では日本の一般庶民がカキを身近な食材として認識しだしたのはいつ頃のことだろうか。
意外に古いカキ養殖の歴史
カキの養殖が盛んな広島地方では、室町時代にあたる天文年間(1532〜1555)には干潟に小石を並べてカキを付着させる“養殖法”が始まったと言われているが、「大量生産」が可能になるのは、筏を使って海中にカキを吊るして育てる方法が普及した明治後期から大正時代であったと考えられる。
それまでは汽水域の海面に竹竿を何本も差してそこにカキが付着するのを採る「ひび建て式」という養殖法が主流だったが、大正時代になると、ロープを海に垂らしてそこにカキの苗を植えこむ「垂下式養殖方法」が考案されたのだ。そこから簡易垂下式・筏(いかだ)式垂下・延縄(はえなわ)式垂下が派生していきカキの生産量は飛躍的に上がった。
ところが、大正時代の前半にはこの養殖場は完成したものの、需要のほうは飛躍的には伸びなかった。
そこで、大正時代にカキ養殖を始めた宮城県の塩釜では、カキ食普及のためのパンフレットが作られ、カキ食のブームを興すように仕掛けられていた。カキに馴染みのなかった消費者にも、どうにか試してもらおうという苦心の作だったようだ。パンフレットを作成したのは、宮城県塩釜で養鰻業などをしていた水上助三郎が経営する水上商会の「養魚場養蛎部」である。
果たして、110年以上前のカキ料理のレシピとは一体どのようなものだったのだろうか。その中身を紹介しよう。
注)当時のパンフレットでは「牡蠣」と漢字で書かれているが、これは古来カキというのは牡(オス)の貝だけであると思われていたためだという。本稿では「カキ」と記す。また、読みやすいように適宜現代語に改めている。
「カキ剥きは難しいことではなく、慣れれば婦人子供でも容易に」
まず、パンフレットの冒頭では、カキを食する場合の注意が記されている。
<我が国においてはカキの除殻を面倒がって剥き身を買うのが普通になっている。剥き身は淡水に長時間浸されているから真の味わいも香りもない。また養分の「グリコーゲン」が溶け出てそれだけ滋養が減殺されている>
これを読めば、大正初期に既にカキの剥き身が売られており、それを購入する者が少なくなかったということが分かる。最近でも殻付きのカキを販売している店舗は散見されるが、輸送コストがかかることもあり、剥き身に比べれば一般的に高価である。また「殻を開けるのが面倒くさい」という消費者の気持は110年経っても同じだということが分かる。しかもここでは、剥き身が殻付きカキと比べて「味も香りもない」とし、栄養分も減ることが指摘されている。
<なぜ淡水に浸すかというと、カキは著しく水を吸収して自ら膨張する性を有し、一昼夜淡水に浸しておくと三割ないし四割も枡目を増加し、かつ外見が白みを帯びて売るのに都合がよろしいからである。
それであるから東京などでも今日カキを剥いて明朝魚河岸に持ち行くまで一夜淡水に漬けるのであるが、その間に七合の剥き身が一升になり、三合だけは売り子の所得になるのである。この弊風はすべて商人の利益より打算せられたものであるから、カキの価値を減殺させないで真に甘い滋養を味わおうとする人は必ず殻のついたまま買い置いて自ら除殻をしなければならない>
これでカキの吸水量の凄さを知ることになった。また、カキ商人の魂胆について内情を暴露しているものであり、美味しいカキを食べようとするのなら殻つきのカキを購入すべきであるという忠告でもあろう。
<カキを剥くことは決して難しいことではなく、少し慣れれば婦人子供でも容易にできる。その方法は図に示している通り。(図は省略)>
剥き身のカキではなく、殻付きのカキを購入することを勧めている。そしてカキを剥くのは慣れであり、婦人子供でも容易くできるとしている。
「カキは二口、三口に切って食すものではなく、ただ一口に食するもの」
さらにパンフレットでは、自社が養殖したカキの品質について以下の3つのアピールが続いている。
<このカキは元来米国へ輸出し移植する目的で養殖したのですから、貝の殻縁を徒(いたず)らに伸長せしめずなるべく丸く、かつ殻を厚くする様に造ってあるのです。あるいは小さ過ぎるとの評があるかもしれませんが、カキは二口、三口に切って食すものではなく、ただ一口に食するものですから決して大きなものが良いのではありません>
<欧米の様にカキの一個を単位として売買する所では大きさ形、および実入りが均一になる必要がある。故にこのカキは従来の我が国産カキに比しその目的に添うことにつとめ、実入りなどは大した甲乙がないように出来ています>
<下水の流れ込む泥川へ漬けてあるようなカキとは違い、このカキは毎月細菌検査を行い、チフス菌などの有害菌が絶対にいないことを保証し得るのですから、この店は実にご懸念は要りません>
つまり、「大きければいいのではなく、小ぶりで一口で食するのが宜しい」「粒の形や実入りが均一になるように育てている」「細菌検査をしているから安心である」という、現代のマーケティングにも通じる品質保証を行っているのだ。
次に、和洋カキ料理の数種が紹介されている。
外せない定番の「カキフライ」
●オイスタースープ
<これはカキと饂飩(うどん)の実のスープである。まずカキ一合を剥き身にし、濃塩水にてよく洗う。すると粘液や砂が綺麗に除かれて真っ白になりますから、それを布巾の上に並べて水気を取り、深鍋に入れて一合の水を入れ、火にかけて五分間ほど煮る。すると正面に泡が浮き上がるからそれを取り去る。その中に牛乳七勺くらいを入れ、その次に饂飩の一寸位に切ったのを入れ、さらにバターを小さじ一杯ほど入れて煮立てたならば塩と胡椒で味をつけそれをスープ皿へ八分目ほど注ぎ入れ出す>
オイスタースープの具に「饂飩(うどん)」を入れるというのは想定外のレシピであった。ただ、明治や大正時代の西洋料理レシピでは、マカロニのことを「管うどん」「穴あきうどん」などと翻訳して表現することがよくあったため、ここでの饂飩はマカロニを指している可能性が高い。そう考えると味の想像もつきやすい。
●ハーフシェル・オイスター(*原文は「ハーフセル・オイスター」)

(写真:I am food/Shutterstock)
<これは殻の一方の上に肉身をつけたまま西洋皿へ一人前五、六個づつ乗せ「レモン」を輪切りにしたものを添えて出す。「レモン」がなければ「ダイダイ」でもよろし>
フランスの街角でよく見られる光景であり、殻付きのカキが無造作に店頭に積まれている。客は半ダースとか一ダースという単位で注文をするとウエイターが氷を下に敷いたトレイに殻付きで剥いたカキを運んで来るので添えられているレモンを絞って食べる。筆者はカバンに酢醤油の小瓶を入れていたのでそれを使っており、フランス人の友人にも好評であった。日本でも「オイスターバー」が20年程前から出始めて、産地別のいろいろな種類のカキを食することができるようになったが、殻付きで剥かれたカキは、予想以上に高価であるのがネックであろう。
●カキフライ
<カキの水気を布巾で去り、小一時間軽く押しておき、玉子の黄身を塗ってパン粉をつける。もしパン粉がつき過ぎると味をおとすので少しつけるのが宜しい。揚げるのには「オリーブ」油が一番結構。皿に盛るときには赤かぶの小口切りを添える>

(写真:karins/Shutterstock)
カキフライは現在日本人が一番好きなカキ料理ではないだろうか。多くの料理店にも置かれているが店によって味がバラバラであるのも事実である。小さな身であれば2個、3個をまとめて一緒にして揚げるようにしているお店も少なくない。油が漂うようなカキフライよりカラッと揚げられているカキフライが好まれるが人気店には行列が長く続いている。どうやら大正時代ではカキフライの大きさや油に関してもかなりアバウトであることがうかがわれる。
なかなかハイカラ、「カキのオムレツ」に「オイスターライスカレー」
●カキのオムレツ
オムレツを適当な形にして包むのが一番難しいところなのだが、その適当な形にするテクニックについては全く触れていないのが残念だ。
●オイスターライスカレー
<カキをおよそ三十個ほど鍋に入れ火にかけ火が通ったら身を引き上げその汁に「バター」を大匙二杯とコンスターチ(あるいはメリケン粉)大匙一杯、カレー粉大匙一杯。牛乳をコップ一杯と塩適当に加えて煮て適当な濃さになったときに前のカキを入れ、炊き立てのご飯にかけて食べる>
日本人は明治時代からライスカレーが大好きなのだろう。実に贅沢なカキの使い方をするオイスターカレーであるが、一度は試してみたくなるレシピである。
●カキ飯
<米一升に上等醤油一合、塩盃三分の一、酒一合、水八合とを入れて仕込んだ釜の中に米一升に対する一升のカキ割合で櫃に移すとき海苔を揉んでかける>

(写真:Tammyiho/Shutterstock)
上等醤油という表現は大正時代では当たり前だったのかもしれない。カキは事前に火を軽く通し、ご飯が炊きあがってから後でご飯と合わせたほうが美味しいと感じるが大正時代はこのように料理をしたのだろうか。
●カキのどて焼鍋
<どて鍋はなべ焼きの一種です。鍋には縁より少し高いくらいに白味噌で堤を築き中に割下を注ぎ、カキと豆腐野菜を入れて追々に土手をこわしかき混ぜて食べる。この割下は普通のよく薄く甘くして用いるので二番出し一合に味醂三勺、醤油一勺、砂糖盃一杯の分量が適当である>
これはカキの産地である広島特産の「牡蠣の土手鍋(どてなべ)」を紹介しようとしたものだろう。このレシピであれば辛い風味ではなく、まろやかな鍋を食することが出来そうである。
以上、大正時代のカキのパンフレットの紹介であった。
先人たちはこのような方法でカキの消費拡大を狙っていたのだろうが、実に興味深い資料であった。
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