「×プラダを着た悪魔2」これは女の出世が令和バージョンに上書きされる話である?:河崎環のタマキ×(カケル)

「×プラダを着た悪魔2」これは女の出世が令和バージョンに上書きされる話である?!:河崎環のタマキ×(カケル)
By 河崎 環
怖すぎる女性上司、悪魔ミランダが20年ぶりに降臨だ。ディズニー配給の『プラダを着た悪魔2』が5月1日に全世界公開。さまざまな“お仕事女子”の人生に当時影響を与えた第1作から20年。ファッションメディア界隈に降りかかった数々の“チャレンジ(受難)”を振り返りながら、期待の新作の見どころを紹介する。
20年の間に世界は変わった
怖すぎる女性上司、悪魔ミランダが20年ぶりに降臨だ。ディズニー配給の『プラダを着た悪魔2』(以下「プラダ2」)が5月1日に全世界公開。さまざまな“お仕事女子”の人生に当時影響を与えた名作の続編にノスタルジーと期待が膨らみ、4月20日にはニューヨーク・マンハッタンのリンカーンセンターで大がかりなワールドプレミアが開催された。
20年ぶりに集結したキャストやファッション界、音楽界のVIPたちが作品のテーマカラーとなる赤、黒、白の最新ファッションを纏って登場、まさに作中で登場人物たちが心血を注ぎ込むファッション誌「RUNWAY」のごとく、華やかなファッションセレブリティの世界を体現してみせた。
第1作の作品公開が20年も前、2006年だったという事実に驚いてしまうほど、オリジナル「プラダ」は色褪せず、語り継がれる名作だ。「プラダ2」にはメインのオリジナルキャストがそのまま出演。御年76歳の大女優メリル・ストリープやアン・ハサウェイ、エミリー・ブラントにスタンリー・トゥッチという名優たちが、20年の年月を経てもなお一人残らず第一線で活躍していることもすごいが、彼らの風貌が年月を感じさせないことにも、ショービジネス業界ならではのすさまじいセルフコントロールと美意識を感じさせる。
だが、なぜ続編まで20年もかかったのか。もちろん、「プラダ」の興行的成功や受賞によって俳優や制作スタッフがさらに忙しくなり、企画は持ち上がれども各自のスケジュールを合わせるのに時間がかかったことは想像に難くない。
しかし、それにも増して否定できない事実がある。その間、あのきらびやかなキャリア映画「プラダ」の作品世界観にはいくつものチャレンジ、つまり否定的材料が時代の変化によってもたらされていた——つまり、ファッションメディアには受難の20年だったのである。
成功者の“仕事の流儀”?いいえ、いまではパワハラです
手始めに1つ挙げるなら、オリジナル「プラダ」で“悪魔”の編集長ミランダから部下に向けられるサディスティックなまでの言動は、20年前には時代のトップクラスの成功者が持つ仕事へのストイシズム、つまり完璧主義や美意識やプライドの表れとして(みんなが引きつつも)理解されたが、現代では男女関係なくシンプルにパワハラであり、内部告発の予感でゾクゾクする。かの有名な「頭からつま先まで値踏み」「アシスタントの名前を覚えない」「熱々のスタバパシリ」「出社時にバッグとコートをアシスタントのデスクに投げ捨て」「娘たちのためにハリポタ最新作をゲットせよの圧」場面などは成立しなくなってしまうのだ。

前作『プラダを着た悪魔』のポスタービジュアル。「小学生の罰ゲームか!」とツッコみたくなるような荷物の持たされ方である(画像:『プラダを着た悪魔2』 公式サイトより)
そして「太っている」「ダサい」女の子は絶対ダメ、という、あの時代なら「ファッション業界ですもんね」と流されるようなアシスタントの採用基準にも、現代なら不健康な痩せを強要し、身体的個性を認めない悪しきルッキズム、ファッションファシズムとして批判の対象だ。主演陣が白人ばかりで人種的多様性のなかった第1作の画面も、いまなら「白人至上主義」「意図的に有色人種を排除する、ホワイトウォッシュだ」と炎上しかねないきな臭さが自然と漂ってきて、不安になるほどである。
試しに一度、オリジナル「プラダ」を見直してみてほしい。パワハラ、セクハラ、人種、ルッキズム、性的マイノリティ、夫婦関係や男女関係の描き方など、「あー、それはいまの時代ならもうNGだよね……」と感じてしまう場面がてんこ盛りで、なるほどこれが20年経ったということか、と納得するから。見る側の私たちの目にも、20年分の変化が積もっている。社会は、実はそれほどまでに「変化した」、あえての言い方をするなら「政治的に調整された」のだ。
出版メディアの斜陽と向き合う、伝説の編集者ミランダ・プリーストリー
「プラダ」オリジナルは20年間愛され続け、いまもカッコいい女子のお仕事ムービーとしてバイブル的存在となっている。だが「プラダ2」が続編として取り組むのは、20年の間に決定的となった出版業界の斜陽だ。社会が変わり、お金を持つ人とお金の使い方が変わり、マスコミにおけるチカラの居場所が変わった。
メリル・ストリープ演じる「RUNWAY」の鬼編集長ミランダのモデルとなったのは、「VOGUE 米国版」編集長のアナ・ウィンター。前作「プラダ」は彼女の存在を一躍有名にし、スーパーモデルブームが収束した2000年代以降のファッション業界に“出役”側だけではない“裏方”ブームを起こした。世界的なモデルや女優俳優やミュージシャンだけではなく、雑誌の“エディター”がファッションアイコンとなり、その装いや暮らしかたを取り上げて記事が成立するようになった。
ファッション界では長年、「アーティスト」といえばデザイナーだった。しかし編集者やスタイリスト、メイクアップやブランド広報も、デザイナー同様に自分たちのアーティスト性もしくはクリエイター性に気づき、会社や雑誌やブランドの名前から離れて独立し、センスのいいライフスタイル込みで自分の名前とキャラクターで活動するようになった。
“インフルエンサー”というSNSインプレッションで稼ぐ仕事スタイルは、「プラダ」と
SNSの誕生の合わせ技で生まれた、裏方が表舞台に出る潮流の延長線上にあるように思う。意図されてはいなかっただろうが、インターネットの登場で世界の情報権力構造がフラットになり、紙や電波メディアの権威の解体と淘汰を促し、そこにファッション業界の裏方が出役となってSNSで表へ出ていくことで“舞台”そのものが日常に——つまり普通の人にも手に届くものに——なったのだ。
かつては選ばれし美しい者だけが歩き、招待された者だけがその客席で最新のファッションを目撃することのできた、特権的で排他的な“ランウェイ”は、もう過去のもの。そして「プラダ2」はまさに、「RUNWAY」が途上国の児童労働力を搾取する悪質なファストファッションをフィーチャーしたとしてネットで炎上し、編集長であるミランダを醜くイジったネットミーム動画がSNSにあふれるくだりから始まる。プラダのコートを投げ捨てなくなった“悪魔”
「政治的に調整された」悪魔はプラダのコートを投げ捨てない
実感から言うと、映画が描く以上のスピードと容赦のなさで世間がファッション媒体への関心を失った現在、もはや雑誌の編集長が「政治的に不適切なブランドを推した」くらいのことでネットミームにされてSNSを埋めたりなどしない。世界はもうそれほどに雑誌に対して無関心だ……が、ともかく、映画はそういった、ファッションメディアへの批判的風潮から始まる。
そこから描かれる現在の「RUNWAY」編集部には、オリジナル「プラダ」が醸していた、ヒリつくような権威や緊張感はもう見当たらない。
美しくファッショナブルな人材しか存在することを許されていなかった編集部には、(一見アフリカ系と見えるがインド系の)褐色の肌をした有能な編集者や、ぽっちゃりして背の低いアジア人の新人女子や、肉付きも機嫌もいい男性アシスタントがいる。ジェンダーや人種的多様性、ルッキズムなどにも“対応”した印象だ。そしてミランダはもう悪魔じゃない。「人事にクレームがあった」ために、出社するとアシスタントに小声で挨拶し、バッグを投げ捨てたりもせず自分の部屋へ粛々と向かい、コートは自分でハンガーにかける。

前作に続き「RUNWAY」編集長ミランダ・プリーストリーを演じるメリル・ストリープ(画像:『プラダを着た悪魔2』 公式サイトより)
出版社の会長が死去し、エリートだが投資とスポーツにしか興味のないドラ息子が後継者となるが、赤字タイトルである「RUNWAY」は事業整理候補とされ、マッキンゼー(経営戦略コンサルタント)のチームが連れてこられる。高名な伝説の編集長ミランダを前にして、そこで口火を切る“プロジェクトリーダー”はインド系のまだ若くぎこちないコンサルタントだ。名前を名乗ってすかさずハーバードMBAであると付け加える細部も、実にリアルで皮肉に富んでいる。
ファッションとはこれまでも今も常に、時の権力者の社交を彩るものである。だから「誰がファッション業界にお金を出しているのか」で、その時代の権力のありかがわかるといってもいい。「プラダ2」では、ファッションのパトロンは米国人のIT長者だ。戯画化されたIT長者の前妻はアジア系モデル、今の恋人はクチュールブランドの美貌のエグゼクティブということで、これまたいかにもありそうな現実を映し出している。
オリジナル「プラダ」で2人目の夫に離婚されたミランダが、今作で結婚している3人目の夫がどんな男性であるかも注目である。映画の中で誰がお金や権力を持っているのかと同様に、誰が誰とどう付き合っているか(結婚しているか)、もまた現実の縮図。「プラダ2」の見どころは華やかなファッションだけじゃない。20年前と今とで、女の仕事、女の出世、女の恋愛や人生の選択がどう変化しているかこそが、元祖お仕事女子映画ならではの、一番の見どころといっていいだろう。
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