アフリカ大使「電撃走った」…欧州式でない〝日本式〟援助に TICAD開催へ、武者震い 国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏(51)

2013年6月、横浜で開催された第5回アフリカ開発会議(TICAD)。岡村氏は前年秋から、開催に向け奔走した
公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。戦後最年少(50歳)で大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。
会議の〝顔〟いきなり交代
《2012年秋に米シカゴ赴任を終えて帰国し、外務省アフリカ部長を務めた》
東京で翌年6月、総理大臣主催でアフリカ首脳を集めた大きな会議が予定されていました。第5回アフリカ開発会議(TICAD)です。アフリカ部長は事務局長として仕切らなければならない。野田佳彦総理と相談しつつ、準備を進めていました。

平成24年11月、当時の安倍晋三自民党総裁(左)と野田佳彦首相 (右中央)=酒巻俊介撮影
ところが12月末、政権交代で安倍晋三政権が誕生。安倍総理にとっては、初の自身主催の首脳会議になりました。
TICADは約30年前の1993年、日本がアフリカ首脳を東京に招待し第1回目が開催された。アフリカの開発が議題です。
欧州は当時、「ベルリンの壁」崩壊やソ連解体直後だった。自由主義に転じた東欧諸国への経済支援に莫大な資金を要し、西欧諸国にはアフリカの面倒を見る余裕がありませんでした。そこで、日本がアフリカへの開発援助を考える会議を開くことになったのです。

小和田恒氏
アフリカ、たっての要望
《会議は1回限りの予定だった》
ところが、アフリカ諸国は「また、開催してほしい」と言ったのです。このため、5年後の98年に第2回会合を開催。5年ごとに回を重ねてきたわけです。
TICADがアフリカ諸国に歓迎されたのは、日本がアフリカの開発に欧米諸国と違う姿勢で臨んだためです。それは「オーナーシップ」という考え方にあります。
開発を自分の手で行うことを求める、つまり日本がアフリカを支援するには、アフリカ各国が自助努力をすることが前提だということ。これは、TICAD開催を推し進めた小和田恒外務次官(当時)が打ち出したものです。
冷たく、突き放す立場
アフリカ諸国が援助資金を待っているだけなら、日本は応じない。彼らが欧州から得ていた支援に比べれば、冷たく、突き放した立場だった。しかし、彼らはこれを歓迎した。その理由は、あるアフリカの大使の言葉を聞けば分かります。

コートジボワールの村で歓迎の踊りを披露する男性(岡村善文氏提供)
彼は90年代に国際農業開発基金(IFAD)に在籍し、TICADを第1回から知っていた。日本がニューヨークにアフリカ諸国を集め、「TICAD招待」を正式に発表した会合で、アフリカの「オーナーシップ」を求めるという説明を聞き、「欧州とは違う、と感じた」と言うのです。
植民地にした負い目
「電撃が走りましたね。『自力で開発を考えろ』と日本が言ったのは、アフリカには自分でできるはずだ、という前提があるからです。日本はアフリカの能力を信頼している。アフリカのみんながそう感じた。『これはこれまでの援助の考え方と違う』と」
《それまで、地理的な近さや歴史的背景からも、アフリカは欧州の領域、いわば欧州の庭だった》
欧州諸国は、アフリカを植民地にしていた、という負い目もあり、開発を〝手取り足取り〟支援しなければ、と感じてきたのでしょう。
「アフリカは無知だ」
また、思想的にキリスト教も背景にあります。「アフリカは貧しい、だから恵んでやらなければ」という慈善の精神。もう1つは、「アフリカは無知だ、教えてやらなければ」という宣教の必要性。高貴な博愛精神です。
ところが「与える」「教える」という支援を続けた結果、不足は欧州が満たしてくれる、分からなければ欧州が教えてくれる、と考えるアフリカになったわけです。
アフリカの知識階層と話していると、すぐ「欧州の植民地支配がアフリカを蝕んだ、だから欧州はアフリカを助ける責務があるのだ」という議論をします。
私に言わせれば、欧州に責任をかぶせ、その解決を頼るこういう考えこそが、植民地主義の最大の負の遺産。もっとも、この議論をして援助を引っ張ってくるのが、アフリカのエリートにとっての「権威」と「利権」の源泉であり、彼らの利益に沿っている面もあります。
「アフリカの自尊心許さない」
《アフリカの新しい世代は、違った考え方をするようになってきた》
私がこうしたアフリカの「甘え」について話題にすると、アフリカの若きエリートが怒りながら、私に言うのです。
「自分たちはもう、植民地主義の弊害などと過去を引き合いに出すことはしない。『自分たちはかわいそうな被害者だ』と言うなんて、自らを貶めるようなものだ。独立から60年も経ち、いまだに相手に償いを求めるのは、アフリカの自尊心が許さない」と。
アフリカは90年代、1次産品の価格低迷や債務超過に苦しんでいました。欧州に助けを求めると、人権や民主主義、汚職対策などの条件を付けられ、不甲斐なく思っていたに違いありません。「自分で努力することが出発点だ」というTICADのメッセージは、共感を呼んだはずです。
武者震い
《アフリカ連合(AU)はこの考え方に立って2001年、「アフリカ新開発計画」(NEPAD)を策定し、始動させた》
日本は主要8カ国(G8、ロシアも含む)の枠組みで、NEPAD支援に力を注ぎました。
そのTICAD第5回目開催(今年は9回目)が私の仕事になったわけです。しっかりした哲学に立った日本のアフリカ外交の柱である会議を、私は責任者として準備しなければなりません。数十人のアフリカ諸国首脳だけでなく、潘基文国連事務総長も参加する本格的な舞台です。何とか成功させなければ、と武者震いがしました。(聞き手 黒沢潤)
<おかむら・よしふみ> 1958年、大阪市生まれ。東大法学部卒。81年、外務省入省。軍備管理軍縮課長、ウィーン国際機関日本政府代表部公使などを経て、2008年にコートジボワール大使。12年に外務省アフリカ部長、14年に国連日本政府代表部次席大使、17年にTICAD(アフリカ開発会議)担当大使。19年に経済協力開発機構(OECD)代表部大使。24年から立命館アジア太平洋大学副学長を務める。