朝ドラで話題、河合優実は山口百恵の"再来"か

「そこにいま本当にいる」と思わせる河合優実, 歌手・山口百恵が身にまとった「暗さ」, 山口百恵と1970年代の日本, 河合優実は山口百恵の“再来”か?

3月、アジア・フィルム・アワードでの河合優実(写真:ロイター/アフロ)

河合優実の勢いがとまらない。

【画像】河合優実の主演の映画『ナミビアの砂漠』で強烈な印象を残したシーン

ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBSテレビ系)の不良娘役も記憶に新しいが、今年3月には日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。現在放送中の朝ドラ『あんぱん』での演技も絶賛されている。そんな河合について、SNSなどでは「山口百恵に似ている」と言う人も少なくない。

その理由について考えてみたい。

「そこにいま本当にいる」と思わせる河合優実

『あんぱん』で河合優実が絶賛されたのはこんなシーンだった。

河合が演じる朝田蘭子の実家は石材店。そこで住み込みで働く原豪にひそかに思いを寄せている。そしてある日、豪に召集令状が届く。最初は何も言わずそのまま見送ろうとしていた蘭子だったが、出征するぎりぎりのところで告白し、2人は思いを確かめ合う。

豪役の細田佳央太の好演もあってのことだが、確かにこの場面の河合優実の演技にはぐっと惹きつけられるものがあった。

長年ずっと胸に秘めてきた思いを告白する緊張、だがその思いを相手が出征するいま言わずにはおれない気持ち、そして豪の無事の帰還を願う切実な気持ちなど内心に渦巻く感情が、セリフの言い回し、目線の揺れ、細かな表情の動き、ちょっとした仕草などを通じて完璧に表現されていた。

しかし何よりも河合優実のすごさを感じさせたのは、朝田蘭子という人物の演技を超えた実在感である。そこには、蘭子という人間が「そこにいま本当にいる」と確信させてくれるような、有無を言わせぬ説得力があった。

もちろんフィクションなのだが、かつて戦時中、至るところに蘭子と同じ境遇の人たちが確かにいたに違いないと思わされた。

日本アカデミー賞最優秀主演女優賞の対象作品となった映画『あんのこと』(2024年公開)は、戦時中ではなく、まさにいまの日本社会の話だ。だがこの映画でも、河合優実は同じ魅力を見せてくれる。

「そこにいま本当にいる」と思わせる河合優実, 歌手・山口百恵が身にまとった「暗さ」, 山口百恵と1970年代の日本, 河合優実は山口百恵の“再来”か?

(画像:映画『あんのこと』公式Xより)

河合が演じる香川杏は、貧しい母子家庭で育った。母親に強制されて生活費を稼ぐために小さい頃から売春をさせられ、そのあげくに覚醒剤使用で捕まってしまう。

それでも杏は、親身になってくれる刑事(佐藤二朗)やジャーナリスト(稲垣吾郎)と出会い、介護施設で働き、学校にも通うなど少しずつ自立の道を歩み始める。しかしその矢先コロナ禍に。働くことも学校に通うこともできず、拠り所となってくれた人たちとも離れ、再び孤立するようになる……。

この映画は、実話に基づいている。それゆえありがちなストーリー展開にはならない。しかしだからこそ、現代社会の負の側面が生々しくえぐり出される。そしてそう感じられるのは、河合の演じる杏が、やはり「そこにいま本当にいる」と思わせてくれる実在感を強烈に放っているからだ。

『あんぱん』と『あんのこと』の時代背景に共通しているのは、「暗い」ということだろう。河合優実が両作品で示した魅力もまた、「暗さ」を体現できる彼女の資質抜きには語れないように思う。

宮藤官九郎脚本でコメディ色が強い『不適切にもほどがある!』(2024年放送)で演じた小川純子役では一見「暗さ」は隠れているが、過酷な運命をたどることになる展開には「暗さ」の要素が垣間見える。

歌手・山口百恵が身にまとった「暗さ」

2019年デビューで今年25歳になる河合優実だが、そのたたずまいなどから1970年代の大スター・山口百恵を彷彿とさせるという声をSNSなどでよく目にする。確かに山口百恵の大きな魅力の要素になっていたのも、彼女が身にまとう「暗さ」だった。

1959年生まれの山口百恵は、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』で合格。その後歌手として『プレイバックPart2』(1978年発売)など数々のヒットを飛ばし、19歳の若さで『NHK紅白歌合戦』のトリも務めた。また俳優として多くのドラマや映画に主演してこちらもヒット。単なるアイドルの域を超えた大スターになった。

子どもの頃の山口百恵は喜ぶことが下手で、大人たちから「はりあいのない子」と言われ、心を痛めたという。またコミュニケーションが苦手で重要なことを言いそびれてしまうなど「口の足りない子」とも言われ、そうしたことが大きな劣等感にもなった(山口百恵『蒼い時』)。

歌手人生の大きな転機になったヒット曲『横須賀ストーリー』(1976年発売)は、そんな山口百恵のなかにある「暗さ」を歌詞の世界観に反映したようなものになっている。

作詞した阿木燿子によれば、「街の灯りが映し出す あなたの中の見知らぬ人」という一節は、横須賀の街の色とりどりのネオンを思い浮かべて書いた。

ただ、「東京のように全体的に光源がない」横須賀は、「ちょっと路地に入ると、もうそこはほの暗い」。「横須賀の少女は、その華やぎとひっそりとしたほの暗さを持っている」(阿木燿子『プレイバック PARTⅢ』)。

横須賀は、山口百恵の育った街である。阿木がイメージした「横須賀の少女」とは、いうまでもなく彼女のことだ。「横須賀ストーリー」においては、横須賀という街の「暗さ」と山口百恵の資質的な「暗さ」とが響き合い、「暗さ」がいっそう増幅される。

恋に揺れ動く歌詞の主人公はまだ少女であるはずなのに、山口百恵の歌は大人の女性のものとしか思えないような陰影を感じさせる。「これっきり これっきり もうこれっきりですか」という出だしのサビの歌声、特に「もう」のところの歌唱にはそんな深みがある。

山口百恵と1970年代の日本

山口百恵のデビューは1973年。第1次オイルショックがあった年である。長く続いた昭和の高度経済成長は、そこで明確に終わりを告げた。敗戦からの復興、そして高度経済成長に至るなかで一定の物質的な豊かさは実現されたものの、経済成長という国民共通の目標がもたらす高揚感は失われた。

その頃フォークソングがブームになったように、それは一人ひとりが自分の内面を見つめ直す内省の時代、すなわち一種の暗い時代の始まりでもあった。

結局のところ、山口百恵のすごさは、当時の世の中の「暗さ」を自分自身のそれと共鳴させつつ、自分というフィルターを通して大衆を強く惹きつける表現にまで高めたところにある。そしてその表現は、事実とフィクションが複雑に絡まり合うことで独特の深みを獲得していった。

たとえば、ドラマにおける彼女の代表作「赤いシリーズ」で山口百恵が演じた役柄の多くは、出生の秘密を抱えている。世間やメディアはそこに山口自身の複雑な家庭事情を重ね合わせたりもしたが、それもいまとなっては、当時の社会そのものが抱えていた「暗さ」を山口百恵という存在に投影していたのではないかと思える。

そうした行き場を失った大衆の思いを受け入れる器の大きさゆえに山口百恵は時代のアイコンになった。

要するに、河合優実と同様に山口百恵にも「そこにいま本当にいる」と感じさせる実在感があった。とりわけ山口百恵は、大地に根を張ったような揺るぎなさを感じさせる意志の強い女性として人々を魅了した。いまから思えば昭和的とも言える20歳での結婚による絶頂期の引退という選択も、自分で決断するという点で一貫していた。

一方、河合優実が体現する令和は、誰もが居場所を喪失したような感覚、たったひとりで放り出されたような感覚に陥りやすい時代だ。「失われた30年」とも言われ、バブル崩壊から続く長い停滞期間のなかで、昭和のような高揚感はすでに記憶から薄れている。

河合が主演した映画『ナミビアの砂漠』(2024年公開)は、そんな令和の空気感を感じさせる作品である。特に目標もなく、退屈を持て余しながら交際相手と同棲生活を送る21歳の女性・カナが主人公。確固とした居場所の感覚は希薄で、どこか根無し草のように生きている。

「そこにいま本当にいる」と思わせる河合優実, 歌手・山口百恵が身にまとった「暗さ」, 山口百恵と1970年代の日本, 河合優実は山口百恵の“再来”か?

(画像:映画『ナミビアの砂漠』Xより)

河合優実は、「なんとなくどこにもずっと属していないというか、所在ない感じ」がカナと自分の共通点だとインタビューで語っている(『GINZA』2024年9月24日付記事)。

そのこと自体は、「暗さ」に直結するわけではない。連ドラ初主演となった『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(NHK BS、2023年放送)も、家族がバラバラになりそうになるなか、家庭という居場所を作り直そうと孤軍奮闘する娘の話だった。

だが『あんのこと』の杏のように、居場所になるはずの家庭の決定的な崩壊、そしてコロナ禍による文字通りの孤立が重なるとき、時代が抱えた闇に取り込まれてしまうことが起こり得る。

令和の「暗さ」とは、そんな個人の漂流、それと表裏一体の生きる基盤の脆弱化がもたらす漠然と広がる暗さだ。その状況は、経済成長という共通の目標が失われながらもまだ社会に一体感が残っていた1970年代に比べ、逆により深刻だとも言える。

河合優実は山口百恵の“再来”か?

だから河合優実は山口百恵の“再来”なのかと問われれば、答えは「イエスでもありノーでもある」ということになるだろう。

2人が生きるそれぞれの時代の「暗さ」は、いまみたように同じものではない。

その点では、おのずと2人の表現者としてのありようは違ってくる。苦境に負けず打ち勝つ強さが山口百恵においては前面に出ていた。それに対し、河合優実においては、出口の見えない状況に翻弄されながら、それでも生きようとする姿が切なくも愛おしい。

とはいえ、ともに時代が抱え込んだ「暗さ」をドラマ・映画や歌のなかで具現する類いまれな資質と才能を持つという点では、明らかに共通点がある。

単に容貌や雰囲気が似ているだけにとどまらない“暗い時代”の体現者という意味で、河合優実が山口百恵の本質的な意味での後継者であるのは間違いないだろう。