浅野忠信さんの母・順子さん(74)が明かす、人生を変えた「60代の恋」 離婚、介護を経て…「一緒にいられるのは10年。楽しいことをいっぱいしようねって」

 ドラマ「SHOGUN 将軍」でゴールデングローブ賞助演男優賞(テレビドラマ部門)を受賞し、国際派俳優として注目される浅野忠信(51)。その長女のSUMIRE(29)、長男のHIMI(25)もモデルやシンガーソングライターとして活躍中。そんな一家の面々を陰で支えてきたのが、浅野忠信の母、浅野順子さん(74)だ。

 順子さんは、戦後、日本に駐留していたアメリカ人調理兵の父と元芸者の母の間に生まれ、1960年代、山口小夜子やキャシー中島も所属し、横浜・本牧のディスコで華やかに遊ぶことで知られていた美少女グループ「クレオパトラ党」の一員だった。さらに、60歳を過ぎて出会った恋人に才能を見出され、画家デビューしたという特異な経歴を持つ。

 彼女と同時代を生きてきた畏友、ミュージシャンの近田春夫さん(74)を聞き手に迎え、稀代の女傑の半生を彼女のアトリエで掘り下げる。

43歳で離婚、母とともに上京を決意, 40代で付き合い始めた彼の人柄, 古着屋の手伝いにバー経営…秒刻みの忙しさの日々, 48歳、ふと思い立ってマンションを出る, 60歳の時に訪れた、人生を変える出会い, 「ご連絡してもいいですか」電話番号を聞くと…, 「いくらでも描けちゃった」創作意欲が湧き上がるように, 付き合い始めて10年後、やってきた別れ

こぼれんばかりの笑顔で思い出を語る浅野順子さん。

43歳で離婚、母とともに上京を決意

近田 43歳の時に、順子さんはそれまでに築いた家を出ることになったわけだよね。

浅野 そう。家に籠って、ただ愚痴をこぼしてるだけの人生は嫌だなあと思ってね。そして、家族と別れ、母親と一緒に東京に引っ越したのよ。

近田 東京じゃ、まずどこに住んだの?

浅野 恵比寿。住所でいうと渋谷区東。西野バレエ団のメンバーも住むようなお洒落なマンションだったのよ。

近田 西野バレエ団には、由美かおる、金井克子、奈美悦子らが所属してたよね。彼女たちは、「レ・ガールズ」というグループを組んで活動してたっけ。

浅野 そうそう、懐かしい(笑)。そのマンション、庭にはウグイスも飛んでくるような素敵な場所で、六角形の畳の部屋なんかがあったのを覚えてる。そして、同じタイミングで、とある男性とパートナー関係を結び、同居することになった。

近田 どんな人だったの?

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右から浅野順子さんと、聞き手の近田春夫さん。壁にかかる絵画は順子さん自身の作品。二人が知り合ったのは十数年前。順子さんの親友がオーナーを務める「サリーズ・バー」がホテルで開いたパーティーのチークタイムで一緒に踊ったのが最初の出会い。

浅野 年齢は私の2歳上で、色が真っ黒なサーファーだった。

近田 じゃあ、順子さんもサーフィンやったの?

浅野 まあ、始めたのが40代初めだから、あんまり上達はしなかったけどね。

近田 俺、サーフィンは一度だけやったことがあるんだけど、これは無理だと思ってすぐにあきらめたよ(笑)。

浅野 サーフィン自体への興味というより、彼と一緒にやりたいという動機の方が大きかったから。でも、スノーボードは結構上手くできたのよ。

近田 へえ。ちなみに、その彼の仕事は?

40代で付き合い始めた彼の人柄

浅野 ずーっと古着屋をやってて、その後、アパレルのブランドを立ち上げて成功してたの。だいぶ羽振りがよくってね。80年代、DCブランドって、ずいぶん流行ったでしょ。

近田 はいはい。Dはデザイナーズ、Cはキャラクターズを意味するんだよね。その人と再婚しようとは思わなかったわけ?

浅野 彼には別居している奥さんがいたのよ。私も離婚した後だったし、結婚したいとは思わなかったわね。母親には「順子、あの人と付き合うのは、お母さん、あんまり賛成できないわね」って反対されてた。

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当時の順子さん。(本人提供)

近田 そういう風に異議を唱えられた時、順子さんは反発するわけ?

浅野 いや、実は私も内心、不安なところはあって、母がそう言うのももっともだなあと思ってたのよ。とにかく、女にだらしない人だったからさ。

近田 そのことは、最初から知ってたの?

浅野 横浜に住んでた時から、私も参加したフリーマーケットなんかの機会に知り合ってて、そんな噂は聞いてたから。でも、それほどじゃないだろうと思ってた。

近田 ところが、予想に反して、相当女出入りが激しかったってことね(笑)。

古着屋の手伝いにバー経営…秒刻みの忙しさの日々

浅野 彼との毎日は、とにかく秒刻みの忙しさだった。その人は、何十軒も店を持ってたんだけど、毎日、朝からそれらを一軒一軒回るわけ。私は、運転手として同行してたから、一日中動き回ってたのよ。

近田 結構なハードスケジュールだねえ。

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当時、パートナーが営んでいた店では、順子さん自らがリメイクを施した古着も扱っていた。

浅野 さらには、アメリカとかイタリアとか、海外にもしょっちゅう買い付けに行ってたからね。彼は、古着の仕入れに赴いたロサンゼルスから帰ってきたその足で、スポーツジムに直行しちゃうような人だった。

近田 それだけエネルギッシュだからこそ、成功を収めたんだろうね。

浅野 その傍ら、私は、下北沢でバーを始めたのよ。

近田 彼に負けず劣らず活動的だよ。場所はどこ?

浅野 鈴なり横丁の向かいにあった小さな公園の隣だった。店の名前は「ベベ」。フランス語で赤ちゃんっていう意味ね。そこは流行ったのよ。お客さんが中に入りきらない時は、外にまで溢れて飲んだりもしててさ。結構有名なミュージシャンも来てくれて、店の前でギター弾いてたこともあったよ。

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順子さんならではのあまりにもユニークなセンスが光るリメイク。

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ヴィンテージブーツのペインティングに、後年、画家へと転身する才能の萌芽を見る。

近田 バーをやってたっていうけど、順子さんって、下戸なんじゃなかった?

浅野 そうなのよ。だけど、カウンターの内側に入ると、なぜか飲めちゃうの(笑)。

近田 不思議だねえ(笑)。その彼との生活は、いつまで続いたわけ?

48歳、ふと思い立ってマンションを出る

浅野 何しろ女癖が悪かったからさ、喧嘩が絶えなくなって、生活も乱れがちになっちゃって。そんな様子を、一緒に住んでる母に見せるのも嫌じゃない? だから、私が48歳の時のある日、ふと思い立って、恵比寿のマンションを出たの。

近田 突然決めたんだ。

浅野 そう。その人の若い舎弟に「悪いけど、あの人から引っ越し代もらってきて」って言って、黙って出て行っちゃった。

近田 彼氏と別れて、彼氏とやっていた仕事も辞めて。その後はどうしてたの?

浅野 その頃、母がちょっと具合を悪くしてたのよ。恵比寿にいた時に、肺炎を患って入院しちゃって、渋谷の新居に引っ越してからは、もう車椅子に乗っていた。その後は寝たきりで、入浴の際は、私が抱きながらお風呂に入れてたし。

近田 お母さんの介護は、何年ぐらい続いたの?

浅野 3、4年。93歳の時に亡くなったから、私の50代前半は、介護にかかりっきりだった印象がある。

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順子さんのアトリエを擁するマンションは、都心にありながら、緑に恵まれた環境に立地する。

60歳の時に訪れた、人生を変える出会い

近田 そして、60歳の時に、順子さんの画家としての才能を開花させる運命の男性との出会いが訪れたわけだよね。

浅野 ええ。私は、その頃すでに、素人ながらちょっとした絵を描いたりしてて、アーティストの知人と一緒に、アトリエを探してたのね。そしたら、ナポレオン党のメンバーだった人が、山梨にある別荘を貸してくれるっていうの。

近田 ここで解説を挟んどくと、ナポレオン党ってのは、60年代の横浜で派手に遊んでた若者男性グループのことね。その女性版が、順子さんたちが所属していたクレオパトラ党。しかし、横浜の不良は年を取っても仲がいいねえ(笑)。

浅野 とってもお洒落なその別荘を、年3万円という破格の値段で借りられることになった。ある日、そこに行ってみたら、一冊の美術雑誌が置いてある。めくってみると、一人の芸術家の作品の特集されていて、印象的な作品がたくさん登場してたんだけど、その終わりに掲載されてたその人の顔写真を見て、一目惚れしちゃった。

近田 作風うんぬんより、顔から入ったのね(笑)。

浅野 顔っていうより、雰囲気が素敵だったの。

近田 どんな雰囲気なの?

浅野 ベンチの端の方に座って、一人でタバコ吸ってるだけでも絵になる人。何て言うの、パリの街角にでもいそうな空気感を漂わせてるのよ。

近田 その前の、日焼けしたサーファーとは正反対のタイプだよね(笑)。

「ご連絡してもいいですか」電話番号を聞くと…

浅野 共同でアトリエを借りたアーティストの知人によれば、その雑誌は、別荘を訪れたその芸術家本人が置いていったものだという。じゃあ、今度機会があったら、ぜひ私にも会わせてほしいと頼んだのよ。

近田 そのチャンスは訪れたの?

浅野 ある日、美味しいお刺身が手に入ったからって、みんなにその別荘に集まってもらったんだけど、その場に、例の彼を呼んでもらったのよ。

近田 実物を目にした感想は?

浅野 カッコよかったわよ(笑)。宴会がお開きになった時に握手して、「ご連絡してもいいですか」って電話番号を聞いて、すぐに電話しちゃった。

近田 積極的だねえ。

浅野 私、生まれてこの方、自分から男性の電話番号を聞くことなんかなかったのに、その人だけは例外。電話して、「お知り合いになりたいんですけど」って言ったら、そこから付き合いが始まっちゃった。

近田 その芸術家の彼は、何歳だったの。

浅野 私の3歳下だから、当時は57歳。かつては結婚もしてたんだけどね。

近田 当時、彼はどこに住んでたの。

浅野 山梨を拠点に、制作に励んでたのよ。聞けば、若い頃はロンドンで行われたヨウジヤマモトのショーにも作品を提供したことがあるらしい。デヴィッド・ボウイとも食卓を囲んだことがあるぐらいで、今でも海外での評価は高いんだって。

近田 そりゃすごいね。

浅野 知り合った頃には、子ども4人ももう大きくなってたから、「東京に出てくればいいじゃん」と誘って、ここに呼んじゃった。

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順子さんに抱かれている愛犬はビスケット。普段はビーちゃんと呼ばれて可愛がられている。

近田 一緒に暮らしてみた感想は?

浅野 とにかく物静かだし、言葉を荒立てることがない。「馬鹿野郎」みたいな乱暴なセリフは、彼の口から一度も聞いたことがない。何か不満を感じても、「どうして君はそうなの?」って優しく問うようなタイプなのよ。それに対し、私はうわーって言っちゃう方だから。

近田 まあ、全然キャラクターが違うよね(笑)。

浅野 だから、本当に大変な時もあったよ。壁に向かって黙りこくって、1週間口も利いてくれないこともあったし。その辺は、芸術家気質なのよね。その一方、少年みたいなところもあった。

近田 表現者としての順子さんが、彼から受けた影響というと?

浅野 彼と出会ってからは、大きな絵を描くようになった。「君は、大きな絵を描いて、力いっぱい自分を表に出した方がいいよ」というアドバイスをくれて。

近田 それまでの順子さんの作風からは変わったの?

浅野 うん。以前は、スケッチブックに細かーい絵を描いてる程度だったから。

「いくらでも描けちゃった」創作意欲が湧き上がるように

近田 彼と順子さん、性格はだいぶ違うけど、作風に共通点はあった?

浅野 やっぱり、作風も全然異なるのよ。その人が絶対描かないような絵を、私は描くから。例えば、画材に関しても、私はこだわりがない。赤い絵の具がなかったら、代わりに紅生姜の汁を使っちゃうぐらいだから。

近田 斬新だね(笑)。

浅野 私は美大みたいなところで教育を受けてないから、どうしてもこうじゃなきゃいけないというルールを知らない。でも、彼は美大を出てるし、学校で美術を教えていた経験もあるから、私みたいな冒険はしそうでしないわけ。

近田 なまじアカデミックな素養があると、それに縛られることはあるよね。

浅野 私と付き合い出してから、彼は変わったみたい。息子さんは、「順子さんと出会ってから、それまでほとんど白黒の絵ばかり描いていた父が、色を使うようになった」って言ってた。

近田 じゃあ、むしろ順子さんの方が、彼に影響を与えてたってことだね。

浅野 そして、彼に勧められて、私も個展を開くようになったのよ。初めての個展は、63歳の時。会場は、神田のギャラリー兼バーみたいなところ。正直、私なんかが個展を開いていいものかどうか、疑問だったけど。

近田 もちろん、そこでは絵を売ったんでしょ。

浅野 売ったよ。

近田 最初から売れた?

浅野 売れた。私の絵、売れるのよ。悪いんだけど。

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浅野順子さんの作品。

近田 いやいや、何も悪くないよ(笑)。その場合、一点一点に値付けをするわけじゃん。自分で値段を決めるものなの?

浅野 とても自分じゃ付けられない。「いいよいいよ、持ってっていいよ」って、タダであげちゃいそうになるもの。そのたび、「ダメ!」って注意されちゃうのよ(笑)。

近田 じゃあ、誰が決めてたわけ?

浅野 当時は、私のパートナーが決めてた。今は、キュレーター兼マネージャーを買って出てくれる若い男の子が見つかったから、その子に頼んじゃってる。

近田 それなら安心だね。

浅野 パートナーだった芸術家の彼は、「君の絵は何で売れるんだろうね。絵なんて、そんなに簡単に売れるものじゃないんだよ」って首をひねってたけど(笑)。

近田 どのぐらいのペースで個展を開いてたの?

浅野 最初の頃は、年に2、3回やってた。

近田 すごい頻度だね。創作意欲のマグマがついに爆発したって感じだよ。

浅野 いくらでも描けちゃったのよ。

近田 しかしさあ、60歳と57歳のカップルの間に生じたそのケミストリーには、ただひたすら驚くしかないよ。

付き合い始めて10年後、やってきた別れ

浅野 彼との共同生活が始まった頃、私はこんなことを言ったのよ。「お互いこんな齢だから、一緒に暮らすのは、あと10年かな」って。相手は、「じゃあ、10年間、楽しいことをいっぱいしようね」だって。

近田 微笑ましいね(笑)。

浅野 そしたら、実際、9年目を迎えたあたりで、お互いをめぐる境遇が変化したのよ。彼の孫が山梨で生まれたり、そして地元に自分のギャラリーみたいなものを作ったりとかさ。私も私で身の回りにいろいろとあって。

近田 確かに、60代後半って、何かと選択を迫られる年頃ではあるよね。

浅野 それで、関係を解消し、彼は帰郷することになった。「君が山梨に来るのは無理かな?」と聞かれたけど、「たぶん無理だと思う」と答えた。

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知人の歯科医から譲られたコーンスネークの「さゆり」。このアトリエに来て19年が経つというから、順子さんと芸術家との出会いから別れまでを見つめてきたことになる。

近田 それで、別れちゃったんだ。

浅野 それがまさに10年目。でも、いがみ合って離れたわけじゃないから。円満円満。「僕が引っ越しても、いつも君のそばにいると思ってね」と言われたぐらいで。

近田 その後、会ったりはしてないの?

浅野 下手に会っちゃって、また惚れちゃうといけないもの。素敵な人だからさ。

近田 うわーっ、最っ高の誉め言葉だね。俺も一度言われてみたいもんだよ(笑)。

浅野 ズルズル引きずるのは嫌なのよ。一切連絡も取ってない。その代わり、心の中で、「元気でいてね」って祈ってる。

近田 何だか、いい別れ方だよね。

浅野 私、長く付き合った人とは、誰とも喧嘩して別れてないのよ。その時その時の事情があって別れてる。縁があってくっついてるんだからさ。

〈次回に続く〉

浅野順子(あさの・じゅんこ)

1950年横浜市出身。ゴーゴーダンサー、モデルなどを経て結婚し、ミュージシャンのKUJUN、俳優の浅野忠信の2児を儲ける。ブティックやバーの経営に携わった後、独学で絵画を描き始め、2013年、63歳にして初の個展を開催。その後、画家として創作を続ける。ファッションアイコンとしても注目を浴び、現在は、さまざまなブランドのモデルとしても再び活動を繰り広げている。

近田春夫(ちかだ・はるお)

1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、宮台真司との共著『聖と俗 対話による宮台真司クロニクル』(KKベストセラーズ)。

 6/6発売のCREA2025年夏号「1冊まるごと人生相談」特集に浅野順子さん×近田春夫さんが登場! 発売を記念してお二人のトークイベントも開催します。

画家・モデル 浅野順子さん×音楽家 近田春夫さん「いろいろあって70代」

会場:代官山 蔦屋書店シェアラウンジ イベントスペース(Zoom配信あり)

日時:7月4日(金)19:00~20:30

料金:リアル・オンライン参加券1,650円

詳細:代官山 蔦屋書店イベント告知HP

https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/47628-1731320530.html

お申込みは以下の専用応募フォームより

https://eventmanager-plus.jp/get/2ffbab53eca652789424fcbad4a3189850ad604974491a9d80cb9aca6d1b4f28

チケットのお問い合わせ:代官山 蔦屋書店 [email protected]

その他のお問い合わせ:株式会社文藝春秋 宣伝プロモーション局 プロモーション部 [email protected]

■浅野順子さん×近田春夫さんへのお悩みを募集!

イベント当日は、皆さんのお悩みに浅野さんと近田さんが答える「人生相談」も予定しています。6月23日(月)18時までに、CREA編集部 [email protected] 宛に(件名を「浅野順子×近田春夫お悩み相談」に)、お名前(ペンネーム可)とともにお送りください。当日、会場にてご回答いただく予定です。

※限られた時間のため、すべてにお答えいただくことはできません。