《本日最終回》11年ぶりの3作目も大絶賛…なぜ『最後から二番目の恋』シリーズはハマり続けるのか? タイトルに見る“秀逸さ”とは

「恋」って聞くと、どんなイメージが浮かびますか?  胸のときめき、甘酸っぱい思い出、それとも情熱的な関係性でしょうか。でも、もしその「恋」が、もっと広くて深くて、一筋縄ではいかないものだとしたら?

 古都・鎌倉を舞台に、独身のテレビ局プロデューサー・吉野千明(小泉今日子)と、鎌倉市役所職員・長倉和平(中井貴一)を中心に描かれるドラマ『最後から二番目の恋』シリーズは、まさにそんな問いを私たちに投げかけます。

「相手によく見られたい」という気負いと無縁の関係, タイトルの「最後から二番目」という言葉の秀逸さ, 「負け犬」世代の3人の「今」に、胸が熱くなる, あゆが歌う主題歌にあふれる、“圧倒的肯定感”

『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ)公式HPより

「相手によく見られたい」という気負いと無縁の関係

 前作から11年が経ち、『続・続・最後から二番目の恋』となってもなお多くの視聴者の心を掴んで離さないこの作品の魅力、それはタイトルにも掲げられた「恋」という言葉の奥深さにあるのかもしれません。

 私たちはとかく「恋」を恋愛のカテゴリーに押し込めがちですが、このドラマで描かれる千明と和平の関係性、そして彼らを取り巻く人々の生き様を見ていると、その「恋」は、友情、家族愛、はたまた人生そのものへの慈しみ、とさまざまな形に姿を変えて私たちに語りかけてきます。

 都会の喧騒から逃れるように鎌倉に古民家を買った千明と、その隣人である生粋の鎌倉っ子・和平。二人の出会いは、お世辞にもロマンティックとは程遠いものでした。最初は価値観の違いから衝突ばかりだった彼ら。最悪な出会いからの惹かれ合い、これぞラブコメの王道フォーマット……と思いきや、今や丁々発止の言葉の応酬はまるで夫婦漫才! 二人の恋愛は、近づきそうで近づかない、絶妙な「付かず離れず」の距離感を保ち続けます。

 むしろ彼らの関係性は、お互いの生活にズカズカと踏み込み、遠慮なく本音をぶつけ合い、時には相手の弱さや過去の傷にも容赦なく触れながら、その根底に不思議な信頼感と安心感を育んでいく、という独特の道を辿るのです。

 若い頃の恋愛にありがちな「相手によく見られたい」という気負いや、「こうあるべき」という理想像に縛られる息苦しさはここにはありません。互いに素の自分をさらけ出し、ダメな部分も笑い飛ばし合える関係は、人生の長い道を共に歩む上で、何よりも代えがたい安らぎと強さを与えてくれるものです。まさに恋愛という言葉だけでは表現しきれない、より成熟した人間同士の深い結びつきが、そこにはあります。

 長倉家の縁側や食卓は、彼らにとって重要なコミュニケーションの場。仕事の愚痴、健康の悩み、家族の問題、そして人生の虚しさといった、決して華やかではないけれど誰もが抱えるリアルな話題が、ユーモアたっぷりに交わされます。

 千明が和平の淹れたまずいコーヒーを飲みながら悪態をつき、和平が千明の奔放な言動に呆れながらも的を射た助言をする。そんな日常の積み重ねの中で、「心地良い距離感」が生まれていく様子は、見ている私たちも思わずクスリと笑ってしまうほど。閉ざされた関係ではなく、そこに他のメンバーが加わることで、さらに豊かな交流が生まれているのも、このドラマの魅力ですよね。そう、もはやホームコメディなのです。

タイトルの「最後から二番目」という言葉の秀逸さ

 タイトルにある「最後から二番目」という言葉は、本当に秀逸です。なぜ「最後の恋」ではなく、「最後から二番目」なのか。

 人生の折り返し地点を過ぎ、あるいは終盤に差し掛かっていると感じる年齢になっても、もっと先の未来でも新しい出会いや、心が動かされる出来事が待っているかもしれない。そんな「いや、まだ私いけるでしょ!」という、諦めとは無縁の前向きな心持ちが「最後から二番目」という言葉には託されています。

 千明も和平も、そして他の登場人物たちも、年齢を重ねる中でさまざまな経験をし、傷つき、時には人生に倦怠感を覚えることもあります。白髪が増えたり、老眼になったり、体力の衰えを感じたりといった「あるある」な現実にも直面します。

 しかし、彼らはそれをただ嘆くのではなく、むしろユーモラスに受け止め、それでもなお「まだ何か面白いことがあるんじゃないか」「まだ誰かと心を通わせることができるんじゃないか」と、心のどこかで信じているんです。

「相手によく見られたい」という気負いと無縁の関係, タイトルの「最後から二番目」という言葉の秀逸さ, 「負け犬」世代の3人の「今」に、胸が熱くなる, あゆが歌う主題歌にあふれる、“圧倒的肯定感”

長倉和平を演じる中井貴一 ©Aflo

 この「終わらない期待」は、若い頃に感じていた未来への無限の可能性とは少し違います。それは、人生の限りを意識し始めた大人だからこそ抱く、より切実で、味わい深い希望と言えるでしょう。

 本作が描く「恋」の対象は、必ずしも異性に向けられたものというメッセージは含みません。万理子(内田有紀)が千明に抱く感情からも、それは明らかです。

 むしろ恋愛感情以上の広がりすら感じられます。このドラマが描く「恋」とは、特定の人に対する感情だけでなく、自分が身を置く場所、過ごす時間、そして自分自身の人生そのものに対する肯定的な眼差しや、深い愛着をも含んでいるように思えます。

 それは日常の些細なことに感動したり、新しいことに挑戦したり、誰かのために何かをしたいと思ったりするような、人生を豊かに彩るあらゆる「ときめき」や「情熱」を失いたくないという思い。

 脚本家である岡田惠和さんの作品には、こうした人間の根源的なエネルギーや、生きることそのものへの賛歌が一貫して流れていますが、『最後から二番目の恋』シリーズもまた、そのテーマを色濃く反映しています。

 今作のキャッチコピー「いくつになっても、未来に恋していたい。」は、まさにそれを象徴しているようです。アラカンを超えても、何かに夢中になったり、深く惹かれたりする未来はあり続ける、そんな力強いメッセージが伝わってきます。

「負け犬」世代の3人の「今」に、胸が熱くなる

 岡田惠和作品好きとしては、「女性たちの友情物語」としても本作を語らずにはいられません! 『おひさま』『ひよっこ』『それでも恋する』『日曜の夜ぐらいは…』など、岡田脚本は「女の友情なんて当てにならない」という刷り込みを、心地よく上書きしてくれる点が魅力です。

 だからこそ、千明、万理子、典子(飯島直子)の3人のやり取り、そして千明、啓子(森口博子)、祥子(渡辺真起子)の“大人女子会”トークも本作の見どころの一つ。日本版『セックス・アンド・ザ・シティ』であるともいえるほど、会話のテンポがいいんです(実際に千明が元カレにポストイットで別れを告げられたエピソードは、『SATC』シーズン6「弱気な男のポストイット」のキャリーとまったく同じ展開。千明は「地でヒロインをやってしまう“おもしれー女”なんです!)。

「相手によく見られたい」という気負いと無縁の関係, タイトルの「最後から二番目」という言葉の秀逸さ, 「負け犬」世代の3人の「今」に、胸が熱くなる, あゆが歌う主題歌にあふれる、“圧倒的肯定感”

吉野千明を演じる小泉今日子 ©杉山拓也/文藝春秋

 独身女性と既婚子持ち女性、さまざまな女性の生きづらさも描かれており、それぞれの悩みを明るく描いている点にも、強く『SATC』イズムを感じます。特に毎話しっかりシーンとして入れてくれている独身トリオの飲み会の小気味よさは最高! 人生の苦楽を共にし、互いの人生を尊重し合いながら、心の支えとなる「同志」であり、「大人の友情」の理想形に思えます。

 きっとこれまでいろいろなことがあったでしょう。「未婚、子ナシ、30代以上」の女性を自虐的に「負け犬」と呼んで大ヒットしたエッセイ『負け犬の遠吠え』が出版されて22年。千明や独身仲間の啓子、祥子らは、まさに働き盛りのときに「負け犬」呼ばわりされた世代でもあります。

 男性優位社会、恋愛・結婚至上主義の世の中で、3人ともあらゆることを言われてきたはず。それを乗り越え、よくぞよくぞシーズン3までたどり着いてくれました! 人生を仮に勝ち負けで表現するとしても、社会的な地位の上下は「普通に結婚して子どもがいる=勝ち」では決まらない。今はそう胸を張って言ってもいい時代ですよね。

 さらに年齢とキャリアを重ねてパワー(影響力や決定権)を持った3人。それは本当に努力の賜物で、すばらしいことです。しかし、パワーがあるからこその悩みや苦しみもある。それらを抱えながらも、上に立つ者として日々アップデートしようとする姿勢は、本当に尊敬に値します。社会の中でそれぞれが一人で戦いながらも、この集まりで羽をそっと休めているのだと思うと、一層胸に迫るものがあります。

あゆが歌う主題歌にあふれる、“圧倒的肯定感”

 3シーズンすべての主題歌を務める浜崎あゆみが今回の曲につけたタイトルは「mimosa」でした。ミモザは、感謝や友情の花言葉を持つ花であると同時に、3月8日の「国際女性デー」(女性の社会参加と地位向上を訴える日)の象徴でもある花。自身の人生と重ねつつも、現代社会を生きるすべての女性たちへのエールとしてもこの曲は響いてきます。

 感情の記憶装置といえるヒットソングをたくさん発表してきたあゆが、聴く人の人生とともに歳を重ねてきた今「ひとつだけ昔の自分にかけてあげられるとしたら、どんな言葉にしますか?」という粋な問いを歌詞として投げかける。 

 これはもう、大人たちの人生と感情が織りなすドラマに捧げられた思いであるだけでなく、視聴者への「ねぇ、あなたはどう?」という問いかけでもあるのです。そして2番にはこんな歌詞が。

「人を心の底から信じるだなんて/何かに本気で人生賭けるだなんて/今の時代にまるで合ってないことはさぁ/わかっているんだけどそれでもねぇ/やっていくんだよ/だって此処が君の居る世界なんだから」

 変化の激しい世の中だけど、自分のいる世界で諦めずに生きていくという強い決意が伝わってきます。あゆ自身の答えでもあるかもしれないし、ドラマの登場人物の答えであるかもしれない。そして、日々の選択を積み重ねながら生きている私たちの答えになるかもしれない。人生の答え合わせなんてまだする必要はないけれど、ドラマや主題歌を通して、「うん、私の人生、これでよかったんだ!」と、そう思いたくなります。

「相手によく見られたい」という気負いと無縁の関係, タイトルの「最後から二番目」という言葉の秀逸さ, 「負け犬」世代の3人の「今」に、胸が熱くなる, あゆが歌う主題歌にあふれる、“圧倒的肯定感”

小泉今日子 ©平松市聖/文藝春秋

 ドラマを観終わった後、私たちはきっと、自分の日常や、周りにいる人々、そして自分自身の人生が、ほんの少しだけ愛おしく思えるような、温かな肯定感に包まれるのではないでしょうか。この作品は、まさに人生のベテラン勢たちによって、「恋」という言葉を借りて綴られた、私たちの不器用で愛おしい人生への、優しくも力強い、とびきりの賛歌なのです!

 最終回を迎えても、今後も『続・続・続・』と、終わらない物語をどうか続けてください!