高田馬場駅前はなぜ「不法占拠」されたのか? 西武鉄道が50年以上「黙認」――そんな土地が排除される令和現実、違法性を超えた社会的実態とは

高田馬場「不法占拠」の実態

 東京・高田馬場駅前の飲食店が「不法占拠」とされ、解体工事が始まったことで話題となっている。解体されているのは、高田馬場駅前の寿司店(昼は立ち食いそば店)などが含まれる一角だ。これらの店舗は長年営業を続けてきたが、「不法占拠だったとは知らなかった」と驚きの声があがっている。

【画像】「えぇぇぇ!」 これが1947年頃の「高田馬場駅前」です! 画像で見る(計16枚)

 2000年代以降、都心部の再開発の進展にともない、戦後の混乱期にできた「街の怪しげなエリア」や店舗の解体事例が増えている。こうした場所は法的には「不法」状態でありながら、社会的には長らく黙認されてきた。しかし、契約関係を重視する現代社会では、これが許容されなくなった。

 それでも、なぜ長年続いた人気店が今になって不法とされ、排除されるに至ったのか。その背景にある社会の変化について考察する。

戦後闇市の経済的役割

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フリート横田『新宿をつくった男 戦後闇市の王・尾津喜之助と昭和裏面史』(画像:毎日新聞出版)

 不法占拠とは、正当な権利や許可なく他人の土地や建物を占有・使用する行為を指す。法律上の所有者や管理者の承諾なしに無断で場所を占めることは違法である。そのため、不法占拠された建物や土地は、法的措置により撤去や明け渡しが求められるのが一般的だ。では、この不法占拠の容認はどのように形成されたのか。

 太平洋戦争後の物資不足のなか、生活必需品や食料を供給するために、全国各地で「闇市」と呼ばれる非公式市場が自然発生的に生まれた。新宿駅東口の「新宿マーケット」はその代表例である。

 1945年8月20日、的屋系暴力団の関東尾津組が新宿駅前の瓦礫地に市場を開設した。組長の尾津喜之助は、軍需工場の半製品を活用した商品の生産を促し、警察の一時利用許可を得て葦簀張りのバラック市場を築いた。新宿マーケットは東京の闇市の嚆矢となり、その後、新宿南口の和田マーケット(約400軒)、西口の民衆市場(約1600軒)、東口の野原マーケットなどが続々と誕生。これらは国電の主要駅を中心に全都に急速に広がった。

 土地の所有権や契約による正規の許可はなかったが、終戦からわずか5日後に警察当局が営業許可を出している。当時、占拠の合法・不法は所有権ではなく、必要性に基づいて判断された。

 高田馬場でも、資料は限られるが同様に不法占拠による闇市が存在していたと推察される。国会図書館所蔵の1985年発行文集『酒仙往来 : のんべえ大学の三十年』には、高田馬場駅前の飲み屋の常連客による記録がある。そこには、この飲み屋が

「高田馬場駅前の不法占拠した闇屋マーケット」

にあったと記されている。掲載された地図からは、現在の駅西口広場付近と推定される。都電が走っていた早稲田通りを挟み、闇市は広範囲に広がっていたことがうかがえる。こうした環境のなか、今回撤去対象となった土地は長期間にわたり存続してきた。

50年以上続く黙認の実態

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高田馬場(画像:OpenStreetMap)

 登記簿によると、この土地は戦前から一貫して西武鉄道が所有している(一部は新宿区が公衆用道路として取得しているため、建物は西武鉄道と新宿区所有地にまたがっている)。

 しかし、西武鉄道は長らく土地所有者としての権利を主張せず、実質的に占拠状態を黙認していた。象徴的なのは、西武鉄道による所有権保存の登記が2013(平成25)年12月にようやく行われたことである。それ以前は形式的な登記記録の整備すらなされていなかった。さらに興味深いのは、

「1960(昭和35)年」

に第三者が西武鉄道の土地に無許可で木造二階建ての建物を新築し、個人名義で正式に建物登記を行っていた事実だ。実際には数件の建物が存在したが、建物登記があったのはひとつだけである。通常なら所有者が異議を唱えるはずだが、西武鉄道は50年以上これを容認し続けていた。

 この長期にわたる実質的な黙認こそ、占拠状態を定着させた最大の要因である。不法とされる空間が、事実上の秩序と経済活動の場として公然と存在し続けた構造的背景を物語っている。

 鉄道会社にとって、この土地は鉄道事業とは無関係な余剰地に過ぎなかった。活用にも排除にも手間をかける動機がなかったのだ。一方、自治体にとっても、営業中の店舗を無理に排除する理由は乏しかった。苦情がなければ黙認で済ませた方が楽だったのである。

 筆者(昼間たかし、ルポライター)が各地で闇市の名残のエリアを調査する際、区役所を訪ねると

「あそこは難しいんですよ」

といったコメントを今でもよく聞く。かつては、こうした意識が今よりも濃厚で、現場では「問題をつくらないこと」が最優先だったのだ。

固定資産税と黙認構造

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地価上昇のイメージ(画像:写真AC)

 さらに状況を複雑にしていたのは、一部の建物に登記がなされ、固定資産税も支払われていた可能性が高い点である。固定資産税とは、土地や建物、償却資産などの固定資産を所有している者に対して課される地方税のひとつである。毎年1月1日時点の所有者に対して課税され、課税額は資産の評価額に基づいて算出される。つまり、土地の占拠自体は不法でも、

「税務上は行政に認知された存在」

だった可能性がある。このことが問題の先送りを招き、黙認を正当化する空気を強めていた。このグレーな状態に終止符を打ったのが、

・地価上昇

・再開発構想

だ。高田馬場の土地価格は、2022年の調査で過去10年間に49.4%上昇している。こうしたなか、新宿区は2018年に「高田馬場駅周辺地区まちづくり構想案」を策定し、2022年には「高田馬場駅周辺まちづくり方針」を策定。大規模な再開発を計画している。それに先立ち、周辺ではビルの建て替えも進んだ。かつての学生街の泥臭い雰囲気は薄れ、21世紀型の駅前へと変容しつつある。

 加えて、鉄道会社の経営方針の変化も黙認を許さなくなった。現在、多くの鉄道会社と同様に、西武グループも保有不動産の有効活用を経営の柱としている。

 こうした状況下で、賃料ゼロの不法店舗はもはや見逃せない存在となった。地価の高騰と不動産戦略の明確化により、法の狭間にあった占拠状態も

「資産価値を毀損する非効率な利用」

として再定義される。不法は単なる法令違反にとどまらず、経済的合理性を欠く状態と捉えられている。

 狭く不整形な土地が即収益を生むとは限らない。それでも現代では、土地を眠らせること自体が経営上のマイナスと見なされる時代となった。

駅前闇市の集客力戦略

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闇市のイメージ(画像:写真AC)

 都市の中心部、特に駅前の高アクセス性エリアに居座る行為は、戦後の混乱期に移動時間と費用を最小化する手段だった。高田馬場駅前の不法占拠店舗も、駅チカという立地が最大の強みであり、利用者はその利便性を享受してきた。

 闇市は交通インフラの利便性にただ乗りし、アクセス優位性で集客するビジネスモデルだった。新宿駅周辺でも終戦から1949(昭和24)年までに複数の闇市が駅から徒歩1分圏内に集中して誕生している。

 結局、不法占拠は都市における移動格差の裏返しである。資金がなければ駅から遠い場所しか借りられない。しかし駅から遠ければ客は来ない。正規市場で高価な駅前一等地を、非公式な手段で利用することで零細事業者が都市中心部で商売する「抜け道」として機能していたのだ。

 つまり、闇市による不法占拠は戦後混乱期特有の

「制度の隙間」

を突いた生存戦略である。都市空間の争奪は合法・違法の対立ではなく、資金はないがよい立地で商売したい庶民の切実な願いが生んだ現象だったのである。

経済優先の都市政策変遷

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三原橋交差点(画像:OpesStreetMap)

 昭和から平成初期の都市では、合法性よりも経済の流通性が優先されていた。新宿や渋谷の闇市では、不法占拠者を追い出すのではなく、権利を認めてビルや地下街のテナントに入居させる形で整理が進んだ。高田馬場駅前の不法占拠が長年放置されてきたのも同様の理由である。

 この時代、自治体は法的厳格性よりも雇用創出と経済活動の継続を重視していた。典型例が銀座の三原橋地下街だ。1951(昭和26)年の開設時は観光案内所の設置を掲げていたが、実際には飲み屋やパチンコ屋が入居する又貸し状態が続いた。この違法状態は2014(平成26)年の閉鎖まで63年間も放置された。違法であっても地域経済への貢献が優先された実用主義的判断だったのである。

 しかし、社会の変化が黙認構造を根本から変えた。西武鉄道の経営方針も変化した。多くの鉄道会社と同様、運賃収入よりも保有不動産の有効活用を経営の柱とする時代になった。前述のとおり、土地は単なる物理的空間から、収益最大化を目指す金融資産として再定義された。

昭和風情を惜しむ声多数

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昭和の風情イメージ(画像:写真AC)

 高田馬場駅前の不法占拠店舗が長期間存続した背景には、消費者の積極的な選択があった。利用者がこれら店舗を支持した理由は以下のとおりだ。

 駅近の利便性、正規施設では得られない至近距離。安価なサービス、立ち食いそばや格安飲食の提供。ローカル感、昭和の風情や下町的な親近感。特に駅近く、通勤通学動線に近い立地が重要だった。

 消費者の継続的な利用によって、占拠は法的な違法性を超え、市場に裏付けられた事業としての実態を持つに至った。

 今回の取り壊しに対する世間の反応は興味深い。不法占拠の法的批判よりも、「昭和の風情ある店がなくなって残念」という惜しむ声の方が多い。これは消費者がこれらの店舗を日常生活の一部として受け入れてきた証左である。

 結果として、単なる違法是正ではなく、長年築かれた地域経済とコミュニティの解体として受け止められている点にも留意すべきだ。

非効率零細店の都市活力論

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高田馬場(画像:写真AC)

 結局、長年続いた店舗群が排除されたのは、違法だからではなく、経済的価値が生じたためだと考えられる。

 これまで、狭く不整形な土地は十分な建物を建てられず、役立たないとして放置されていた。しかし近年の都市開発では、大資本がこうした小さな余白の活用に積極的になっている。その中で、不法占拠は許されないという正論が急に強調されるようになった。つまり、違法だから排除されたのではなく、利益を生むために排除されたのだ。法的正当性は後付けの理由に過ぎず、真の理由は経済合理性である。

 しかし、不法占拠の問題があるとしても、これで本当によいのだろうか。すべてを効率化し、隙間なく最適化された都市は、一見合理的に見える。しかし、新しいものが生まれる余地は乏しい。

 立ち食いそば屋や学生向けの安い飲み屋、地域密着の個人商店など、大資本から見れば非効率な零細商店こそが、都市に活力と多様性をもたらしてきた。整備された街は確かに美しいが、そこには偶然の出会いも思いがけない発見もない。消費を最大化するためだけに整備された街に、本当の活力は生まれにくいのである。