蝶野正洋、ドイツ人の妻と結婚34年も夫婦円満のワケ「60代になった今の妻が、いちばんきれいだと思っています」

■アメリカ生まれ渋谷育ち 末っ子で甘えん坊だった, ■20歳でプロレスの世界へ 海外武者修行で運命の出会い, ■「女性はこうあるべき」日本の感覚を押し付けていた, ■夫婦はパートナー 家事でもタッグを組んで

 昨年、プロレスラーとしてデビュー40周年を迎えた蝶野正洋さん。クールな黒のサングラス姿でリングに現れ、豪快な技を繰り出すその姿に憧れた人も多いことでしょう。私生活では1991年に結婚したドイツ人の奥様との間に、19歳の息子さんと16歳の娘さんがいる蝶野さんに、ご自身の生い立ちや奥様とのなれそめ、夫婦円満の秘訣を聞きました。※前編<プロレスラー・蝶野正洋がシニア世代に伝えたい、夫婦“共家事”のススメ 「ゴミ出しと愛犬のお世話が俺の担当です」>から続く

■アメリカ生まれ渋谷育ち 末っ子で甘えん坊だった

――蝶野さんは、アメリカで生まれだとお聞きしました。

 生まれたのは、ワシントン州のシアトルです。親父は会社員だったのですが、英語が堪能で、当時はアメリカで駐在員をしていたんです。その後帰国して、小学校時代は渋谷に住んでいました。渋谷と聞くと、おぼっちゃまだと思われるかもしれませんが、当時の家は社宅。うちはごく普通のサラリーマン家庭でした。

――ご両親にはどのように育てられましたか?

 6歳上に兄、4歳上に姉がいる末っ子なので、あまりうるさいことは言われませんでした。俺自身は、かなり甘えん坊だったと思います。

 両親はどちらも愛媛県の出身です。母はお嬢さん育ちで優しい人、親父は仕事熱心なサラリーマンでしたが、若いころは硬派の不良、いわゆるバンカラだったそうです。高校時代にけんかをしたときも、親父に「どっちが先に手を出したんだ」と聞かれて、「俺が先にやった」と答えたら、「それならいい」と。誰かのけんかに金魚のフンみたいについて行くのはダメだけど、自分で決めたけんかならばいいと言うんです。今なら考えられないことですよね(笑)。 

■20歳でプロレスの世界へ 海外武者修行で運命の出会い

――ドイツ人の奥様とは、結婚34年だそうですね。なれそめを教えてください。

 妻とは24歳のときに、遠征先のドイツで出会いました。20歳のときに新日本プロレスに入門した3年後、「武者修行してこい」と、片道切符で海外に放り出されたんです。

 武者修行中はヨーロッパをあちこち移動しながら試合をするんですが、その中で訪れた街の一つが、ドイツのブレーメンでした。一緒に巡業をしていたイギリス人選手の後援会が食事会を開くというので行ってみたらそこに妻がいて「素敵な人だなぁ」と。

 その後は妻の職場に尋ねていったり花束を贈ったり、かなりアプローチしましたよ。デートの誘いは2回目でOKしてくれて、ショットバーをはしごしました。俺は酒が弱いので、3軒目でつぶれましたけど(笑)。でも数週間後には次の巡業地のアメリカに移動してしまったので、もう会うこともないのかな……と思っていたら、なんと彼女がアメリカに飛んで来たんです。

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――蝶野さんを追っていらしたんですね。

 そうなんです。妻は「あなたを追いかけたんじゃなく、バカンスで行っただけ」って言いますけど(笑)、その行動力を目の当たりにして、俺もますます本気で向き合いたいと思いました。

 アメリカ巡業中はプロモーターが倒産するトラブルもあって、お金もありませんでしたし、トライアウトのために3000キロの道のりを運転して、カナダに行ったこともあります。妻も俺も若かったとは言え、本当によく頑張りましたよ。毎日一緒にいたので、たくさんけんかもしましたけどね。その後、またヨーロッパに移って巡業をしている間も、毎日のようにキャンピングカーの中で言い合いをしていたので「蝶野の車は、いつも揺れている」と仲間のレスラーにからかわれたほどです。

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■「女性はこうあるべき」日本の感覚を押し付けていた

――当時はどのようなことでけんかをしていたのでしょうか?  

 帰りが遅いとか休みが短いとか、些細なことです。妻はドイツでホテルの経営やホスピタリティの勉強をしていて、俺と出会ったときも仕事をしながら自立した生活を送っていました。それが俺と結婚したことで、自分で稼ぐことも、自由な時間を持つこともできなくなった。自立心の強い女性ですから、俺を待つだけの毎日はつらかったと思いますよ。俺は俺で、当時は「女性はこうあるべきだ」「妻はこうあるべきだ」という日本人の価値観を押し付けていた。

――そういった違いも乗り越えて、結婚されたんですね。

 結婚したのは、出会いから4年後の1991年です。ものすごく気は強いんですが、かわいいところもあるし、誰にでも親切で、困っている人には迷わず手を差し伸べる。そういうところに惹かれました。

 もう一つ、彼女に惹かれた理由は、差別のない心です。当時のヨーロッパにはアジア系の人に対する偏見があって、俺自身、人種差別的な扱いを受けたり、彼女も俺と一緒にいることで「何であの女性はアジア人なんかと一緒にいるんだ?」という目で見られたりしていました。でも妻はそんなこと気にする様子は見せませんでしたね。結婚も周囲からは猛反対されたそうですが、それを押し切って俺のところに来てくれましたし、俺も「何があっても、最後まで彼女を大切しよう」と心を決めることができました。俺にとって妻は、家族以外で初めて自分の本性をさらけ出した特別な女性。60代になった今の妻が、いちばんきれいだと思っています。

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■夫婦はパートナー 家事でもタッグを組んで

――夫婦の強い絆を感じるエピソードですね。

 妻と結婚して思ったのは、夫婦がいい関係を築く上で、言葉は案外重要じゃないということです。妻は子どもたちとは日本語で話していますが、夫婦の会話は基本的に英語。俺の英語は相変わらずつたなくて、そこにところどころ日本語が混じるから、周りの人からは「何をしゃべってるのかわからない」って言われますが、俺たちはしっかり通じ合っています。言葉はカタコトでも、表情や行動を見れば、相手の言いたいことはわかるんですよ。結婚したばかりのころは、ドイツ人と日本人はまったく違うと思っていましたが、今はドイツ人も日本人も結局は同じ人間で、根本的な部分はそんなに変わらないと思っています。

――最後に、読者にメッセージをお願いします。

 夫婦はパートナーであり、仲間です。家事も子育ても、夫婦でタッグを組んでやるのが当然だし、その方が断然スムーズ。多くの人たちに、そのことに気づいてほしいですね。

 自分は4年前に腰の手術をして、その後車椅子生活も経験しました。最近、ようやく動けるようになって来たら、「あそこの電気、切れてるから買いにいかなきゃ」とか「ここのゴミをあとで片付けよう」といった気持ちが自然に出て来るんですよ。「何で俺がやらなきゃいけないんだ」と思っていた家事が、いつのまにか自分の生活の一部になるなんて、30年前は想像もしませんでした。共家事を続けていくためには、夫婦ともども健康であることが大前提。これからも妻と助け合いながら、年を重ねていきたいです。

■アメリカ生まれ渋谷育ち 末っ子で甘えん坊だった, ■20歳でプロレスの世界へ 海外武者修行で運命の出会い, ■「女性はこうあるべき」日本の感覚を押し付けていた, ■夫婦はパートナー 家事でもタッグを組んで

(構成/木下昌子)

○蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)/1963年生まれ、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ。高校卒業後、浪人中だった1984年に新日本プロレスに入門し、同年プロデビューを果たす。1987年からは、海外武者修行としてヨーロッパやアメリカ各地を転戦。武藤敬司、橋本真也とともに結成した「闘魂三銃士」として人気を博すとともに、 IWGPタッグ王座、NWA世界ヘビー級王座など数々のタイトルを獲得。現在は自身のYouTubeチャンネル「蝶野正洋チャンネル」での動画投稿や、妻と共に立ち上げたファッションブランド運営と活動の場を広げるとともに、夫婦で家事を協力して行う「共家事」の推進にも取り組んでいる。