“美しすぎる”ふたりのレーサーが、60年前のカブで世界に挑戦する理由「4年前まで免許も持ってなかった」
美しさに年齢制限はない。そして、挑戦にも限界はない。“元・美魔女コンテスト”ファイナリストと、“モデルもこなす三刀流ドライバー”が目指すのは、60年前のスーパーカブを使った世界最速。「美魔女」「美しすぎるレーシングドライバー」という言葉を、ただの称号ではなく、“生き様”に変えた2人の女たちが、ハンドルを握る理由を語った。

黒木伴井(右)&塚本ナナミ(左)
ただ、「世界最速」を目指す――。チューンナップした二輪や四輪からソーラーカーまで、あらゆるマシンが年に一度、世界中から集結する伝説のイベント「ボンネビル・スピードウィーク」が米ユタ州のボンネビル塩湖で開催された。だが、その過酷さは並大抵ではない。気温50℃に迫る酷暑、滑りやすい塩の路面はドライバーを消耗させ、標高1300mの薄い空気はエンジンに大きな負荷となる。今年、この大会の最小排気量カテゴリーに、黒木伴井、塚本ナナミの2人の美女レーサーが初参戦した。しかも、駆るマシンは、日本の50㏄バイク・スーパーカブ。なぜ、彼女たちはタフなレースに挑むのか。渡米直前、秘めた思いを聞いた。
──カブで世界記録に挑む黒木さんですが、そもそもなぜプロレーサーを目指したのですか?
黒木:正直、レーサーを目指していたわけじゃ全然ないんです。つい最近まで、高速も走ったことがなかったくらいで。4年前、たまたま入ったお店で見かけたヘルメットに一目惚れしちゃって。“かぶる宝石”といわれるRubyのヘルメットで、試着した瞬間、「これをかぶってバイクに乗りたい!」って、免許も持ってないのに即買いしちゃいました(苦笑)。その後、ソッコーで合宿免許に行ったんです。
塚本:その後、ソッコーでバイクを新車で買ったんだよね。
黒木:Rubyに一目惚れして、気がついたらバイクに乗っていた(笑)。
──今回、サポートに回る塚本さんは、なぜプロレーサーに?
塚本:中学生の頃はクルマって人と荷物をのせてナンボと思ってたから、2人しか乗れないスポーツカーの意味がわからなかった。でも、免許を取って、たまたま訪れたゴーカートのサーキットでモータースポーツに触れて、やりたいことも夢もなかった私が、カートに没頭することで非日常的なワクワクを感じられたんです。今ではモータースポーツは生きがいですね。
◆“美魔女レーサー”が、世界記録に挑む理由

4人の孫がいるおばあちゃんでも、世界に挑戦できる(黒木)
──黒木さんは国民的美魔女コンテストのファイナリスト、塚本さんもレースデビュー直後からモデルとしても活躍し、“美しすぎるレーシングドライバー”として注目を集めていました。
黒木:当時、娘が初の出産を控えていて、「私もおばあちゃんとして頑張らなきゃ!」って思い、コンテストに応募しました。43歳だったけど、いいカラダでしたよ(笑)。というのも、当時ボディメイクのインストラクターをしていたので。49歳でバイクに乗り始めたのも、「おばあちゃんだって、やりたいことをやっていい!」って思ったから。孫が4人に増えた今も、ボンネビルに向けて毎日筋トレしてます。
塚本:美しさのために鍛える筋肉と、モータースポーツで使う筋肉は違うので大変だよね。
黒木:そうそう。でも、世界最速のためなら苦にならない。
塚本:私がモデルを始めたのは、スポンサーさんの要望から。クルマ関連の商品をPRするなら、私をモデルに起用したほうが訴求できるし、経費の節約にもなる。ただ、女性ドライバーでモデルをしているのは私くらいで、「芸能人になりたいの?」と、よく嫌みを言われました。

チームLSAの1963年製ホンダ・スーパーカブC100

スーパーチャージャー搭載など、60年前の日本の技術と現在のエンジニアの力が結集したマシンで挑む
黒木:昔のモータースポーツ界は男社会だから……。
塚本:うん。ただ、ドライバーってヘルメットをかぶり、レーシングスーツ(ツナギ)を着ているので、男か女かもわからない(笑)。汗でメイクは落ちるし、髪も短いほうがラク。でも、それではドライバーとして埋没してしまうし、観戦した女のコの憧れにはなれない。もともと表現するのが得意だし、「美」もその手段の一つ。私という存在を知ってもらえれば、クルマ業界への恩返しになりますから。
──そんな美貌を持つ2人が、なぜ過酷なボンネビルに初挑戦しようと思ったのですか?
黒木:実は、今年挑戦するとは考えてなかった。昨年、米国に遊びにいったとき、たまたま近くで開催中だったボンネビルを観戦してその多様性に魅了されました。ドライバーは18歳以上なら、基本、誰でも参加できて、大手自動車メーカーからモンスターマシンのガレージビルダーまで、プロからアマまで何でもあり! おばあちゃんのライダーが毎年参加していて、「年齢なんて関係ない。私も走りたい!」って。そんな思いをあちこちで口にしていたら、女性ライダーが記録に挑むことに意義を見いだしていたチームLSAが受け入れてくれたんです。
塚本:縁だよね。私の場合も、活動を応援してくれている知人が、「女性ライダーのプロジェクトがあるから、やってみなよ!」と、LSAと繋げてくれました。
◆レース、ドリフト、ラリーの“三刀流”

女性ドライバーとして、世界に名を刻むのが目標です(塚本)
──塚本さんは複数の競技に参戦する稀有な存在と聞きます。
塚本:20歳すぎでレースにプロデビューしたのと同時にドリフト競技も始めましたが、「タイヤを滑らせるか、滑らせないか、どっちかにしろ!」と先輩から怒られたし、デビュー5年で世界屈指の高速コースのニュルブルクで走ったときは、周囲から「死ぬぞ!」と反対されました。でも、チャンスをもらったらチャレンジするのが私のポリシー。今ではラリーにも参戦して、“三刀流”ドライバーなんて呼ばれてます。デビュー当時、女性ドライバーがほとんどおらず、独自の挑戦が必要だったし、いつの間にか“三刀流”になっていた。すべての挑戦は、女性ドライバーとして世界に名を刻むという目標のため。ボンネビルは格好の舞台ですね。
黒木:今回、ボンネビルで勝つには、平均90~95㎞/hで安定して真っすぐ走ることが重要。平均74.84㎞/hで走れたら、私たちが挑む最小排気量のカテゴリーで世界一になれます。
塚本:その程度のスピードで世界最速?と思われがちですが、実はかなりタフなんです。
黒木:そう。ボンネビル・スピードウィークでは、5マイル=約8㎞のコース(カテゴリーにより異なる)を往路と復路の2回走った平均時速が記録になる。瞬間的にいくら速くても意味はないんです。このルールは非常に過酷で、’19年の大会では参加した420台超のうち、ほとんどがエンジンブローや転倒でリタイアしたほどでした。

260㎢の広大な塩の大地で毎年開催されるボンネビル・スピードウィークでは、多種多彩なバイク、四輪が過酷な環境下で世界一のスピードを追い求める
──世界的に著名なボンネビルですが、残念なことに日本での知名度が高いとは言えません。
塚本:’23年に米国のドリフト大会に一人で遠征して痛感したのは、日本のモータースポーツにはエンターテインメントが足りないということ。海外ではパートナーや家族と出かけて、土曜のレースを観戦後、日曜はキャンプしたり、それぞれのスタイルで楽しんでます。
黒木:確かに。米国では83歳のおばあちゃんがレースに出ていて驚いたけれど、彼女がレースを引退すると翌年には旦那さまが参加した(笑)。市民マラソンに毎年家族で参加するように、海外ではモータースポーツは身近なんですよ。
塚本:ところが、日本では、真剣に観戦しなきゃいけないような空気がある。モータースポーツが一部のマニアックなファンだけのものになっていて、新たなファンは入りづらい。これでは日本のモータースポーツの発展は望めません。
◆60年前のカブで、世界に挑戦する意味
──モンスターマシンが参戦するなか、なぜスーパーカブでボンネビルに挑むのですか? ひと昔前はそば屋の出前や郵便配達する姿をよく見かけた日常使いの原付きバイクですよね。
黒木:最近は、EVになっちゃいましたね。あのカブはチームのファウンダーの上坂文一さんのおじいちゃんのものなんです。
塚本:ちょうど上坂さんがカブを引き継いだ頃、排ガス規制をクリアするのが困難という理由で、日本の50ccバイクの生産終了が決まり、かなりムカついたみたい(苦笑)。
黒木:そうそう(苦笑)。でも上坂さんが言うように、60年前のプロダクトでも整備すれば使えるし、修理しながら大事に長くモノを使うのは世界に誇れる日本の文化。ボンネビルへの挑戦は、日本の優れたモノ作りの技術を世界に発信するためでもあるんです。60年前のカブが、最先端のEVより速く走ったらカッコいいじゃないですか。
塚本:近年、日本は元気がないけれど、メイド・イン・ジャパンの価値が失われたわけじゃない。米国では、日本風の名前をつけて他の国のクルマのパーツを売る業者が結構いたし、他の多くの業種で同様のことが起きている。悔しいですよね。来年、私は三菱の軽自動車でボンネビルに挑みます。マッチョなクルマで参戦する米国人から見ればオモチャみたいなものだけど、世界が注目するボンネビルで結果を出せば、メイド・イン・ジャパンの凄さを発信できる。
【Tomoe Kuroki】
1972年、千葉県生まれ。幼少期から龍生派いけばなを学び、フラワーデコレーターとして多数の生け込みを手がける。’15年、国民的美魔女コンテスト(光文社『美ST』主催)で、1800人中18人のファイナリストに選出。49歳でオートバイと出合い、普通二輪免許を取得
【Nanami Tsukamoto】
ブラジル・サンパウロ市生まれ。プロレーサー。’13年、四輪でデビュー後、ドリフト競技、ラリーの”三刀流”を実践。モデルとしても活動。’15年の映画『新劇場版 頭文字D』プロモーションアンバサダー、ゲーム「ドリフトスピリッツ」のキャラクターなど多岐に活躍
取材・文/齊藤武宏 撮影/八尋研吾 写真/チームLSA