肉離れでも木に登り、ケガ人背負って3時間山を駆け…丹沢で1300人以上救ったスーパー救助隊員に迫る
<山にまつわるエトセトラ⑫>山の日スペシャル㊤丹沢の守り人
きょう8月11日は「山の日」。「山に親しみ、山の恩恵に感謝する機会を設ける」趣旨で、2016年から設けられた国民の祝日です。
お盆休みを間近に控え(もう連休に入っている人もいるかも)、登山にハイキング、沢登りやキャンプなど、アウトドアレジャーを楽しみにしている人も多いでしょう。
山の日スペシャルとして、関東で人気の丹沢山系で30年近く登山者の安全を守り、時に悲劇にも遭遇しながら山と共に生きる、山岳救助隊の相田一己さん(59)にじっくりお話を伺いました。神奈川県警でただ1人の山岳救助特別技能指導官であり、普段は西丹沢を管轄する松田警察署三保(みほ)駐在所(山北町)に勤務するおまわりさんでもあります。

30年近く、丹沢の安全を守ってきた相田指導官=7月10日、神奈川・山北町の三保駐在所で
お盆の丹沢といえば1999年8月14日、玄倉(くろくら)川の中州でキャンプをしていた18人が雨で増水した川に流され、うち13人が亡くなるという大きな水難事故がありました。その様子はテレビで生中継されたこともあり、中高年以上の読者は覚えている人が多いかも知れません。
相田さんは当時、三保勤務になり山岳救助に関わるようになって4年目。玄倉川の現場で救助活動にも当たりました。その経験も含め、山と関わる半生を振り返り、山を愛する皆さんへのメッセージをいただきました。
ロングインタビューは2回に分け、まずは神奈川随一のスーパー救助隊員、相田さんの素顔に迫ります。(竹村和佳子)
相田一己(あいだ・かずみ) 1965年8月17日、横浜市戸塚区生まれ。1884年に神奈川県警に採用され、第二機動隊レンジャー隊、新東京国際空港警備隊、松田警察署刑事課などを経て、1996年から松田警察署地域課三保駐在所に勤務。2008年、県警初の山岳救助プロフェッショナルリーダーに指定され、2015年に山岳救助特別技能指導官となる。

26年前の水難事故現場を指さし、当時の状況を説明する相田指導官。この日、川原では子どもたちが遊んでいた=7月10日、玄倉川河川敷で
山の日スペシャル㊦玄倉川水難事件はこちら
お盆の丹沢で18人が濁流にのまれ13人が死亡した玄倉川水難事故 26年前の現場で救助隊員が見たものは
◆管内に400本以上ある沢を1本ずつ訪ね歩いて
西丹沢の登山拠点、ビジターセンターに向かう時に横切る大きな湖が丹沢湖。その畔にある三保駐在所に伺った。
入ってすぐ、目についたのは壁に掛かった大きな地図。「西丹沢頂稜河川土地名称図」というタイトルで、びっしりと細い線が張り巡らされている。丹沢湖以北に広がる山々と河川の地図で、しかも小さなピークや沢の名前までが記入されている。

相田指導官が12年かけて歩いて確認し、手書きで作った山北町内の川や沢の地図=松田警察署三保駐在所で
こんな地図見たことない。登山地図でもここまで細かい情報は書き込まれていない。ボーッと魅入っていると「これね、全部自分で行って調べて作った地図なんですよ。手書きでね」。
驚いて更に近づいて見ると、確かに手書きだ。二度びっくりした。沢登りや渓流釣りの愛好家に人気の丹沢。沢が多いとは聞いていたが、これほどとは。聞くと400本以上あるという。
1996年に着任してから沢も1本ずつ現地に赴き、地図に載っていない名前は村の古老を訪ね歩いて聞いた。全て調べ終え地図が完成するまで12年間かかったという。交番に配属された警察官は、自分が受け持つ地区の「管内図」を作るものなのだというが、これは広すぎるだろう…しかもほぼ山岳地帯。三たび驚いた。
◆山の生活で鍛えた強靱な肉体「山に生かされてきた」
地図ができた後も、若手の救助隊員らとあちこちを歩いているらしい。年に2回ある県全体の救助隊合同訓練も、様々に場所を移して行う。
「一番大事なのは、遭難者の所へ最短でアクセスすること。道がなくてもそこへ行けないとダメなので、パトロールをかねて場所を覚えさせている。山が崩れたり、川の水位が変わったりもするので見ていないと」

駐在所の向かいに広がる丹沢湖=7月10日、神奈川県山北町の三保駐在所前で
30年近く山岳救助活動をしてきただけあって、さすが。丹沢を知り尽くしている。
どの山が好きかと聞いたら、「山の生活は好きだけど、山登り自体が好きなわけじゃない」という謎めいた答えが返ってきた。
子どもの頃、きこりだった祖父から山菜やキノコの採り方、魚釣りを教わり、山や川で遊ぶことが好きだった。また、昔の実家は薪風呂で、角材を運んでは薪を割るのが日課だった。そうした子ども時代からの「山の生活」が、自然に体幹を鍛え、パワーを付け、山岳救助隊で長く働いてきた体の基盤になっているのだろう。
「この年まで大きなケガなく命をつないでこられた。山に生かされていると感じる」と、半生を振り返った。
◆787回の現場に出動、1313人を救助し、110人は残念ながら…
これまでの大きなケガを聞くと「肉離れ」という。意外に軽症だなと思ったら、内容が想像の斜め上だった。
若い頃、檜岳(ひのきだっか)でパラグライダーが墜落した現場にヘリコプターで臨場。崖の上に張り出した高さ30メートルほどの木の上に、要救助者は引っかかっていた。ヘリで近づこうとすると風でパラシュートがあおられ危険なため、近づけられない。
相田さんはヘリを降りて駆け寄ろうとした瞬間、ふくらはぎを肉離れしたが、すぐさまテーピングしただけで木に登り、無事救出したという。「腕だけで木に登るのはさすがに大変だった。ちょっと恐怖だった」
いくつかの救助シーンの資料も見せてもらった。意外に真っ暗な夜の写真が多い。通報があってから人員と機材をそろえて急行するため、深夜帯の活動になることも少なくないという。

駐在所の裏に隣接する、山岳救助隊の詰め所。過酷な現場で活動するため、トレーニング器具や、登攀器具、アイゼンやピッケルのような冬山装備など、救助に必要な道具も数多く保管されている=神奈川県山北町で
要救助者が足をケガしているだけなら、数人の隊員で代わる代わる背負って下山する。若い頃は交代要員がおらず、一人で3時間ほどかけ、檜洞丸(ひのきぼらまる)の山頂から下山したこともあった。
ただ、けが人が滑落などで頭や背中を打って動けない状態なら、そうはいかない。ボート型のストレッチャーに患者を固定し、複数隊員でストレッチャーごと慎重に運ばなければいけない。ロープで確保しながら岩場を上げ下げするとなれば、時間もかかり、明け方になったことも。
比較的温暖な神奈川県とは言え、丹沢は標高1000メートル以上の山も多い。凍結した雪山での作業もある。相田さんは過酷な救助現場で長年活動してきて、これまで787回の現場に出動、1313人を救助し、なかには110人の死亡案件にも関わった。神奈川県下で随一の経験を誇る山のスペシャリストだ。
◆志願して丹沢の懐へ…でも、翌年技術不足を痛感
長野や富山などの山岳県では、常設で訓練を積む専門チームがあり、山岳部の学生などが初めから救助隊を目指して警察に入ることも多い。
だが、多くの県はそうではない。神奈川県では秦野署や伊勢原署、相田さんが所属する松田署など山岳6署と呼ばれる地域に配属されると組み込まれ(強制ではないそうだが…)所属ごとに20人前後いる。普段は交番のおまわりさんとして通常業務をこなし、遭難案件が起これば招集されて山に入る。
相田さん自身は成田空港警備や刑事課を経た後、「山の技術を生かしたい」と、広大な西丹沢を管轄する三保駐在所を希望し、30代前半だった1996年から勤務してきた。

バス通りに面して立つ三保駐在所。表には「登山計画書はあなたの生命を左右するザイルです」という標語がかかっている=神奈川県山北町で
その翌年、転機になった救助事案が起こった。
沢登りしていた男性2人組が梅雨で増水した激流に流され、一人が岩場で宙吊りに。もう一人は自力で下山して救助を求めて来たが、「当時の私の技術では現場に行き着くことができなかった」と相田さん。
結局遭難者の山岳会の仲間達が駆けつけ、ロープワークでルートを切り開いたことで、宙吊りのまま亡くなった遺体を下ろすことができたが「このままじゃダメだ。近代登山の救助技術を学ばなきゃいけない」と気付かされたのだという。
1998年には国立登山研修所に派遣され、警察庁が主催する全国研修に初めて参加。長野や富山県警、群馬県の谷川岳警備隊など山岳技術を持つ警察官やプロの山岳ガイドから、専門的な山岳救助技術を学んだ。
◆排除すべき精神主義的ヒロイズム、でも現場では
「安全管理が大事。ロープなどは1つが外れても大丈夫なように、全てにおいてバックアップ。また『精神主義的ヒロイズムの排除』ということもそこで学んだ。正義感だけで突き進んじゃいけない、しっかりした技術に裏打ちされてなければ現場に入る資格はない、と。隊員自身が安全でなければ、遭難者を助けることもできない」。そんな心構えも、目からウロコだったようだ。
命を預かる現場だけに、まず自分たちの安全も確保することが大事、ということなのだろう。私の中では、警察やその山岳救助隊などは体育会的マッチョ体質というか、自分たちを犠牲にしても、とか精神論ですべて解決しようとするようなイメージがあったが、どうもそうではないらしい。
そう、口にしてみると、相田さんは笑ってこんな実話もしてくれた。

過去に水難事故があった玄倉川の現場で話をする相田指導官=7月10日、神奈川県山北町で
沈んで何時間も経っているであろう遭難者を捜すために、冬の滝つぼに今すぐ飛び込んで捜索してくれと言われたり、救急車が来るまで40分間、溺死者に人工呼吸をし続けたりしたことも…。
「絶対おまわりさんが助けてくれるから、生きかえって」
「頼りになる隊長さんだから、絶対お父さんを連れて帰ってくれるよ」
そんな期待の言葉や、諦めきれない家族の熱視線を受け、現場では「ヒロイズム」を発揮せざるを得ない時もあるようだ。
全国研修で得たそれらの知識や技術は県内に持ちかえり、積極的に後輩達と共有してきた。2008年には県警初の山岳救助プロフェッショナルリーダーに就任。2015年には特別技能指導官となった。
◆「神奈川県にも山岳救助専門チームを」願い叶わず
30年近く、丹沢の安全のために奔走してきたが、心残りが一つある。長野や富山のような「山岳救助専門チーム」を神奈川県にも作りたいという夢を果たせないまま、17日に還暦を迎える。

パソコンを操作しデータを確認する相田指導官=7月10日、神奈川県山北町の三保駐在所で
「階級を上げてそれなりの立場になって…という方法もあったかもしれないが、出世したらここから離れることになるかもしれない。それよりは、現場での自分を見て、技術を継承したいと思ってくれる若手が集まってくれれば…と思ってやってきた。背中を追ってきてくれた人間は明らかにいる。それだけでも少しはプラスになったのでは」
現在、警察官の定年は63歳。「あと3年、できるだけのことはしたい」と、土日でも捜索活動で山に入らない日は、西丹沢ビジターセンター前に立ち、登山者に登山届けを出すよう声がけしたり、相談に乗ったりしている。
退官した後は?
「いつ連絡が来ても全件対応できるよう、ずっと駐在所にいて、(駐在所から100メートルほどにある)自宅で寝泊まりしたこともなかった。休日も手の届く範囲で渓流釣りとか…。退官後のビジョンなど全然考えてなかったけど、全国を放浪するのもいいかな」
◇
◆万一の時に生還率を高める「登山届」 入山前に提出を
夏のレジャーシーズン真っ盛り。相田さんも呼びかけているが、山に入るときは「登山届」を出すことが重要。だが、知らない人もいるようだ。救助した人のうち、約8割は届けを出していなかったという。
登山届は登山ルートと連絡先を書いて、登山口などのポストに入れる。最近はスマホアプリを通じ、ネットで提出することもできる。「個人情報なので嫌だ」という人もいるようだが、遭難しなければ、中身を見られることなく廃棄されるという。

西丹沢ビジターセンターに置かれている紙の登山届。ルートや連絡先などを記入し、登山ポストに入れると、遭難した場合捜索の手がかりになる。最近はスマホのアプリでも提出できる
提出するメリットは、万一遭難した時、見つけてもらいやすくなることだ。相田さんによれば、どこで遭難したかが分かっていれば、日没後、夜遅くでも現場に向かう。登山届があれば、ルート上はその日のうちに確認する。
だが、どの山に行ったか分からない、どのルートを通ったか分からない…という状態では、車の有無やバス、駅での聞き込みなど交通手段から入山ルートを割り出すのが先決で、なかなか捜索に入れないのだという。登山届の有無で「初動捜査」が変わり、ひいては自身の生還率にも関わるだろう。
相田さんは「長野など条例で提出を義務付けている県もあるが、神奈川はお願いレベル。強制はできないが、自身のためにも出しておいてもらえるとありがたい」と、呼びかけていた。

山岳救助現場の様子を説明する相田さん=7月10日、神奈川県山北町の三保駐在所で
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