フリッツ・ハーバー:数百万人を殺害し、数十億人を救った男

1919年、人類最大の難題の一つを解決した功績により、ドイツの化学者であるフリッツ・ハーバーがノーベル化学賞を受賞した時、科学界に大きな波紋が巻き起こった。ハーバーの研究は、今日40億人の命を支えていることは疑いようがないが、彼の功績は悲劇と論争によって損なわれている。
ハーバーがノーベル賞を受賞した時、多くの科学者が授賞式をボイコットした。2人のノーベル賞受賞者は抗議として自身の受賞を辞退し、ニューヨーク・タイムズ紙はハーバーを非難した。ハーバーは救世主と称賛される一方で、悪役として非難する人もいた。
歴史上、ハーバーほど現代世界に大きな影響を与えた人物はほとんどいない。では、なぜ彼はこれほどに物議を醸すのだろうか?クリックして、詳しく見てみよう。
歴史の始まり

フリッツ・ハーバーが人類を救うことに成功した理由を理解するには、まず人体の機能を理解することが重要である。しかし、最も重要なのは、私たち人間が生き残るために何が必要かを理解することである。
窒素の問題

窒素は、酸素、炭素、水素について人体で4番目に多い元素である。タンパク質、ヘモグロビン(血液中で酸素を運ぶ役割)、そしてDNAにとって不可欠な存在である。地球上のあらゆる生命にとって、窒素は必要不可欠である。
窒素消費量

人間は植物を摂取するか、植物を食べる動物を摂取することで窒素を摂取する。植物は土壌から窒素を得る。しかし、農家が同じ土地で植物を際限なく収穫し続けると、土壌の窒素は枯渇してしまう。
窒素欠乏

土壌に窒素が不足すると、植物は十分なクロロフィル(葉緑体に含まれる緑色色素)を生成できなくなり、成長が弱まり、害虫や病気にかかりやすくなる。農家にとって、この欠乏は飢餓、飢饉、そして社会不安に直接つながる。
農民にとっての救済としてのグアノ

グアノは主に海鳥の排泄物から得られ、最大20%の窒素を含み、かつては農業の救世主だった。インカ帝国は長らくグアノを不毛地帯の肥料として利用し、帝国の拡大をさせた。数世紀後、グアノは世界的な農業ブームの原動力となったが、その後に供給が危険なほど減少し始めた。
迫り来る大惨事

1898年、イギリスの化学者であるウィリアム・クルックスは、人類が大量飢餓に直面する危険に瀕していると警告した。人口増加が窒素供給を上回っているため、化学者が待機中の窒素を農業用に回収する方法を考案しない限り、数十年以内に飢餓が起こるとクルックスは予見した。
窒素のパラドックス

窒素は地球上の空気の78%を占めているが、実際にはアクセスできない形で存在している。それは、自然界で最も強い結合の一つで繋がれた2つの原子だ。それを分解するには莫大なエネルギーが必要であり、豊富に存在するにもかかわらず、ほとんどの生命にとって利用不可能な状態である。
窒素を分解する自然のプロセス

落雷と土壌細菌は、自然界で唯一、窒素結合を分解する大規模なメカニズムを提供している。どちらのプロセスも生態系に利用可能な窒素化合物を供給するが、その規模は世界の農業に必要な量を大きく下回っている。
初期の試み

1811年、ゲオルク・ヒルデブラントは、グアノに含まれる窒素含有化合物の一つであるアンモニアの生成を試みた。彼は数々の巧妙な実験を試みたが、どれも失敗に終わった。19世紀を通して、他の化学者たちも同様の試みを試したが、ことごとく失敗した。
フリッツ・ハーバーが登場

1904年、36歳で幼い子供を持つ学者フリッツ・ハーバーは、窒素問題に着目した。彼は先人たちとは異なり、極限の熱と圧力を組み合わせ、頑固な原子を分離させようとした。
化学の必要性

ハーバーは実験で触媒の使用も試みた。化学において、触媒とは化学反応を促進し、窒素原子間の結合を切断するのに実際に必要なエネルギー量を低減する物質のことである。
粘り強さと創意工夫

ハーバーは実験のために、極めて高い温度と圧力に耐えられる特殊な装置を製作した。彼は休むことなく実験を続けたが、電球会社のコンサルタントという立場から、実験に必要な希少な材料を入手できたという利点もあった。
触媒としてのオスミウム

ハーバーはコンサルティング中に、地球上で最も希少な金属の一つであるオスミウムを入手することに成功した。彼はそれが実験の触媒となるのではないかと考え、それを研究室に持ち込んだ。
決定的な実験

1909年3月、ハーバーはオスミウムのシートを圧力容器に入れ、200気圧、500℃(932°F)の圧力下で窒素と水素を混合した。この極限条件下で、窒素原子間の強力な三重結合がついに切断され、窒素と水素が反応するようになった。
最初の測定可能な成功

ガス混合物全体のうち、約6%がアンモニアに変換された。反応が冷却されると、液体アンモニアが一滴凝縮し、細い管を通ってビーカーに滴り落ちた。この瞬間は、近代史における最も重要な科学的ブレイクスルーの一つとなった。
プロセスの商業化

ドイツ最大の化学会社BASF、ハーバーの発券を工業化した。1913年までに、オッパウの工場は1日5トンのアンモニアを生産し、肥料に転用した。ハーバー法は農業に革命をもたらした。窒素肥料を使用することで、農業は同じ土地で4倍の食料を生産できるようになったのだ。
数十億人の人々に食料を提供する

農業の隆盛により、地球の人口は現在の4倍に増加した。実は、あなたの命もハーバーの発明のおかげである可能性は十分にあるのだ。なんと、あなたの体内の窒素原子の約半分はハーバー法によって生成されている。
富と認知

ハーバーは裕福で著名な人物となった。カイザー・ヴィルヘルム研究所の初代所長に任命され、アルベルト・アインシュタインやマックス・プランクといった錚々たる面々と交流し、ドイツでもとも著名な科学者の一人として名声を博した。しかし、ハーバーが社会でこれほど高い評価を得ていたのに、なぜノーベル賞授賞式は同僚たちから敬遠されたのだろうか?
戦争中の暗い転機

第一次世界大戦が始まると、ハーバーは軍務に志願した。平和主義者のアインシュタインとは異なり、彼は自らを愛国者と考えていたため、当初は肥料製造のために考案されたプロセスは爆薬製造へと転用された。
窒素の爆発的な側面

窒素原子間の結合力は、爆発物にも重要な役割を果たす。窒素原子間の結合が再形成されると、莫大なエネルギーが放出される。TNT(爆薬)、火薬、硝酸アンモニウムといった物質の破壊力は、二原子窒素の形成に由来している。
壊滅的な可能性

硝酸アンモニウムが肥料と爆発物という二重の用途を持つことは、現代において悲劇的な事例として実証されている。例えば、2020年にレバノンのベイルート市で発生した爆発事故は、貯蔵されていた約3,000トンの肥料が発火および爆発し、数百人が死亡、数千人が負傷した。
もう一つの爆発事故

もう一つの肥料に関連した爆発事故は、1921年9月21日に発生した。ハーバーの方法が最初に実践されたオッパウ工場で爆発が起こり、約600人の命が失われた。
ハーバーの工場は焦点を転換

当局は実現不可能だと疑っていたものの、ハーバーは肥料工場を第一次世界大戦用の爆薬生産に転換することを強く主張した。彼の粘り強さが実を結び、ハーバー法はドイツの軍事力の中核を担うことになった。
化学兵器の追求

ハーバーは化学が戦争を短縮できると信じていた。1914年12月に化学兵器実験を目撃した後、彼は低濃度でも致死性があり、空気より重いガスを生成して敵の塹壕に留まらせる方法を模索した。
塩素ガスの開発

ハーバーと彼のチームは、実験室で何か月もかけてこの兵器の開発に取り組み、最終的に塩素ガスにたどり着いた。職員のオットー・ハーン(写真)がこの新兵器に不安を表明した時、ハーバーは「この方法で戦争をより早く終結させることができれば、無数の人命が救われるだろう」と述べた。
最初のガス攻撃

1915年4月22日、ドイツはベルギーのイーペルに168トンの塩素ガスを放出した。緑の壁が連合軍の塹壕に流れ込み、兵士たちを窒息させた。5,000人以上の兵士が自らの肺液に溺れて命を落とし、新たな戦争の恐怖が解き放たれることとなった。
化学戦争の拡大

ハーバー研究所は化学兵器開発の中心地となり、1917年までに1,500人の研究者を雇用した。その中には、ガスマスク、毒素、殺虫剤の設計に携わる一流の科学者も含まれていた。これは、マンハッタン計画のような後の大規模な科学戦争計画の先駆けとなった。
毒ガスの犠牲者

戦争終結までに、化学兵器は10万人以上の兵士の命を奪った。決定的な勝利を収めることはできなかったものの、化学兵器は恐怖と苦しみという遺産を残し、世界の科学界におけるハーバーの評判に永久に傷跡を残した。
戦後の個人的な崩壊

ドイツの敗北はハーバーを壊滅させた。ハイパーインフレによってアンモニア特許で得た財産は消え去った。祖国を救おうと必死になった彼は、補償に充てるため、海水から金を抽出しようと試みたが、計画は失敗に終わった。
孤独な死

1934年、スイスのバーゼルのホテル滞在中に、ハーバーは心不全で亡くなった。彼は、肥料で数十億人の命を救ったと同時に、自らの選択に苦しめられながら化学戦争の先駆者となったという、矛盾した遺産を残した。
不吉な追記

第一次世界大戦後、ハーバーの研究所はシアン化物ベースの殺虫剤であるチクロンBを開発し、これが後にホロコーストやナチス強制収容所のガス室での大量虐殺の道具となった。
複雑な遺産

ハーバーの人生を振り返ると、彼を化学兵器開発の先駆者として悪役に仕立てることも、世界の半分の人々に食糧を供給するプロセスを発明した英雄として仕立てることも容易いことである。あるいは、彼は必然的な存在だったと見ることもできるだろう。結局のところ、これらの事実はいずれ他の誰かが発見することになるだろうから。
科学における諸刃の剣

科学技術は生活を飛躍的に向上させる一方で、同時に、私たち自身を破壊するためのより創造的な方法も生み出してきた。残る疑問はただ一つ。それは、どうすれば私たち自身を破壊することなく、自然に関する知識と支配力をさらに深めていくことができるのか、ということである。
出典:(Veritasium) (Britannica)