音楽家と教育者という二軸で活動 音楽の可能性を伝えるビジョナリー ヴァイオリニスト・廣津留すみれ

ヴァイオリニスト、廣津留すみれ。2歳で始めたヴァイオリンはもちろん、大学教員からテレビのコメンテーターまで──。幅広い活躍の背景には、学生の頃から国境やジャンルを超えて積んできた多様な経験がある。音楽家と教育者というふたつの軸で、次世代への貢献を考えている。
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「やはり成功体験じゃないかな。お客様が大勢いる場で演奏できるというのは、普通の環境ではあり得ない。それって、これから続く人生においてとても重要なものになると思うんです」
2025年8月10日、鹿児島市内の川商ホールで行われた「第58回MBCユースオーケストラ定期演奏会」。第1ホールには1300人が詰めかけていた。
チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」が終わると、薄桃色の光沢あるドレスを身にまとった廣津留すみれ(ひろつる・32)が登場した。本公演の唯一のソリストだ。
演奏するのは、スペイン生まれのヴァイオリニスト、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。管弦楽伴奏付きのヴァイオリン独奏曲であり、劇的かつ哀愁に満ちた第1部、甘美で物憂げな第2部、情熱的でテンポの速い第3部で構成され、高度な技巧を駆使したパッセージや装飾音が非常に多い。ヴァイオリンという楽器の魅力を存分に引き出す名曲と言ってよいだろう。

タクトが振られ、印象的な冒頭の旋律が始まると、ホール全体の空気がピリリと震撼した。幼いころから大好きな曲で、弾いた回数は数百回というだけあり、正確無比なだけでなく、「ジプシーの旋律」というタイトルに相応しい情感がたっぷりとこもっている。
廣津留を囲むのは、あざやかなライトブルーの団服で正装した、小学4年生から満24歳までの市民だ。頬を紅潮させながら必死に廣津留の演奏に食らいついていく表情を見て、プロと演奏する機会は彼らのような若者に何をもたらすのか、と考えた。その答えのひとつが、冒頭の廣津留の言葉である。
約8分の演奏を終えた廣津留は、アンコール曲としてヨハン・セバスティアン・バッハの「無伴奏・ヴァイオリン・パルティータ 第3番」から「Gavotte en Rondeau(ロンド形式のガヴォット)」を弾いた。壮大なスケール感のある「ツィゴイネルワイゼン」から一転し、明るく華やかな旋律と楽しいリズムに体を揺らしていると、ふいに曲調が変わり、会場のあちこちからくすくすと愉快そうな笑いが起きる。鹿児島県民なら馴染みの深い「茶わんむしの歌」という曲らしい。
「ゲネプロのあと、主催者の方とアンコール曲を相談したとき、『鹿児島の皆さんが知っている曲はありますか』と尋ねたら、その方が歌ってくださったんです」

本番まで3時間。廣津留はバッハの曲にその歌を合体させて演奏することにした。
聞けば昨年、福岡で九州交響楽団と演奏した際は福岡ソフトバンクホークスのテーマ曲を、この5月に訪れた金沢では唱歌「故郷(ふるさと)」をアンコールで演奏したという。茶目っ気あふれたサービス精神旺盛なエンターテイナー。そうした一面も、廣津留の魅力だ。
■ライバルは亡くなった巨匠 高3の記憶はほとんどない
ヴァイオリニストの廣津留は現在、国際教養大学(以下AIU)特任准教授、成蹊大学客員准教授、大分市教育委員、文部科学省中央教育審議会委員、そしてテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」の金曜レギュラーコメンテーターを務めている。大きくまとめれば音楽、教育、メディアに携わっているわけだが、これには彼女の経歴が大きく関係していた。
生まれは1993年、大分県。母親は「オンラインで楽しく最速で英検合格!」を謳うディリーゴ英語教室の代表で、一人娘である廣津留は4歳で英検3級に合格している。母は「人生の考え方を教え導いてくれる、ガイドのような存在」とのことだ。

一方の父親は「自分より音楽に詳しく、ストレートな意見を言ってくれる身近な批評家」。生まれたときから家の音楽室には父親の集めたクラシック、ジャズ、ボサノバ、現代音楽、民族音楽と幅広いジャンルのレコードやCDが千枚近く並んでおり、家でも車でも音楽がずっと何かしら流れていた。
ヴァイオリンは2歳から。小学校卒業までは福岡、中学生からは自ら飛行機の予約をして東京までレッスンに通った。毎日2、3時間、コンクール直前は5、6時間の練習を続け、小5と中2のときには全日本学生音楽コンクールの九州大会で優勝している。まさに「歯磨き、ご飯、ヴァイオリン」の日々だった。
「子どものころから負けず嫌いなんですが、それは周りの人と比べてではなく、自分自身に負けたくないだけなんですね。ライバルは同級生ではなく、亡くなった巨匠みたいな(笑)。例えば“ヴァイオリニストの王”と称されるヤッシャ・ハイフェッツの弾く曲を聴いて、『これくらい上手くならないと通用しないんだ!』とひたすら練習していました。それがいまに結実しているのかなと思います」
高校1年生のとき、イタリアで開催されたオーディションで優勝し、副賞として翌年、カーネギーホールほかアメリカ国内4州を回る演奏ツアーを行った。その際にハーバード大学を見学し、進学先に求めていた「学業とヴァイオリンの両立」はここならできると確信。「高3のときの記憶はほとんどない」というほど必死に勉強し、見事合格した。
(文中敬称略)(文・堀香織)
※記事の続きはAERA 2025年9月15日号でご覧いただけます。