大石静が紡ぎ、阿部サダヲと松たか子が体現した「しあわせな結婚」 股関節と朝ごはんで“家族の真実”を表現

阿部サダヲ×松たか子主演の“マリッジ・サスペンス”「しあわせな結婚」(木曜夜9時、テレビ朝日系)が最終回を迎えた。阿部サダヲと松たか子という実力派俳優が織りなした“夫婦のサスペンス”は、ただの愛憎劇に留まらず、家族の真実や愛のかたちを問いかけ続けてきた。離婚・失踪・贋作・再婚という怒涛の展開を経て、「粘り強さに支えられた愛」というメッセージに収斂した。
* * *
■「股関節の女」論 身体性から読む夫婦愛
「しあわせな結婚」を象徴するワードの一つとして、「股関節の女」は抜群のインパクトだった。ヒロインの妻・鈴木ネルラ(松たか子)のアクロバティックな寝相を思い出し、夫で主人公の幸太郎(阿部サダヲ)が「君は股関節の女だろ」と言い放つ最終回の終盤は、ドラマ史に残る奇妙かつユニークな愛の表現だったのではないか。
一見コミカルなフレーズは、この夫婦の関係性を示唆している。股関節を大きく開いて豪快に眠るネルラは、規範や体裁を超えて「しなやかに生きる」女性像の象徴にも思えた。幸太郎はその姿を肯定し、受け入れ、むしろ誇りに思うことで「ありのままの君を愛する」と宣言している。
身体性を介して愛を語る――。このドラマは、夫婦の結びつきを理屈ではなく「体」で示し続けた。大石静らしい大胆な脚本だった。
最終回に限らず、繰り返し強調されていたのは「食事シーン」である。
幸太郎が朝ごはんを前に、ネルラとの離婚をなんとか回避しようとタイミングを図る場面、そして定期的に催される食事会のために鈴木家が集まり続けるという営み。まるで、すべての対話が食卓を媒介に行われてきたかのようだった。
食卓は日常の象徴である。だからこそ、そこで交わされる会話には、夫婦や家族の距離感が生々しく立ち現れる。今作では、お互いにどんな葛藤や嘘を抱えていても、食事をともにすることが家族を家族たらしめる最後の砦だった。
最終回においても「朝ごはん」や「誕生日を祝う食事」という何気ない食卓の風景が、離婚の痛み、家族の再集合、再婚への希望……を受け止める装置として機能していた。

■ メロドラマとサスペンスの融合 大石が仕掛けた最終回の妙
前回の8話から最終回に向けて響いたのは、ネルラの「レオ(板垣李光人)を守り通すことが、うちの家族の真実だったの」というセリフだ。この一言に、15年前の布勢夕人転落死事件の真相、ネルラやレオの叔父・考(岡部たかし)の犯人隠避、そして家族それぞれの選択の意図が凝縮されている。
法的に見れば、確かに犯人隠避は罪だし、元検事で弁護士の幸太郎にとっては当然の“悪”だった。しかしネルラや考にとって、それは「家族を守るための行為」であり、偽りのなかにも譲れない真実があったのだ。このドラマは全9話を通して、家族とはただの形式ではなく、守ると決めたものであることを暗示している。
真実は一様ではなく、罪と愛のあわいに揺れるもの。この複雑なテーマをネルラのセリフ一つに託した点に限っても、大石脚本の凄みが滲み出ている。
感動的なネルラと幸太郎の和解の直後、ネルラは巨大なキャンバス用ハサミを持ったままハグをするシーンがあった。通常なら、視聴者を感動の余韻に浸らせるシーンであるはずだが、「もしやこのまま、ネルラは幸太郎を……?」とわざと緊張感を誘発させている。あえてずらし、素直に感動させてはくれない。
メロドラマとサスペンスが絶妙に融合した最終回。幸太郎の愛の告白は涙を誘いながらも、ネルラが手にするハサミという異物がその空気を破る。視聴者の涙と笑みが交錯したまま、物語は幕を閉じる。感情を揺さぶり、予定調和で終わらせないのが本作の魅力であり、最終回の最大の特徴だった。

■ 粘り強さに支えられた、愛の肯定
「しあわせな結婚」最終回は、単なる夫婦の再生物語では終わらなかった。股関節の比喩に象徴される身体性、朝ごはんの温もりに宿る日常、家族を守るための嘘が映し出す真実、そして、感動と笑いが同居するラスト。そのすべてが「粘り強さに支えられた愛」を肯定していた。
幸太郎の「もし君が背負う苦しみがあるなら、俺も背負う」という言葉にネルラが応えた瞬間、ドラマは夫婦の物語を超えて、生きる人々すべてへのエールとなった。
大石が紡ぎ、松たか子と阿部サダヲが体現した「しあわせな結婚」は、サスペンスでありながら愛の持続を描いた稀有な作品として、記憶に残るだろう。
(北村有)